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【なまえのないえのぐ】この絵の具には名前がありません

Toru Tannoさん撮影

あの日みた夕焼けは、空色では表せない。

水色という色があるけれど。

蛇口から出る水は、そんな色じゃない。

色に名前をつけること。

それは、色を、ひとつに、決めてしまうこと、なのかもしれません。

私たちは、認知する対象が目の前になくても、その対象に関する情報を、聞いたり、読んだりすることで、それを、頭に思い浮かべることができます。

これは心的イメージと呼ばれます。

また、その対象が、たとえ未知のものであったとしても、人は、色々な情報から想像したり、推測したりして、イメージを形成することもできます。

想像を膨らませることは大切ですが、ときに困った現象が生じることがあります。

例えば、繰り返しイメージするうちに、実際には、無かったウソの記憶、即ち、虚記憶(※)が生み出されてしまうなどです。

※印:
虚記憶(false memory)とは、実際には、起こっていないことを、あったこととして、誤って思い出すことである(Roediger & McDermott, 1995)。
この記憶現象は、かつては、ノイズとして扱われたが、現在では、記憶メカニズムに対して、有益な示唆を与えるものとして(Roediger, 1996)、多くの虚記憶研究が行われてきた。
虚記憶研究の発展は、DRM パラダイム(Dees Roediger-McDermott paradigm)と呼ばれる実験手法の確立に端を発する。
この手法では、実験参加者に、学習語としては、呈示されない語(ルア語と呼ばれる。例えば,sleep)からの連想価を持つ単語リスト(例えば,bed,rest,awake など)を呈示し、ルア語に対する虚記憶と、学習語と意味的関連のない新奇語に対する誤反応を比較する。
一般に,実験参加者は新奇語よりもルア語を多く誤って想起し、さらに、虚記憶は、正しい記憶と同程度の想起意識を伴うことが知られている(Roediger, McDermott, & Robinson, 1998)。

イメージしたことと、実際に、知覚したことが、区別できなくなる現象は、イマジネーション膨張と呼ばれています。

もし、目撃証言などで、

「誰か見かけませんでしたか?」

と聞かれるのと、

「黒いコートを着た人を見かけませんでしたか?」

と聞かれるのでは、後者の場合、それだけで、頭にイメージが出来てしまい、まったく関係ない場所で見た黒いコートの人が紐づけられ、その人を、

「見たような」

気になることがあります。

これは、イマジネーション膨張によって、情報源の混同が起きてしまった例です。

この様な認知バイアスに注意して、目に映った対象の色を、ひとつに決めてしまわないで、手に取って、混ぜて、うすめてみることで、自分なりの色を生み出してみる。

きっと、そうして描いた心象風景は、いつもより、ちょっと違う絵になるはずです。

水色という色があるけれど、コップに入った水は、そんな色じゃない。

そんな気づきを得ながら、なまえのない絵の具を生み出してみることも面白いよ(^^)

いつも使っている色が、一目で、見つからないって楽しくない。

そのちょっとしたきっかけが、描こうとするモノや、ヒトを見る目に、つながっていくのだと思います。

色を自由にする。

ちょっと新しい絵の具を、じゃんじゃん生み出してみよう、ぜ!

そう言えば、クラシック音楽の世界にも、色をテーマにした、こんな交響曲があるんですよ(^^♪

■ブリス:色彩交響曲/バレエ音楽「アダム=ゼロ」

様々な色のもつイメージを、音で表現したブリスの代表作です。

色彩交響曲は、その名の通り、

第1楽章『パープル』Andante maestoso

第2楽章『レッド』Allegro vivace

第3楽章は『ブルー』Gently flowing(穏やかに流れるように)

第4楽章『グリーン』Moderato

の4色を、各楽章ごとに表現しており、標題的な要素と情景描写的な要素が違和感無く溶け込み、管弦楽の色彩感も秀逸で、聴きごたえのある作品です。

本当に色々な表情を持った、まさに、異色の音楽でなんです。

これは、ブリス自身のイメージするところなので、なぜ、この楽章が、パープルで、レッドなのかということは、あまり気にしてはいけません(^^♪

カップリング曲の「アダム・ゼロ」もブリスの感性がよく現れた興味深い作品です。

この曲は、人間の一生における様々な場面を、音によって表現したもので、色彩交響曲同様に、表情が豊かな音楽で、ブリスの自信作ということもあり、これも聴きごたえがあると思います♪


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