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【随想】貧しいとは?

豊かであるということの本質は何か?

どんな状態を豊かであるというのか?

実は、私たち人間は、どうも、そういう豊かさというものを、実際には知らないのではないか?

そう思えてなりません。

今まで人間は、豊かさを求めてきたけれども、実際に、それがどんな状態なのか、経験したことはなかったのではないかとさえ感じます。

人間の歴史をずっと振り返ってみると、そんな気がしてなりません。

しかし、逆に、貧しいということは、たくさん経験してきました。

私たちは、貧困や悲惨な状態はつぶさに経験しています。

ですから、その貧しさの経験を考えることで、豊かであることがどういうことであるのかを、考えてみることができるのではないかと思います。

人間が経験してきた貧しさの状態を報告するものは、それこそ無限にありますが、明治維新以後の東北地方の貧しさの状況を見てみてみます。

日本の東北地方は、ご存知のように、明治維新の際に、大方が江戸幕府側につきましたので、維新以後は、ほとんど捨てられたような状態におかれていました。

加えて、冷害と干ばつによる飢饉が次々と襲い、人々は、明日、食べるものがないという状態でした。

こういう中で、行われていたことのひとつに間引きというのがあります。

間引きというのは、元々は農業用語で、種を蒔き、芽が出た後に、生い茂った苗の数を減らして一本の苗に十分に養分が行き渡ったり、成長する空間を広げることですが、これが人間の子どもに適用されたのです。

つまり、たとえば、今、子どもが二人の4人家族だったとします。

この4人で食べていくのに精一杯だったとします。

ここに、もう一人子どもが生まれます。

もはや食べていける状態ではなくなります。

そこで、生まれた赤ん坊を子どもの数を減らすために殺すわけです。

こんな状態で子供を作らなければ良かろうと思われるかもしれませんが、そうもいかないのが人間ですし、避妊の知識もありませんでした。

大体が生まれた赤ん坊の顔に濡れた和紙をかぶせて窒息させたと言われますが、首をひねったことも多かったそうです。

【参考記事①】

【参考図書①】
「遠野物語」(新潮文庫)柳田国男(著)

「子育ての書 3」(東洋文庫)山住正己/中江和恵(編)

そう言えば、こけしの由来は諸説あります。

一時期、テレビ番組で「子消し説」が話題になりましたが、裏付ける明確な文献は存在せず、民俗学的には根拠のない俗説と言われています。

有力な説として、子どもが遊ぶための玩具として伝わった縁起物「木で作った芥子人形」が由来であると言われているので参考にして下さい。

また、姥捨てということも行われていました。

深沢七郎の『楢山節考』という作品にも描かれていて、この重いテーマが取り上げられていますが、年をとって働くことができなくなった老人を、食い扶持を減らすために山に捨てたのです。

【参考図書②】
「楢山節考」(新潮文庫)深沢七郎(著)

捨てられた老人たちは、自分が山を下りて帰れば、家族に迷惑をかけることをよく知っていましたので、一度捨てられれば、もう二度と帰らず、飢えと寒さの中で死んでいったと言われます。

中には、生き延びた老人もいたのでしょう。

こういう生き延びた老人を里の村では、「鬼」と呼び忌み嫌いました。

「鬼婆」というのは、その典型だと思われます。

あるいはまた、娘売りというのが、日常のように行われていたそうです。

村のあちらこちらには、「娘買います」という看板が掛けられていたそうです。

女の子が少女になる頃、親はその子を売りました。

関東、あるいは京阪神に売られ、下女や娼婦として働かされました。

大体、例えば、京阪神に娼婦として売られた子は、20歳前後で病気や過労で生命を落としたといわれていますが、親は、そういうことを承知の上で、その子を売りましたし、また、売らなければならないほど、生活が逼迫していたのです。

貧しい、というのはこういう状態を生んでいきます。

しかし、これは、何も日本だけのことではありませんでした。

みなさんは、グリム童話の『ヘンデルとグレーテル』のお話をご存じだろうと思いますが、両親をなくした兄妹が叔母さんに引き取られ、その叔母さんが二人を森にキノコか何かを探しに行かせ、お兄さんの機転で何度かは帰ることができたけれども、ついには道に迷ってしまいます。

そして、迷った二人の兄妹は、互いに励まし合いながら森の中を進んでいくと、そこに魔法使いのお菓子の家があり、智恵を使い魔法使いをやっつけて、そのお菓子の家で幸せに暮らした、というお話です。

しかし、これは、17世紀頃のドイツの貧しい家庭で実際に行われていたことだったと言われています。

食べさせることができないので、子どもを森に捨てる。

捨てられた子どもは、もちろん、飢えと寒さ、あるいは獣に喰い殺されていきました。

グリム童話は、こうして捨てられた子どもたちがお菓子の家で幸せに暮らしていると、だから、あえて、物語るのです。

【参考記事②】

本当に悲しい出来事ですね。

しかし、悲しいかな、貧しいと、こうした状態を生まざるを得なくなっていくのでしょうね。

また、海外の飢饉に襲われた村に救援物質が届けられる光景をテレビのニュースで見たことがあるかと思います。

しかし、その救援物質を手に入れることができるのは、食料を奪い合って勝つことができる屈強な大人だけで、老人と子どもはたいていが捨て置かれます。

最も弱いもの、それが捨てられ、殺されていく。

それが貧しいということなのです。

社会が貧しいか豊かであるかは、その社会の中で老人と子どもが、どのように扱われているのかを見れば分かるのです。

これは、その人の人間性でも同じでしょう。

人間性が豊かであるかどうかは、最も弱いものを、どのように扱っているかによるのではないでしょうか?

【参考記事③】

それはさておき、こういう貧しい状態をずっと見てきますと、私たちは大体、貧しさの本質というのがわかってきます。

いったい何故、子どもや老人を殺したのか、いや、殺さなければならなかったのか。

そのことを考えてみると、貧しいということの状態の本質が、少し見えてくるのではないでしょうか。

何故か?

それは、自分たちが生き残るためですね。

弱肉強食の自然界の法則であるとも言えますが、自分が生き残るために、殺すことができるものを殺していかなければならない状態です。

それが、貧しいということの本質のような気がします。

【関連記事】
豊かさは、豊かな精神によってしかもたらされない。
https://note.com/bax36410/n/nb472965ecca9

これを少し普遍化して言い換えれば、貧しいということは、自分のことしか考えられなくなる状態と言えるのではないでしょうか?

そして、こう考えていけば、たとえば現代日本でも、有り余るほどの物をもっていても、ずいぶんと貧しい人がいるということに気づかさせられます。

これに関連して、思い出されるのが、1979年にインドのカルカッタで貧しい人々への奉仕活動をしていたマザー・テレサさんが、ノーベル平和賞を受賞して、来日した時の第一声が印象に残っています。

彼女は、私たち日本人に、まず、こう語りかけてきました。

You are rich. It is true. But you have great poverty.

「あなたがたはお金持ちです。本当に豊かです。でも、あなた方は、大変貧しい。」

彼女は、インドのカルカッタで生涯を閉じましたが、少女時代までは、イギリスで過ごしていました。

その彼女の目にとって、私たちは、本当にお金持ちに映ったのでしょう。

今でも、アフリカの子どもたちには、紙と鉛筆さえ自由にありません。

学校に行くどころか医療機関にさえかかることができず、飢饉や干ばつで飢えることもしばしばです。

私たち日本人は、敗戦後の76年間で、物質の豊かさに打ちのめされた敗北感から立ち直り、世界でも稀に見る本当に物の豊かな社会を形成してきたのです。

その点では、日本は、今でも、世界中の人々の憧れの国の一つになっています。

しかし、だからといって、私たちが、本当に豊かになったのかということに対しては、マザー・テレサさんが指摘したように、「ノー」と答えるしかないように思われてなりません。

私たちは、豊かさを求めて懸命に努力し、そのことによって、かえって貧しくなったのかもしれませんね。

衣も食も住も、十分に足りていながらも、なお貧しい。

これが、マザー・テレサさんが批判した日本の状態ではないでしょうか。

言い換えれば、パンが1個しかない状態を貧しいというのではなく、その1個のパンを奪い合って食べている状態、これを、貧しいというのではないかと思うのです。

ですから、反対に、豊かであるというのは、パンがたくさんあることではなくて、たとえパンが1個しかなくても、その1個のパンをみんなで分け合って食べている状態、これを豊かというのではないかと思います。

分かち合うことができること、これが豊かさの象徴ではないかと思うのです。

現在、日本においても、参考記事④にも書かれている通り、子どもの7人に1人が貧困と言われており、種々の支援が必要な状況に至ってしまっています。

【参考記事④】

そして、世界には、何も持たないけれども、豊かに生きている人々が、確かにいるんですよね。

日本の良き時代の豊かさを、取り戻していきたいですね。

最後に、星野富弘さんの言葉を紹介しておきます。

星野富弘「いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった いのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった」

「《花の詩画集》鈴の鳴る道」星野富弘(著)

「《花の詩画集》あなたの手のひら」星野富弘(著)

「《花の詩画集》花よりも小さく」星野富弘(著)

「《花の詩画集》足で歩いた頃のこと」星野富弘(著)

「《花の詩画集》種蒔きもせず」星野富弘(著)

「《花の詩画集》速さのちがう時計」星野富弘(著)

「いのちより大切なもの」という視点から、花の詩画集を読んで感じた「いのちより大切なもの」は、たぶん、読む人で変わると思います。

「つばき

木は 自分で
動き回ることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯枝を張り
許された高さまで
一生懸命伸びようとしている
そんな木を
私は 友達のように思っている」

人には、なかなかできない。

星野富弘さんは木と友達で、また、新しい友達を作って仲良くなる。

そんな時の星野富弘さんは、命なんかを忘れて植物と触れ合い、色んな事を分かち合っているのでしょうね。

私の都合という物差しを打ち破る働きに出遭えることで、「いのちより大切なものが見つかる」ということだと星野さんに教えられます。

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