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【氷の世界】たしかにそこにあるカタチなきもの


Kyon.Jさん撮影

フェーズ:コトバには時の流れがある

どう捉えるかは

人それぞれだろうけれど

なんというか

「うっとり」には

時間を止める作用と

永続させる作用とが

同時に起こる

そこに入った途端に

違う空間に移動する

日常における”Unexpected”

誰かと話す

何かを書く

文字を読む

言葉は日常にある

話せば話すほど

相手や対象によって

余分なものが加えられて

言葉が流れていく

というようなことが起こる

つまり

どんどん本質からは

ずれていく

同じ作品(SPECIMEN)を観ているはずなのに

実は

同じテーマを与えられた

まったく

別の作品(SPECIMEN)を観ているようなもの

朱門さん撮影(SPECIMEN)

いつまでたっても

言葉は滑っていく

流してしまえるのなら

まだよい

恐ろしいのは

どんどん

加えられているにもかかわらず

比例するように

どんどん自分が

閉じていくこと

目の前に氷があるのに

同じテーマの大理石を

掘らせようとさせられるような

朱門さん撮影(氷)

大理石用の道具を与えられ

自分が

なにを掘りたいのかまで

失われてしまうことが

空恐ろしい

逆に

話せば話すほど

書けば書くほど

読めば読むほど

くっきりと

大事なものだけ残る

余分なものが削ぎ落とされ

明瞭になる

まるで

氷の彫像を

削っていくような時間

Kyon.Jさん撮影(−40度の極寒バイカル湖の氷)

削るために

ひとつの方向からでは

不可能だ

ひとつの氷のかたまりの周りを

くるくると回らなくてはならない

削る道具も

研ぐ必要があるし

自分には

無い技術を

人から学んだり

教わったりする

自分の見えているものが

本当なのかどうなのか

疑ってみたりもする

人の道具を取り入れることは

わたしの道具を失うことではない

むしろ

わたしの可能性を

無限大に

且つ

明瞭にしてくれる

氷は

どんどん

削られていくのだが

わたし自身は

どんどん

開いていくような感覚なのだ

たしかに

そこにある

「カタチナキモノ」を

捉えていく

生きている証として

朱門さん撮影(凍った川の氷)

この捉えられそうで

捉えられない

もしかしたら

はっきりと捉える必要のない

曖昧なものに向き合う

この甘やかな作業の虜になる

そんな時間に

わたしは

「うっとり」と

我を忘れるのだ

【関連記事】
言葉に寄り添う
https://note.com/bax36410/n/n787d731db01a

フェーズ:美についての哲学的考察

映画のエンドロールで、

「この物語は実話にもとづいています」という字幕を読む、

とか、

作者が死を覚悟して描いた遺作ですという説明を聞かされる、

とか、

作品の背景を知ると、感動が増すということがある。

美しさという感動は、純粋な知覚体験というわけではなさそうだ。

まず、美は、理性による発見=解釈というプロセスを、必要とするのかもしれない。

「こう考えてみると、美はたんに直接的な知覚や感覚の実の問題ではなく、なんらか成長するにつれて発達する知性と関係があるように思われてくる。

たしかに、複雑な構成の長篇小説や単色の墨絵の美など、知性の不足している頃には無縁の存在ではなかったか。

そこで、背景に秘めている教養の高まるにつれて、われわれが美と感ずる対象、つまり、われわれに美しいという知覚を呼びさます事物が変化してくるという事実を認めねばならない。」(「美について」今道友信著より)

解釈とは、作品との対話であり、背景知識による分析をベースとしている。

だから、

「換言すれば、作品は体験の浅い人にはその深さを示さないということになる。

体験の深浅は決して事実体験として自己が経験したか否かという直接性の問題ではなく、意識がとらえるものをわれわれがどれほど深く理解するか否かということにかかっている。」(「美について」今道友信著より)

ということになる。

感受性という言葉は、今道友信さんの著作「美について」に、一度も使われなかった気がするが、美を深く味わうには、感覚と知性の総合的な感受性の高さが、必要であるということになる。

そして、教養だけでは不足で、「愛」も要るのだという考察がある。

「ということは、われわれは与えられた作品との美的経験において、想像力を理性的に働かせて、その作品が、元来置かれていた場所では、いかなる背景を持ち、いかなる条件に基づいて輝き出ていたのか、ということを補い考えてみなければならない。

この配慮は、言わば、作品に対する愛情なのである。作品はしばしばこの愛に応えて自己を開示する」(「美について」今道友信著より)

そして、美の体験とは、「日常的意識の切断」という意識の位相だという。

日常を忘れて、うっとりしてしまう状態が、美の体験なのである。

「真が存在の意味であり、善が存在の機能であるとすれば、美はかくて、存在の恵みないし愛なのではなかろうか。」(「美について」今道友信著より)

美について各章で哲学的、歴史的、社会的、芸術的に多角的な分析が行われる。

美の正体を考える入門書として今道友信さんの「美について」は、名著だとおもう。

【参考図書】
「美について」(講談社現代新書)今道友信(著)

【BGM】
人間

誰しも

泣きたくなるときってあるよね

そういえば

何かで読んだんだけど

誰かも

泣くために

このCDを聴くっていってた

そんなときは

このCDでも聴いて♪

思いっきり泣いてみる

少しは

気持ちが晴れるかも

そして

また

元気を取り戻す(^^)

もの悲しくて

それでいて

ものすごく

柔らかな音色に

うっとりしながら

「Visions」RICHARD STOLTZMAN

The Piano: The Promise/A Bed Of Ferns

A Room With A View: 'O Mio Babbino Caro'

La Strada: La Strada

Black Orpheus: Manha De Carnaval

Sleepless In Seattle: When I Fall In Love

Singin' In The Rain: Singin' In The Rain

The Last Temptation Of Christ: With This Love

The Lion King: Can You Feel The Love Tonight?

Out Of Africa: Adagio

Sophie's Choice: Love Theme/I'll Never Leave You

West Side Story: Somewhere

Spartacus: Spartacus

Once Upon A Time In America: Once Upon A Time In America

Bagdad Cafe: Calling You

Schindler's List: Theme From Schindler's List

Philadelphia: Philadelphia


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