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不登校までの道のり~次女の場合3

不登校までの道のり、
次女ちゃん篇もパート3に突入します。

小学4年のとき

<パート1>

よく怒られてるAくんのことを、
号泣しながら、
『Aくん、怒られてるぅ~ (T-T) 』と言うようになった。

怒鳴って怒ってる様子を見ていることが、
とても多くなってるということだろうか。

学校へ行った時に、
目を光らせて?、
いつも以上に、
周囲の様子を用心深く見るようにしていたように思う。


<パート2>

登校渋りのある次女ちゃんでしたが、
1つ下の同じダウン症のBちゃんがいて、
その子が待ってるよ...と伝えると、
登校モードへのスイッチが入っていたのだけど、
4年生になって、いつ頃だろうか…
上記のように誘う言葉掛けをしたら、
『Bちゃん、きらい』と言い始めた。

うちの次女ちゃん、
嫌いという言葉をそれまで聞いたことがなくて、
なにかあったのかな?と気にし始めた。

授業参観の時(国語や算数の授業で)、
3年生の時は、
Bちゃんのほかに、6年生のダウン症男子がいたのだけど、
4年生からはBちゃんと2人。

私が3年生の時に物を申したからか、
(社会見学参加問題+担任が私に怒った話)
次女ちゃんへの関わりがぐんと減ってるなと感じた。
次女ちゃんは淡々と、でもやることはやってるタイプで、
Bちゃんは自分から働きかけてお話する子ではあったものの、
みんなで授業を受けてる様子が見られたのだけど、
この時は、よく怒鳴る担任はBちゃんに関わってて、
次女ちゃんは蚊帳の外的に感じた…それまでは感じたことがなかったのに。

キッカケは、
モノを申したから?

親が先生に意見することで、
こういう風な影響が出るんだな…
正確に言えば、
その先生はこういう接し方になるんだな…。

人間性がまる出しであるんだけど、
先生は気づかず、無意識なのかな?

その光景を目にし、
つまらなそうな表情をしてる次女ちゃんを見て、
とても悲しくなりました。

これが、
『Bちゃん、きらい』ってことだったのかな?と。

ほんとは別に、何かあったのかもしれないけど、
真相は分からず。

<パート3>

よく怒られるAくんがキャンプに行くことになりました。
その付き添いが、よく怒鳴る担任に。
月曜の一限目は、体育。
キャンプ出発前に、担任は様子を見に来たので、
次女ちゃんは
その日からキャンプへ行ったという認識があまりなかったのかも。

翌朝、先生とAくんはキャンプでいないよと伝え、登校。
3日目の朝は、遅刻登校でしたが、
次女ちゃんは嬉しそうに
『先生、キャンプ。Aくん、キャンプ』と言ってたので、
私は『学校、楽しい?』と聞いてみた。

そしたら、笑顔で『楽しい』と。

久しぶりに登校を楽しんでる様子に、
登校渋りの原因が、じわじわとハッキリ見えてきた。

<パート4>

パート3の続きですが…
キャンプは終わったけど、確かお疲れ休みとなり、
担任とAくんが学校へ来るのは、翌週。
週明けの月曜の登校時、
また次女ちゃんは、
『先生、キャンプ。Aくん、キャンプ』と言ってたので、
私は『キャンプは終わったから、全員集合だよ』と返事をしたんだけど、
次女ちゃんは理解してなかった。

学校楽しい~♬モードで教室へ入ると、
正面奥に、担任がいて、
それが次女ちゃんの目に入ると、
次女ちゃんは後ずさりして、教室を出て、
1mほど戻った場所で座り込み、
指しゃぶりを始めました(…不安時にやる行為)。

登校渋りは、
担任が原因か!と決定的な日となった。


<パート5>

小学3年の時からなのか、
小学2年の後半からなのか、はっきり覚えてないのだけど、
支援学校内にある相談窓口(子育てや成長、学校での困りごとなど)で
話を聞いてもらってまして、
次女ちゃんの学校での様子を見たいという面目で、
(本当は先生の様子を見るため)
支援学校の先生が訪問してくださり、
その様子を聞かせてもらってました。

前もって行くと聞かされてば、
怒鳴るなんてことはしないですよね?と私。

そうだとは思うけど、尻尾は少しでてるから、
それをチェックします...と仰ってた。

担任は遠くから大きな声で、
指導?注意?をするので、
最初見学してくれてた女性の先生が、
何と言ったか忘れましたが、
遠回しな表現で忠告したんだけど、変わらず。

響くわけないよね(;^_^A…。
無意識ですもん。
だから、日々怒鳴ってるんだろうし。

つぎは人を変えて、
男性の先生が見学に行き、
『この部屋と生徒数を考えると、
担任の先生の声のボリュームは大きすぎます』
と遠回しな表現で、
担任に伝えたらしいのですが、
それも変化なく。
(一度目と同じ話の内容で、別の言い方で伝えた
そうです)。

個人面談の時に、見学した時のことを話はじめる担任。
『長年、普通学級の担任をしていたので、
 そのやり方が染みついてて…』

私のココロの声
(言い訳じゃん、それ。
 じゃあ、なぜ、支援学級を受け持つの?)

そして話が変わり、
担任は定年の年なのだけど、
延長となり、
次女ちゃんを見送れますよ…とも。
(=6年生まで次女ちゃんと関われる)

いやいや、
私のココロは大騒ぎ。
(見送らなくてい~~~い...と言ってた;ココロの声)

<パート6>

3学期になると、
着替えない、食事を取ろうとしない…という行為に及んだ次女ちゃん。

学校へ行かなくてもいいから...というと、
着替えるし、食事をする。

質問したら、
ちょっとばかりの返事や単語で伝えていたのだけど、
この頃は、
YesかNo…それも言葉ではなく、
首を縦にするか横にするかで、
表情も笑わなくなっていた。

『最近次女ちゃんの話す声が聴こえてこないけど、
 元気にしてる?』とお隣のおばさんに訊かれ、
 ハッと気づいた。

<パート7>

これも3学期に入ってからだが、
学校へ行ってないのだけど、
お世話になっていた歯科が、
学校の横を通らなくては行けなくて、
車で移動してると、
校舎を見ただけで、
指しゃぶりが始まり、とても不安な様子だった。

そして、
あれほど楽しんで通所していた、
児童デイサービスも行きたがらなくなった。
(学校へお迎え→デイサービスという流れがあったから?)


長くなったので、
今回はこのへんで…^^;。

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