日記(アニメ、最終戦論)

アニメ見てます

「終末トレインどこへいく?」を二話まで見ました。本当に面白い。世界観で引っ張られる感覚が最高!主人公の声の感じもちょっと生っぽい独特な感じで良い。それとテンポが良い摩訶不思議な漫画映画的世界の映像が本当に不思議な作品になっている。
あとファブルとかアイプリとか気になる作品もある。響けユーフォニアムは映画を見てないので見れてない。

あと『探偵オペラ ミルキィホームズ』を見た。とても面白かった。明智小衣ちゃんのフィギュア買っちゃった。


あと何度目かわからないまどマギを見直した。家族や友達によって成長するまどかと完全に自己完結した執念だけで成長するほむらの対比がすごく魅力的だなと思った。


石原莞爾「世界最終戦論(最終戦争論)」


石原莞爾 最終戦争論 (aozora.gr.jp)

 石原莞爾という満州事変の首謀者の出した本(リンクは増補版で、開戦直前に行われた質疑応答もある)。知らない人は知らないけど、この石原というのは戦後もカリスマ的魅力を持ち続けている珍しい陸軍人なのです。
 その"天才"の主著がこの世界最終戦論なんですが、まあ顧みる価値のないアジテーションだなと思った。

 ざっと理論を説明しましょう。第一次大戦、持久戦(武力の価値が政治に比べて低い戦争)かつ総力戦の時代が来た、第二次大戦(執筆段階でバトルオブブリテン、日本は日中戦争のみで対米戦はまだ)はドイツがフランスをボコしたけど、結局まだ持久戦争だ。
 ここで持久戦争が煮詰まると歴史は武力戦で決まる決戦に移行するという観念が出てくる。航空技術が行くところまで行ったら太平洋・大西洋ごしに決戦ができる。二次大戦および日中戦争や蘭印が終わってある程度の期間が経てばアメリカを巻き込んで最終決戦が起きるぞ!だから究極の決戦体制を作ろう!みたいな感じです。
 だいぶ端折ったし、説明の中には日蓮宗についての怪しげな講釈も入っていてアジテーションとしての魅力はそこらへんにあると思いますが…。

 世界統一のための最終決戦とか聞くとヤバげなんですが、これけっきょく永田鉄山らが考えた統制派(当時の軍の主流派)の論理でしかないじゃんという感想。
 最終決戦は大洋を超える航空機で行われるという予想も、当時軍部がさかんに言っていた「科学戦」でしかない。科学戦プロパガンダと違うところは質疑パートで「殺人光線は決戦兵器にならない」と言いきっているところくらいですかね。
 総動員管理体制を作ることが大事ってのも統制派的な考えでしかない。というかもう昭和15年だからだいぶ体制はできている…。そこに天皇中心の汎アジア主義みたいな話が出てくるところはなんか独自のポイントで、皇道派ともちょっと違う天皇観があるのが戦後の右翼に刺さるのかもしれないけど、観念的すぎてよくわからなかった。そもそもこの時汎亜細亜主義を目指した満洲国が失敗してる最中である。

 そして最終決戦とかに関してはカスリもせず外れた。まあ日米開戦がこんなに早く、しかもコテンパンに負けるというのは石原の想定外のことだろうからそこをつっつくのはちょっと違うかもしれん(石原は対米開戦に反対で、真珠湾の前に左遷されてる)。
 しかしそもそもの観念が間違っていたのではないか。航空機どころか原爆(のちに核ミサイル)の時代が来たけどそれで決戦的な性質をもった戦争が起きることはなかった。朝鮮もベトナムもイラクもウクライナも持久戦だろう。決戦戦争と持久戦争が交代で来るという観念自体かなりウソくさい。

 つまり本論の基礎となる考えってのは統制派軍人的な戦争観でしかなくてそんなに独自のものに見えない。応用となる「最終決戦」については大間違いだったゾ。という感じで何かイズムとして学びがあるものじゃないですね。


「よくわかる日本軍のきもち」としての価値

 じゃあこれ無意味なものかというと、むしろ当時の軍の思想がイメージできる本としての価値があるように思います。

 「総動員体制(高度国防体制)」というと言論弾圧・軍政といった近衛新体制的な「政治」のイメージがあるんですが、その前提として当たり前に「万単位の死者が出る戦争をやる」ことがある。それが軍幹部のしゃべりの文体で簡単に読めるものは少ないかもしれない。

諸君のように大きな変化の時代に生まれた人は非常に幸福であります。この幸福を感謝せねばなりません。ヒットラーやナポレオン以上になれる特別な機会に生まれたのです。

 東亜の最大強味は人的資源である。生産の最大重要要素は今日以後は特に人的資源である。
(中略)
 ただ問題となるのは、この人的物的資源を僅々二十年内に大動員し得るかである。固より困難な大作業である。しかし革命によって根底的に破壊したソ連が、資源は豊富であるにせよ、広大な地域に資源も人も分散している不利を克服し、あの蒙昧な人民を使用して五年、十年の間に成功した生産力の大拡張を思うとき、われらは断じて成功を疑うことができない。ただし偉大な達見と強力な政治力が必要だ。一億一心も滅私奉公も、明確なこの大目標に力強く集中されて初めて真の意義を発揮する。 

「最終戦争論」に関する質疑回答(昭和十六年十一月九日)

 この時代の人間は国民を戦争に駆り立てて死なすことへの抵抗が本当に薄すぎてマジで隔世の感があるが、それが別に狂気でも天皇に対する信奉でもなく、一つの常識としてある感じが映像などより伝わってくるなという感想を持ちました。

 また、決戦戦争とかいう概念は石原独自っぽいですが、「クソ強え大国を一大決戦で決められるかもしれない」という幻想はその後もずっと【一撃講和論】として日本軍に見られるもので、その幻想を追い続けた先に東京空襲も広島長崎もあるわけだ。
 今アメリカ側の資料が大量にみられる時代にあっては一撃講和などストーカーの片思いに等しい勝手な妄想だったわけだが、しかし日本側の気分としてありうるものだったということは何となく理解できた…かも。

 あとナチスドイツについても軍事についてしか分析してなくて、戦争経済の脆弱さについて何も理解できてない点も重要かも。本人も質疑の最後に「私の知識は軍事以外は皆無に近い。」と言ってますけどね。

 まとめると、なぜあんなヤバい戦争体制を作ったのか?というのを考えるうえで同時代の視点で見られる、かなり読みやすい部類の本かもしれないと思いました。「国防の本義と其強化の提唱」も青空文庫化してほしい…。


にょ