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『レヴュースタァライト』TV版感想

レヴュースタァライトの映画についての肯定的な感想が多く回ってくるので気になりました。ということでまずテレビ版を見てみました。感想ですが、見てない人向けの説明はしてません。

リアルタイムを意識して

4話まで見たときの感想
5ー8話までの各話感想、その時点での総評
9-12話までの各話感想、総評
という構成になっています。

4話までの感想

 曲はとてもいい(特にEDがいい)のだが登場人物が全然深堀りされない印象が強い。重要なキャラクターは、主人公華恋とメインヒロインであるひかり、そして負けヒロインのまひるちゃんの三人に加えて、サラブレッド的な存在である天童まやと金髪縦ロールのクロディーヌの五人といった感じか。だがそれら登場人物のかかえたものについて「スタァになりたい」以上のことは掘り下げられない。主人公がスタァになりたいと渇望する本当の理由、ひかりはなにを抱えて感情を表に出さないのか、全然わからない。脇役も含めたキャラクターたちの関係性はコツコツとまんべんなく描かれるのだが、それは優先されることではない気がする。物語がはじまらないまま物語の片鱗だけを延々と見せられている感じ。練習シーンは尺とって、やたら作画枚数多くてドラマティックだけど、伝わってくる文脈は「スターになるためレッスンしている」という至極シンプルすぎることだけで、退屈。

 そして主人公について「ひかりちゃんを探してクッションをどけて探す(そんなところにいるわけないでしょ~ワハハ)」みたいなくだらないギャグが何度もやられるのがつらい。いわゆるアホの子なんでしょうが、そんなペラいキャラ造形でいいのかな…。
 そんななか唯一感情豊かなのはいきなり寝取られてしまった負けヒロインまひるちゃん。

 そして後半の歌劇風戦闘シーン。作画はすごいんだけど、何を意味しているのかわからないからボンヤリ見るだけになる。しかし動機がないわけではない。支配人的なポジションであるキリンによって明確に「スタァになるため戦ってオーディションする」と定義づけられ、主人公たちは「スタァになるため」戦うことを望む。しかしオーディションの比喩だけしたいなら普通にオーディションなり模擬演劇するところをかけばいい。わざわざバンクシーンをはさんで凝った演出をするからにはそうではないと思うべきだ。
 ということで私(視聴者)は単なる「オーディションのメタファー」以上の何かを読み取りたいのに、キャラクターたちは単に厳しいオーディションのメタファーとして受容している。そこの齟齬というかズレが歯がゆい。
 『ウテナ』における戦闘も意味不明ではあるが、意味不明さゆえにウテナが「まきこまれる→アンシーを守る」という風に動機づけが発生する過程が描かれた。それが主人公の成長、自我の形成を象徴していたのに比べて、単なるオーディションのメタファーとして(いまのところ)存在する『レヴュースタァライト』の歌劇シーンはなんのほころびもなく完成されているわけだ。1話で「主人公の華恋がひかりとスタァになる夢を思い出した」展開以降4話に至るまで物語は本質的に動いていない。

 あと声優も気になる。声優経験の少ない人が多くキャスティングされていて、その「声優の声」としては完成されていない感じはよい。のだが、メインヒロインのひかりちゃんだけ三森すずこで、一人だけ声の出し方が違うというか、できあがってるというか、なにか解像感が違う。放送当時に見たときもそこが気になったんだよな。


8話までの感想

5話、めちゃくちゃ良かった。個人的にまひるちゃんが好きってこともあるんだけど、ようやくレヴューでやりたいことの一側面が見えたような感じ。『ユリ熊嵐』や『さらざんまい』などのイクニ作品で見られた「切実な依存にもとづく同性愛」とユーモアセンスの融合、というものがあった感じ。でもまひるちゃんには独占欲で動いてほしさもあり候。百合成分の強いED曲は回ごとに歌うキャラが変わる形式で、今回は当然まひるちゃんなのですが、歌詞がまひるちゃんの心とシンクロしていて、しかし他のキャラと違って「こっちを向いて」という歌詞が叶わない感じが切なくて良かった。

6話。構成が5話とだいたい同じで結末が異なる感じ。「依存が共存になる」という意味では5話も6話も同じテーマとは言えるか。そしてCパート、なんだループものってことか?

7話。なかなか驚く展開。『ウテナ』の最終テーマを一人でかかえた存在が大場ななだったということだったのね。アバンがクソ長い構成で別のループであることを示す演出にEDに歌がない演出(=目指す未来のない存在)、とても良かった。ループものになることや、成長を欠いた世界というモチーフは『ウテナ』『まどマギ』以降の作品としては目新しくはないが、演出によって最適化されている感じがする。

8話。ひかりちゃん回。サクラ大戦的な世界観でてきたのはよかった。が、あんまり盛り上がらなかった。結局華恋とひかりちゃんの運命ってなんなんだ。レヴューは作画コストはかかってるが殺陣がよくない。ななのパワーも、ひかりの芯の強さもうまく演出できていなかった印象。

主人公の影がどんどん薄くなる中盤。すべての元凶、ラスボスかとも思った大場なながあっさり負けるのには驚いた。時空間を曲げたり他人の情熱を奪えるレヴューシステムのヤバさの紹介を行った以上、そのすごさを今後の展開で利用する(あるいはあえて無力化する)は想像される。しかし、もはやだれにも何の課題も残っていない。ここから新たな試練の提示と解決が待っているのだろうか。

最終話までの感想

9話。大場ななが完全敗北し、純那によって救済される回。ループさせておんなじことを繰り返していたイカレた狂人をも包み込んでくれる純那ちゃんすげえな。しかし未来の否定を否定されたことは未来の肯定ではない気がする。少なくとも大場ななは百合カップル成立で救済されるようなタマじゃないんだと思うんだけど…。

10話。殺陣が止め絵中心になった!少なめの動きで魅せつつ誇張されたパースでキメるという、日本のアニメの伝統的な見せ方はうまく決まっていたと思う。だが2対2であることを活かした演出は少なかったけどいいでしょう。あと感極まったシーンで鼻を描かなかったカットがあったけど面白いなとおもった。
 しかしいきなりフランス語でしゃべるのダサすぎるからやめてほしいわ。なんなんすかね、いきなりドイツ語になる惣流アスカみたいなの、全然面白くないからやめてほしいわ。

 11話と12話。ひかりちゃんはきらめきの力を奪わなかったのでその埋め合わせの贖罪をすることになった。どういうことだ。中盤でとりもどしたきらめきの力は一時的なものだったのか?解せない。
 華恋以外のキャラが「ひかりちゃんは私たちからもきらめきを奪わなかった」と言っていたがみんなからきらめきを奪ったら舞台ごと詰むじゃん。ということは誰かひとりくらいを犠牲にきらめきをとりもどせばOKなのだろうか。しかしそもそも舞台はみんな参加するんだから奪おうが奪わまいが「きらめきの総和」は変わらないのでは?なんでそれが罪になるのかようわからんな。システムへの反逆だからか?
 そして賽の河原みたいなことをすることに象徴性以上の意味も見いだせなかった。まあフィーリングってことか。

 ちょっと乗りきれない部分が多かったが、絵的には綺麗でよかった。

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このピンクの砂漠は『西遊記(1960)』とか『太陽の王子ホルスの冒険(1968)』とかで見られる雪原シーンを想起させられた。

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特に『ホルス』で、自己の心を捨てさせられたヒルダの心に残った人間の心をホルスが復活させる展開とは構造的にも似ていると思う。そういう点でコテコテな良さがあった。


総評

 悪い作品じゃなかったとは思うんだけど、いまいち魅力を感じられなかったな。

 やっぱり主人公・華恋が完成された存在でありすぎることが大きな欠点かな。華恋はひかりを想い、ひかりとともにスタァになることを目指すという点で全く最初からブレがなくて、そこになんの闇もない。じゃあなんで最初(および今までのループ)で弱かったのかというと、「忘れていたから」ということでしかない(大場ななのループは最初の世界線の再現なので、ループも関係ない)。だから最初にひかりがやってきた時点で華恋の物語は終わってる。4話時点で書いたことがそのまま最後まで変わらなかったのはつらい。「アタシ再生産」っていうキャッチコピーがもっとも似合わないキャラだった。

 キャラと関係性が完成されているのは他もそう。6話で描かれた双葉と香子の関係も最初から出来上がってたし他も然り。つまり、この物語で何かを克服したり獲得したのは、ひかりが奪われた「きらめき」をとりもどしたこと、大場なながループから解放されたこと、それとまひるちゃんが失恋することだけだったのだ。

 あとループものだったのはびっくりしたけど、必要だったとも思えない。舞台が何度も再演されるものであるという連想はいいんだけどテーマを作れなかった感じがして惜しい。まあ劇場版とかの伏線なのかもしれないけど。

 そういえば4話で二人が朝帰りしたのはどういう意味だったんだ?5話の展開的に、もし華恋とひかりがセックスしたならまひるちゃん発狂しそうなもんだがそんなに過剰に反応してないし、よくわからない。

 総評としては幾原作品のような重いテーマもないし、登場人物が深堀りされないゆえに百合としても強くない。金が無駄にかかった凡庸な萌えアニメという印象。劇場版もあまり期待はできないかな…。

 追記:エンディングの『fly me to the star』を何度も聴いている。fullでの「輝く目に私以外写さないで」とか「fly me to the star」と言ったのに最後に夜が明けて「流れ星がそっと朝を滑ってこぼれ落ちて」いってしまう構成とか、もうこれまひるちゃんの歌じゃん…と思ってエモい気持ちになってしまった。っていうか「まひる」って夜空の星を見られないって意味か。うーん今日映画を見ようかな。

にょ