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『断薬記』上原善広

2022年10月の読書 『断薬記』上原善広


 冒頭、2012年5月に上原が三度目の自殺未遂を起こしたことが書かれていたので、ひぃ、と思った。

 なぜかというと、その2012年5月にわたしはこの人に会っていたからだ。
西村賢太と合同の、新著のサイン会&トークショーだった。

 列に並んでサインをもらって、二言三言、言葉を交わしてもらったのだが、えらく暗い人だな、とそのとき思ったのだ。
 まさか、死のうとしていたとは。

 上原は西村賢太への献本に「兄」、「学兄」と宛名を書いている。

 西村が「物心ともに体を張ったルポルタージュ」だと呼ぶ(『一私小説書きの日乗』2012年5月24日)、上原の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作『日本の路地を旅する』(文春文庫 2012)には、淡々と静かに熱く正直な西村の解説がある。

 朝起きられない、会社行くのめんどくさい、人付き合いが苦手、お金がない、あっても使ってしまうし貯められない、それで貧乏、あれやこれやがやめられない、、、モテない。この程度のことで私が西村賢太やその私小説の主人公であるところの北町貫多に覚える親近感だとか共感だとかいった生暖かいものを、木端微塵に吹いて飛ばすようなものが、この二人の間にはある。

 それは、とてもではないが、私のような者が「わかる」だなどと軽々しく言えないし、言ってはいけない。

 だから、その上原善広をここ(note)で見つけたとき、また、その『狂人日記』が彼の家庭やお子さんのことにも触れているのを見たとき、なんとも言えず、尊い、ありがたいものに思えた。
 ずっと守り続けてほしいと思った。

 何度も死のうとしていたなどとと知れば、なおさらだ。

 『断薬記』によれば、上原は鬱で数年来、心療内科に通って薬を飲むうち自殺未遂を繰り返すようになった。
 あるとき、症状が改善していないばかりか自殺未遂を起こすようになったのは薬を飲み始めてからであるということに気付いてしまう。

 そして禁断症状を出さないよう、専門医に相談しながら慎重に時間をかけて断薬をしたという。

 私は鬱ではなかったが心療内科で似たような薬をもらい(吃驚するほどすぐくれる)、うっかり飲み忘れて禁断症状を起こすマヌケっぷりで、しかもこれが、頭痛肩こり胸やけ吐き気耳鳴り眩暈その他諸々が一挙に襲ってくるという未曾有だったためビビりまくり、怖気づいて再度挑めるガッツもなかったところへもってきて、西村賢太に「やめとけよ、そんな怖えもん」と言われたのをいいことに、背中を押されたように受け止めて、医者には相談もせず黙って勝手に断薬した。
 いい加減な患者である。

 断薬するにも、減薬の処方箋に基づいた正しい方法があったのだということを、この本を読んで初めて知った次第。

 身体を動かすことの精神への効能を、体育大卒の著者だけにうまく書いていて、読後感は明るい。

 

 

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