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はじめまして、ばっし~です。

初めまして。笑顔が浅田真央に似てるって自己紹介で言うと「あ~~」と返事が返ってくる石橋和貴です。あだ名は「ばっし~」です
現在は管理栄養士として働いており、箕輪編集室には5月に入会しました。何者でもありません。

さて、箕輪編集室関西チームでは、自己紹介リレーをやっているということで僕も便乗して自己紹介から箕輪編集室での活動までを書きました!
明るくポップに文章を書くつもりでしたが、途中闇を感じる部分もさらけ出して書きました。
ただ、正直に自分と向き合い文章という形あるものにアウトプットしたので、お時間あるときに読んでいただきたいです!
それでは始めます!!

幼少期~高校時代まで

僕は3歳から約20年間水泳をやっていました。
なので、どの時代でも代名詞は「水泳」でした。
本格的に競泳をやり始めたのは中学時代です。週に8回の練習、土日正月お盆休み返上で練習をしていたため両生類になってしまう…と思うくらい打ち込んでいました。
高校時代も一筋さは、変わらず。温水プールのある高校に入学しました。ここでは伝統の練習メニューであった100m×100本、4800M個人メドレーなど、今となっては思い出に残る練習をしていました。
これだけ打ち込めるものに出会えたことに感謝。大変だったこともあったけど、困難に立ち向かう精神力はここで鍛えられたと思います。
ただ、自分から水泳を取ったら何も残らないと思うようにもなっていた、ばっし〜少年。大学時代に続く…

諦めきれなかった目標に挑戦した大学時代

大学時代は水泳以外の違うことしよーーと思いながら、「水泳部」に入部。
どうしても出場したかった全国大会への挑戦を諦められませんでした。
結果からいうと全日本学生選手権(インカレ)には出場できませんでしたが、なんとか国公立だけの全国大会に2回出場できました。(やったね!)
これは、1~2年生の頃のお話。ここまでは順風満帆で、やる気に満ち溢れていました。

組織を導く難しさを知ったキャプテンという経験

3年生になる年、先輩方からのご指名でキャプテンになりました。初めてのキャプテン。期待と不安でいっぱいでしたが、やる気に満ち溢れていました。(うおーーー!!!)
しかし、キャプテンになってから、1人、また1人と退部者が、、、
これから頑張っていこうと話していた仲間が時間が経つにつれて、離れていきました。
本心を聞いていないので真実はわかりませんが、個人的に原因だと思っていることは「モチベーションの違い」ではないかと思っています。

辞めていった人にもそれぞれの人生があるので、全然悪いことではないと今では思えますが、当時は「裏切られた」という気持ちも。自分の未熟さを知った出来事でした。そして、それぞれのモチベーションへのギャップをうまく感じ取れなかった、自分の責任だということも当時は感じていました。
それから、信頼していた先輩が手のひら返したように態度を変貌したことや廃部の危機が重なり、今までに味わったことのない、孤独感と虚無感が襲ってきました。

大切なものを失い、水泳しかないと思っていた自分にとってこの「部活」というコミュニティが崩れることは、人生が終わったと同じ意味に感じられました。

それから今でもいろんなことを考えます。
あのとき、どういう選択をすればよかったのか。
これから同じ失敗をしないためにはどうすればいいか。
良いコミュニティとは何なのか。

この失敗を失敗で終わらせないために、自分が出来ることは何なのか。
この出来事が箕輪編集室に入る大きなきっかけの1つになりました。

人生を考えるきっかけになった出来事

部活動も引退し、就活生だった4年生。僕はこの年、アカハラを受けていました。アカハラとはアカデミックハラスメントの略。歴としたハラスメントです。
詳しいことは書けませんが、最終的に感じたものは「絶望」です。

冷たい絶望。自分が存在していいのかわからなくなり、自暴自棄になる。
そんな毎日を過ごしていました。
しかし、ハラスメントって基本やってる側はその自覚がありません。

その時、思いました。

「なぜ、自分は他人の人生を生きているの??」

「自分はどう生きたいのか?」

絶望の中で自分に問い続けました。

しかし、今でもその答えはまだ見つかっていません。
そもそも答えなんかあるのかもわかりません。

ただ、この絶望を抜け出すためには、この問いについて考え続けなければならないと感じました。
そして、自分を知り、他人とのコミュニケーションの中で、希望を見つけだそうと動き始めました。
ここからは箕輪編集室についてのお話です。

1冊の本との出会い。編集者箕輪厚介。

自分とは何のか。そんなことを考えていたとき、1冊の本に出合いました。

それが前田裕二さんの「人生の勝算」

・逆境から這いあがっていく前田さんのストーリー
・自分のコンパスを持っているか?
・圧倒的努力

これだぁぁぁ!!!!
考え続けてきたからこそ、引き寄せの法則発動してるぅぅぅ!!!

電車で読みながら、興奮しっぱなしだったことを今でも覚えています。笑

それから、自分の人生という航海にコンパスを持つことを決意。
そして、この本の編集者、前もどっかで見たなぁと気になったのも、この頃からでした。

ついに箕輪編集室へ!!

時は流れ翌年の5月。僕はマクドナルドにいました。

スマホの画面を見て、心拍数が上がっています。(注:やらしいものは見ていません!)

その画面こそ、箕輪編集室1000人でいったん止めますというツイート。(結局1000人超えても募集しているけど笑)
この時すでに、箕輪さんの魅力に惹かれていて、死ぬこと以外はかすり傷という言葉も知っていたまさにミノラー状態。

10分前までハンバーガーをただほうばっていたのに、なんだこの緊張感。

どうする?どうしよう…

最後に背中を押したのは「死ぬこと以外はかすり傷」という言葉。
お金は何とかなるでしょう。やらない後悔より、やる後悔。いこう!えいっ!

こうして、5月にめでたく箕輪編集室に入りました。

入ったのはいいものの箕輪編集室で何をしよう?

6000円も払ってるし何か行動しなくちゃ。
さすが関西人。お金は大切。元を取らなきゃ精神が働き、6000円が行動を催促してきます。

ここで見つけたのが当時の映像・音声チーム。現メディアチームです。
パソコンで動画作成なんてあんまりしたことないけど、面白そうだし入ってみよう~~という感じで入りました。

それから数日後「6月の新歓オープニング動画やってみませんか?初心者でも大歓迎!」という言葉を鵜呑みにし、死ぬこと以外はかすり傷だし、手をあげてみよう、、、!!
こうして、動画作成ソフトを何も持たない状態で震えながら手を挙げましたとさ。

勇気ある1歩を踏み出したのはいいものの、、、

一応、このような行動をしたのには訳があって、先にやらなきゃいけない環境を作れば、行動するでしょ!と思ったから。しかし、初心者が作ろうとしても何から手をつけたらいいのか。
そこでメディアチームのタカオミ大先生の初心者でも作れる動画講座を視聴。

とりあえず、affter effectsのソフトインストールしよう。(←この時点で締め切り2週間くらい)

あーーかっこいい動画作りたい、、やり方わかんない、、
けど、もう挙げた手を下すことはできません。

やれることをやるしかない!と思ってなぜかみの編のnoteを全て読破。自分の中にみの編をインストールして、動画作成に臨みました。

ほんと死ぬこと以外はかすり傷。挑戦してよかった。

コンペ形式だったのでもう一人の立候補者、森川大先輩の動画が超超超格好良く、比べるまでもないなと思っていました。当然選出されず、オープニングには流れませんでしたが(それが当たり前と自分で思うくらい作った動画のクオリティ低かった…)運営さんのご厚意で懇親会で動画を流してくれました!(会場には行けなったけどうれしかった!)

トップクリエイターや動画を作ることを仕事にしている方もいる中で、震えながら手を挙げて、怖くなって逃げだしたいと思いながらも、手を動かし続けられた。
とてもとても貴重な経験をさせて頂きました。

まとめとこれから

さて、大学生活で絶望を味わい、それでも浅田真央ちゃんのような国民的笑顔でいられるように頑張っていきたいと思っていた、ばっし〜少年。(もちろん大学生活は楽しいこともいっぱいありました!)
箕輪編集室と出会い
・行動することの大切さ
・自分のコンパスを決めつつある
・もっとコミュニティのことを知りたい!

などなどいろんなことを考えるようになりました。

動画ももっといいもの作りたいと思っています!
(そのためにまずフリーズするパソコンを買い替えるところから始めよう)

みの編関西新歓、箕輪ユニバース、東京の活動の方にも行ってみたいな。
たくさんの人と関わっていく中で、人生のコンパスを決めていけたらと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

石橋和貴

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