「絵画」と「音楽」における共通点

どうも、ボクです

先日、彼女(※当時のね)と横浜美術館に写真展をみてきました。

ロバード・キャパ / ゲルダ・タロー 2人の写真家 

1930年代から40年代における、報道写真(主に戦争がメイン)が展示されており、
世界的に有名なこの2人の写真が約300点ほど公開されるということで、よい機会なので行ってきました。

ボクは当初、戦争などの報道写真には興味がなく、むしろ毛嫌いして避けて通ってきました。
おわかりの通り、リアルすぎる生死の争いに目を向けるだけの勇気がなかったからです。
また、写真芸術(?)のすばらしさ(?)に心を打たれた経験がなく、お金を払ってまで見るものかどうか、躊躇する節がありました。

実際、当日も展示品を眺めながらも、「あまりピンとこないなぁ」感がとても強く、
来場者の数も休日ということも相まってかなり多かったことも後押ししてか、
すぐに疲労してしまい(最近を何かとすぐに疲れます・・笑)、途中で彼女に休憩を申し出たほどです。

その休憩中に、事件は起こりました。
ほんとうに些細なことですが、足を休ませ考えに集中した途端、
バラバラになっていた考えや感情が、一気につながった気がしました。
それは、吐き気すら覚えるほどでした。
普段からよく頭痛になるので、「またいつものかな?」なんて思っていう考えすら、すぐに否定できました。

その膨大な数の写真から、被写体の「感情」や「時代背景」、「社会風刺」など、
ありとあらゆる情報があふれ出ていることを、認識することが、おそらく生まれてはじめてできたのです。

その内容はとても言葉に言い表すには、適当な表現が見当たりません。
とにかくボクの心に重く重く重くのしかかりました。

なにより、日を追うごとに、その重圧は増していきました。
いまでも、展示された数々の写真らを思い返すだけで、胸やけがしてきます。
当時は1枚の報道写真にすぎになかったのかもしれませんが、
一人の人間が命をかけて撮影した写真が、半世紀たったいまでも、人の感情に呼びかけることができるということは、奇跡的なことではないでしょうか。


別の角度から思考することにします。
ここからが、本題です。

絵画(写真含む)は、「時間」を切り取り、現物として残すものであると仮定します。
音楽は、「時間」の芸術と仮定します。記録媒体は、CDなどに限定されます。

絵画と音楽の決定的な違いは、
絵画は「目視可能」、音楽は不可能という点です。

目から脳に作用するか、耳か脳に作用するかの、経路の違いです。

例えば、今回の写真展における衝撃は明らかに「目視」により脳に作用しました。
では音楽はどうでしょう。

音楽を聴く側、聴衆からすると、CDやMP3音源の場合は、耳から情報が入ってきます。
音楽を演奏する側、奏者からすると、「楽譜」を通して、情報をアウトプットします。

そこで、この「楽譜」と「絵画」に共通点があるのではないか?と仮定しました。
楽譜は、演奏記号であり、絵画や写真のように風景や人物描写はありません。
どうみても記号です。
ブラームスのように、スコアが数列正しく配置され、数学的な楽譜もありますが・・。

不思議なことに、単なる記号の集まりの「楽譜」を演奏すると、すばらしい「音楽」へ変わります。

絵画と同じように、音楽も芸術として後世に称えられるポイントはここだと思います。
脳に作用する瞬間は、どんな事象であろうと所詮は電気信号です。

というとは、視覚的に情報量が多い絵画と、視覚的に情報をインプットする「楽譜」が、
芸術に向き合った人にとってのファーストインパクトになります。
そしてその「楽譜」から何を読み取るか、「絵画」でいえば、その絵から何を感じるかが、
大事なことではないでしょうか。

幸いなことに、「音楽」はマクロ的視点で未完成な芸術です。
未完成とは、演奏されなければ、だたの「記号が書いてある紙」だからです。
「絵画」は既に完成されています。

「絵画」は、見る人の感性を刺激します。
「音楽」は、まず「奏者」の感性を刺激し、その次に「聴衆」の感性を刺激します。

「奏者」が楽譜に対し、真摯に向き合っていない限り、
そのアウトプットされた作品を目にする「聴衆」が感動することはないでしょう。

学生の頃から、「楽譜の裏の真実」を感じることが大切だと、
なぜ符点8分なのか、なぜ強弱記号をつけるのか、作曲者な何を想い、何を伝えたかったのか、よく師に問われていました。

いまになって、はっきりとわかります。
いくらパフォーマンス的なことをやっても、音楽に真摯に向き合ってなければ、
お客さんを感動させることは、その場しのぎの小手先の技術を使ってできても、
最終的に、ファンにはなってくれないと思います。
一生懸命、伝えたい何かがあるからこそ、音楽はすばらしいと思います。

自分の命よりも優先した報道写真から、戦争の悲惨さや人間の愚かさを伝えてくれた、
この2人の偉大な写真家に、敬意をこめて。

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