何のために運用しているのか?
改めて確認すると、以下のような言葉となる。
経済的選択肢とは何か?
自身の老後資金の問題もある、家族を守るためでもある。これ以外に両親の老齢の問題もへの備えという側面がある。
本当の孝行とはなんなのか、考えている。自分はまともな孝行はできずにこの年まで生きてきた感覚がある。ただ、経済的に自立しているので、そこはよしとする。
自分自身もそうだが【長生きするリスク】を想定しなければならないと思う。寿命は短いのか長いのかはわからないが、思い通りにはならない、ということは確かである。
僕は政府を信用していないので、あと25年後ないし30年後に生きているとして、得られる年金は悲惨なものになると考えている。
自分にとって、自由は非常に大事で、自由という言葉の内側には、比較しない、故に比較させない、ということを含んでいる。
ただ、この世は不自由で、ある種呪いのように比較や差別、区別がつきまとう。
これは厳しいことで、誰も代わってくれない。何が正しいのか、全然わからない。ただ、起こり得る可能性については、予め先立って備えはしておこうと思う。
経済的選択肢の確保、というか、自分と家族のために、この数年続けてきた運用というテーマだということを確認した。
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