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幸福の在りかを探る ーコーチングの重要性ー

前書き

今日は「幸福の在りか」を探るということで、初めて触れた『倫理』という考え方からコーチングに生かすことができるポイントをまとめてみたいと思います。
初めて触れた倫理ということで、この道の方からは多くのご指摘があるかと思いますが私なりの主観や経験などの『考え方』を一部参考程度にご覧いただければと思います。


幸福の在りかを学ぶ時代

まず触れるべきは、子どもを取り巻く時代の背景です。
昭和、平成、令和と日本の環境は大きく変化しています。その多くの影響を子どもは受けています。
様々な豊かさが広がるこの時代、特にインターネットの普及により子どもを取り巻く環境は遥かに豊かさを増しています。インターネットだけではありませんが、様々なコンテンツが手軽に手に入る時代は文字通り豊かと言えるでしょう。
ここでは所得やカネによる豊かさではなく、様々なコンテンツや選択肢が以前よりも手軽に手に入るという意味で豊かという言葉を使います。

私の周りにいる子どもたちもきっと同じです。
将来の夢ランキング1位を「ゲームプログラマー」が取る時代。確実に子どもたちの興味関心は変わっています。
日常の変化は、子どもの生活を大きく影響し、新たなマインドを生んでいることでしょう。体を動かすことよりも指先を動かすことの方が多い時代が来ています。

私が考えていることは、現状の子ども社会が良い悪いではなく、この環境の変化を開くとするのではなく、新しい時代にフィットするコーチングが必要であるということです。
例えば、

ゲームをやらせない。ゲームをやめなさい。

こういった言葉を子どもにかける大人は、
禁止を強要するのではなく、きっと言葉の背景にある、日常で大切にして欲しい「時間の使い方」や浪費する時間をもっと有意義に使って欲しいという思いがあるのかもしれません。

しかし、子どもは友達とゲームをやる時間に幸福を感じていると思います。幸福を取り上げてしまうことは子どもにとっては非常に苦しいことだと思います。


正義vs正義

前章の話は、正しいことと正しいことがぶつかっている状態にあります。
ゲームをすることは楽しいし、子どもには楽しいことをして欲しい。
ゲームよりもっと有意義なことに時間を使って欲しい。
この二つの考えはどちらも両者にとっては正しいことです。

以前アンパンマンを題材に勧善懲悪について記事を書きました。

BLMも同じような側面を持ちますが、正義と正義がぶつかるときに必ず争いが生じます。

これは違う意見を持つ両親の間、チームメイトの間、上司と部下の間にも生じます。世の中にはどこにでもあることです。
自分の要求が「わがまま」になるか、紙一重というケースも多いと思います。例えば、家のルールを破ってまでゲームに熱中してしまう状況や親のお金で課金をし続け、高額な請求が来てしまうなどの他者に迷惑をかけてしまうケースというのは弁解の余地がない「わがまま」であり、大人として『指導対象』となって然るべきです。

正義と正義がぶつかるときの解決方法は、
歩み寄りと譲り合いしかありません。しかし、この2つができる人は非常に器量の多い、優れた人間です。非常に難しいことです。


解決よりコーチング

さぁ戦争が始まるよ!
という段階で、解決策を模索しようというのは非常に難しいですので、未然に防ぐということを心がけたいですよね。

『幸せのありか』をコーチングしてあげることは子どもの教育にとって重要です。前述の、ゲームより有意義な「時間を浪費ではなく、投資できるような使い方」という根底にある大人の願いをしっかりと導いてあげる作業になります。コーチングとは立場によって内容が変わってきますので少しそこにも触れたいと思います。

親という立場で、指導や教育、コーチングをするのは少し難しい気がします。子どもの愛着や家庭というもののあり方によって異なりますが、基本的に子どもの安全地帯として寄り添う必要があるからです。
親=マネージャーという感覚の方が良いかなと思います。
寄り添い、導くというよりは、
寄り添い、支えるというのがマッチすると思います。

親の役割としても子どもが成長していくプロセスを計画し、実行する。そしてチェックするというマネジメントと捉えていくと分かりやすく、中で育ち外で学ぶという構図を作ると親自身も楽ではないかなと思います。
マネージャーであると同時にリーダーやプロデューサーでもありますよね。その辺りは今回割愛します。

コーチとして考えることは、楽しいことを矯正し、押し付けるのではく正義と正義がぶつかる間での通訳のように思います。

ゲームをしたい!
ゲームが楽しい!!
vs
ゲームをやめなさい!

の間にある、言葉になっていない大人の思いを通訳し、子どもが寄り添える形を作る工夫です。もちろん、子どもが寄り添う前に僕らが寄り添います。
こちらも以前、ピーキング(選手とのすり合わせ)の重要性同様に事前に子どものメンタリティに対するチェックやコミュニケーションがコーチングを成功に導きます。

この通訳は子どもに正しいことを教える時に必ず必要になります。
大人の『正しい』が子どもの『正しい』と同じでない可能性、共有が成功しない可能性が高いからです。

余談ですが、
コーチの正しいと選手の正しいが衝突することが多い、もしくはコーチの正しいを強要されるだけという環境は多いです。特にピラミッド型のトップダウンによく現れます。子どもが悲しんでいるケースをよく耳にします。
これは「受容」と「発信」のバランスが崩壊しているからです。
この辺りも割愛します。


プロ的動機付け

「うちの子、やる気がないんです。」

プロとしてコーチングをしている僕が一番避けたい状況です。
やる気、モチベーション。私もこの言葉を捉えるまでにものすごい時間がかかりました。子どもにモチベーションの維持を求めることは完全に大人のエゴであると考えるようになりました。

モチベーションには何段階にも分かれます。

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こちらの画像をみて分かるように、自らの欲求を適切に表現するにはそれ相応の下積み、つまり基礎が必要であるということと、大人が求める『期待に添えるやる気』というのは高次欲求であると考えると、高い水準でモチベーションをキープすることは難しいことだと理解できますね。

さらに、集団になるともっと難しいく、
集団が持つ属性によってモチベーションの在りかが変わってきます。

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そもそも目標実現からメンバー間に亀裂が入ってしまうケースもあります。

機能組織側、とにかく成果を出したい人間からすると、共同体組織的な活動の参画は、NO MOTIVATIONと判断されることが多いです。
これは子どもvs大人も同じです。親vs子どもも同じです。

成果を求める親に対して、エンジョイに生きる子どもがいるとします。
これは組織の属性同様にゴールが異なっているため、親から見ると

「うちの子、やる気がないんです。」

という状態が起きるのです。
ここでの解決策は、物事を見つめる角度を変えることです。

例えば、やる気の有無で習い事をやめる、やめないではなく、
楽しいか楽しくないかという観点でみてみるとします。すると新しいことが見つかる可能性もあります。

楽しくないのであれば、なぜ楽しくないのか?という新たな発見につながる可能性があります。
子どもの特性として、楽しいと思ったことがつまらなくなるプロセスには重大な原因が隠れています。そこを見過ごしてしまうとのちに大きな問題に直面することがありますので、大人は要チェックです。

さらに、その重大な原因は正しく向き合うことができれば子どもの大きな成長につながります。正義が正義を乗り越える瞬間が訪れるからです。


幸福の在りかは?

最後に、幸福の在りかについて少し書きたいと思います。
今現在、多くのモノに囲まれて生きている子どもにとって真に幸せを追求することは少し難しいかもしれません。大人でさえ気づいていないことが多いです。

幸福というのは時々に変わって良いものであるはずだし、その幸福を見つめて日々を生きていくことがとても大切なのかなと思います。
学ぶことで多くの気づきに恵まれ、新たな気持ちを抱くこともそうです。
人々と触れ合い、繋がりの中で新たな自分に気づくこと、学びを得ること、自身を高めることなど自己実現に向けて日々を過ごすことも幸せに結びつきます。
安らぎの瞬間、ちょっとしたひとときの穏やかさなど幸せに感じる瞬間は人それぞれであり、人を傷つけないことで多くの人が幸せを感じることができる倫理的な視点も素晴らしいと思います。

幸福はいつでも自分自身の中に秘めていて、『気づく』ことができれば、皆幸せの在りかに辿り着くのかもしれません。

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