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初志貫徹〜Tanimura is BACK〜6年目のストーリーテリング

前書き

どうもこんにちは。今日は次年度に向けて今まで経験したことをさらっと紹介して自身への振り返りと、忘れてはいけない思いとかその辺りを表現できる記事になればいいと思います。

この記事の始まりは昨年10月。ありがたきジョブオファーについて、
”略歴書をちょうだい!”と言われたところからです。

どうぞ、楽しんでいただけたら嬉しいです。


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Tanimuraは一体何者なんだ?

略歴書か、うーん。久しぶりに書くなぁ。何を書けばいいんだろう?
そう正直に思いました。というのも、自身の経歴を文字に起こすとなると非常に膨大で、何を伝えたいかぼやけてしまいそうだな。そう思いました。今まで、僕の為人というのはこのNoteに書き連ねてきたので僕のノート読んでもらえると早いよね!と思う反面、この膨大な情報量を簡潔に人に届けたいとも思いました。特に僕の記事やSNSの投稿を読んでくださる人の大半は30〜40代の男性、文字が多すぎて読むのだるい!なんてご意見を奥様方からいただきます。(笑)そして、僕に関わってくださる多くの方からは、冷酷で生真面目な青年という印象を抱かれる方も多くのその辺りを払拭したいとも思いました。(笑)

まず、僕の経歴について触れていきましょう。

1993/09 タニムラ家の次男として誕生
~2005/3 サッカー少年としてアスリートの基礎となる期間を過ごしました
2005/4 人生のビッグイベントであるバスケへの転向
~2013/12 バスケットマンとして学生時代を謳歌
2013/12 大学の体育会を辞め、渡米
2015/1 帰国
2015/8 地域団体であるクラブチームを設立/コーチ業を始める(部活動)
2015/12 中学生を迎え、育成年代のチーム発足
2016/5 最初の会社に入社(世田谷区の学童)
2017/8 最初に作ったチーム(プレイヤー)を辞め、コーチを主に活動開始
    外部
    世田谷区児童課主催バスケ教室講師
    千代田区主催バスケ教室講師
    調布市バスケ教室講師
2018/4 NPO法人の設立/会社を退職
    クラブチーム代表、ヘッドコーチ就任
    外部
    中学校部活動のメインコーチ
    千代田区主催バスケ教室講師
    調布市バスケ教室講師
    区内クリニック
    コーチ業を本業に、副業としてさまざまな会社に出入り
    副業
     スポーツインストラクター(有資格)
     英語の学童
     家庭教師(個人学童)
     講演会講師
     教育支援センター勤務(要配慮児童・生徒の支援)
2019/4 初めてのコーチとして外部チーム年間契約(高校部活動)
2020/6 バスケアパレルブランドプロジェクトチーム加入
2021/4 世田谷区主催幼児児童運動能力教室監修
      同   成人向けコンディショニング教室監修
      同  高齢者向け運動教室監修
2021/8 バスケ大会事業プロジェクトチーム加入
2021/11 インターナショナルスクールヘッドコーチ
                    現在に至る

非常に濃い時間を過ごさせていただいています。
経歴を見ていただけるとわかるのですが、子どもの育成・教育シーンに対してスポーツであったり遊びなどを通じて切り込んでいくことが僕のプロ領域で、加えてバスケで培ってきたノウハウや人脈で専門性を開拓していく領域で主に活躍をさせていただいています。バスケのプロコーチであるのですが、実はそれと同じくらいの時間を多くの子どもの育成時間に費やしていて、空いた時間は全部バスケ(プレー)の活動に充てているというのが『僕』です。そんなこんなで2021年は夏休み以降140連勤くらいしていました。(笑)


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仕事を始めたきっかけ

結構大きい声で言っているんですが、大学を卒業する時には本気でプロバスケ選手になろうとしていましたし、そのチャンスを提供してくださる方も多かったです。そう、結構やれるんです。(笑)でも、アメリカ留学で衝撃を受けてしまって。バスケットボールネーションなんですよね。育成からトップまで、部活動だって日本とはまるで規模が違うし、バスケットボールを120%楽しんでいる国民に触れ合い、もう全ての価値観が変わってしまいした。

日本がアメリカみたいになればいいのに!
それは日本のバスケシーン全てに当てはまる僕の想いで、それを体現するために自分は何をすればいいのだ!と考え、
プロになって僕の考えを世の中にPRするより、僕が育成に回って内側から変えていった方が遥かに早いと考えました。例えば、子ども20人を僕イズムに育成して、バスケ界にあなたのEffortやOpinionを還元できる人間になりなさいと指導する。その指導を行うために協力者を集めていく。
それは子ども一人に対し、最低でも1名の大人(親)に訴えることができる。子どもが大人になっていくプロセスで最低でも5名の選手と1名のコーチに出会うことができる。その計算でいくと僕がプロになって最高数万人のファンにリーチするよりも圧倒的に早いということです。だから僕の最初のターゲットはこれからの日本で活躍をしていく子どもだっということです。

指導を始めるとすぐに壁にぶつかります。子どもに物を教える以前のステップ、要は発達段階での指導を無視して目標は達成されない。だから最初に子どもを育むプロになることを目指し、入社し、そのノウハウや先人の知恵、経験を手っ取り早く手に入れようと考えました。教養を身につけ、資格を取得(放課後児童指導員)し、と順調でしたが、そんな時ちらっと考えが変わります。バスケのことをなんとかしようとする以前に子どもの教育シーンがこれではいかん!そこでの学びをバスケの指導シーンで生かすことに。
気がつけば、僕の指導は完全に放課後児童育成の延長線上に。
「バスケコーチだよな?」という自問自答をひたすらに繰り返す日々もありました。

そんななか、結果を出してくれる代もあれば、自分の力のなさが顕著に現れる代も・・・
それでもありがたいことに『プロコーチ』としての仕事が僕のところにいただけるようになりました。自分がプロとしてやっていくことはできるのだろうか、不安が勝っていたと思います。でも、やることは結局、選手が伸びるために必要な経験を積ませてあげるという教育的側面の強さであったり、そこに必要な専門性やバスケットボールの専門性、この辺りは全くと言っていいほど充実した経験が自分にはありました。恩師に感謝です。国内では自分はいいコーチであるという自負と経験をたくさん積ませてもらいました。その間はクラブをあけるというフェーズになりましたが、この3年で学んだことは遥かに多く、感謝しかありません。

積み上げたものは一瞬で崩壊
僕の中でショックが起きました。それは海外プロコーチとのセッションで。

「レンサン、ニホンノバスケヲオシエルノスゴクジョウズ。コドモオシエルノジョウズ。デモネ、カイガイモットスゴイ。」

10月のジョブオファーから今日に至るまで、僕ははっきり言ってショックの連続です。このショックは、SHOCK、つまりポジティブなショックです。
海外でビギナーからエリートまで指導経験がある僕の中で新たな師匠は本当にすばらいい。これ以上の褒め言葉はない、国内で比べるとナショナルレベルを指導できるコーチです。(Bからは当然オファーが来ます)
もう、クラブ構造、指導の構造、全てにおいてこれから丸パクリしようとおもっています。ここは本当に語り尽くすことができない厚みの学びがここ数ヶ月で僕に降りかかってきています。とにかく、僕はあくまで日本とアメリカの一端しか見てきていなくて、海外の事例とかはそんなに知りませんでしたが、こんなにも素晴らしいものがあるのか!!!!!と。
崩壊したものは一瞬で再構築され、より強固なものになりましたので、披露します。


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さぁ、I am Back

こうして僕はひとまわりふたまわりの学びを持って、競技シーンやコーチングシーンに戻ってくるのです。遥かに強い自分になって、たくさんの武器を持って”コーチ”という責務をまず全うしたいと思います。ここでは他の話にも触れたいと思います。

父になって帰ってくる
実は、家庭を持ちました。2020年に第一子が誕生、続く2021年にもう一人の命を授かり、父として僕は新たなロールを手に入れて活動しています。年子ブラザーズは今日も元気よく悪戯をしています。それだけでなく、幸せなことにもう2人の子どもの父親としても役割を担うことになりました。
はっきりと申し上げると、世の中の見方がガラッと変わりました。完全にオーバーワークな毎日ですが、そんな環境で生きている僕にとって、家庭への目の向け方、自分の領域以外の子どもの教育の見つめ方などあらゆる能力を引き伸ばすベースになる体験を毎日家庭でするようになりました。ただし、睡眠時間も確保できない、4人のモンスターに振り回される怒涛の日々です。
今までのコーチングスタイルは正直トップダウンで、寄り添いながらも完全に自分の意見を押し通し、統制を行うスタイルでした。(2018年ごろに改革。)もともと考える力とか主体性にフォーカスしていたのですが、それも割と押し付けるスタイルで。でも、今はどちらかというとそう言った表面上の思考とか、そういうところではなく、マインドを形成するような指導に切り替えて行っております。圧倒的に変わったのは、指導のこういうところだと思います。親目線、これは最強です。
ただし、親がなんでもできるわけではありません。家庭に入れば僕はコーチではなく、保護者ですから。保護者としてのサポートをしなければいけません。これは似て非なるもの。コーチとカウンセラーが対極にいるのと同じです。だからこそ、これから僕が持っていく視点というのは、コーチとしてプロで活動している保護者がこんなシステムやサービス、コーチがいてくれたら嬉しいという観点で物を作っていくことだと思います。
これこそが、6年目のストーリーテリングの本題です。だからこれが正しいのだと言えるような人間になれるように努力をしていかなければいけません。

コーチング
コーチとしてできることは、とにかく選手を伸ばすことです。そのためにはまず伸びる人間へと成長する基礎をつくってあげることです。昨今は特に難しいことです。例えば、不況が続く中で保護者と子どもの関係性、実際に関わりをもつところを支えることであったり、多様な状況下に置かれる子どもが伸び伸びすごせる場所を作ることであったり。初志貫徹というのはまさに、子どものことを考えてあげて、そこに大人がしてあげたいことを積み上げていくことなのです。子どもにとってはバスケットボールが最重要課題ではないということをきちんと伝えられる指導者になれるかというところ。勝利が一番だなんて言語道断です。そして、取り上げられ続ける子どもの輝きの舞台。子どもを輝かせるのは大人の役目です。プロ興業だってなんでもそうです。大人が輝いているのを演出して子どもの心を動かしてナンボです。そこで一番輝いているのは演出されて輝いている大人じゃない。将来や未来に向けて『目を輝かせている、心を踊らせている子どもの姿』なんだと。そのような大人にまずならないと、本質を見誤り続けてしまう。そう強く思うのです。


後書き

さらっと自身の話と今胸に秘めていることや今の僕の語らなかったポジションなどを今回は文章にしてみました。僕は何をしても、どこにいてもやることは変わらないです。人の心を掴んで離さないように自分を磨き続けること。どんな活動を通じても、それを表現すること。ただそれだけです。未来のためにできることを着実に、日々行っていくだけです。


PS
どんどん僕の記事を読んでください。その時間、無駄にはさせません。
僕が学びを深められるのは、Tanimuraというコンテンツを楽しんでくださる皆様がいるからです。僕が死んでしまうと、僕がプロジェクトを通じて世の中に行っていることが全て無駄になってしまうので、今後ともよろしくお願いしますね!
駄文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。最後にリンクを貼っておきますのでそれぞれチェックをお願いいます!フォロー、チャンネル登録をお願いします。

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