斑鳩ルカが、全てを吹き飛ばした。

なんの説明もなかった。
きちっとした、昨日からの流れに沿って、丁寧に終わったライブだった。
1日目の流れで分かっていた。事前に事務員アナウンスがあればライブは終わると。アンコールや次のコンテンツはなく終わると。
特に足りないものもなかった。
2日目は、1日目にはなかった発表、4thライブの発表。
4thライブもただ「やる」というだけではなく、タイトルコンセプトも含めての発表。
ああ、これが2日目のサプライズ発表だったか。
誰もがそう納得し、283プロのコンテンツを楽しんで、終わる余韻に浸っているところだった。
足はやに帰ろうとしている人もいる中で、彼女は突然現れた。
なんの説明もなく、283プロでもない人間が突如歌い出し、そのパフォーマンスは、孤独で、広い広いステージ、先まで11人が動き回っていた広いステージに、あふれんばかりのライトの中で、自由に踊り狂っていた。
終わった後も、一切何がなんだったのか、説明はない。
颯爽と現れて、全てをぶち壊して消えていった。
我々の感想は、クリスマスパーティの感想など吹き飛び、もはや彼女の話以外することができなくなっていた。
ただ我々も結局のところ、ただただパフォーマンスに圧倒されたのみで、語れることなどついぞなく、「すごかった」と小学生見てぇな感想をぼそっと呟くことしかできなかった。


すでに考察は流れているが、兎にも角にも、反骨精神を感じるパフォーマンスだった。最近「アンコールコメントをしよう!」と画面いっぱいに流れた、わかりきったアンコールとか、まあ、ある程度「何か来ますよ」という流れを作ることはあるし、その流れが読めない人がいたときに怖いから、流れを作ることがある。
というか、初めて出てくる人間で、初めて出てくるコンテンツで、普通はサプライズにしてもある程度「流れ」を作ってやるものだろう。
ましてや川口莉奈は新人声優である。
大きな舞台をいくつも経験しているとか、もともと舞台俳優で舞台を数多くこなしているとか、そういう前歴はない。
多少のご都合主義的サプライズになっても誰も責めなかっただろう。
しかし、そんなものは微塵もなかった。
むしろその「流れ」に反抗するように作られたパフォーマンスだった。
ご丁寧に用意された「283プロはあなたを歓迎しています」とでもいうようなご都合主義のサプライズは一切拒否し、完全なるゲリラライブとして一発で全員の度肝を抜き、「私は283プロをぶち壊す」と真っ向きって啖呵をきるような、斑鳩ルカの反骨精神をライブ全体を通して、パフォーマンスを通して表現しきった。

パフォーマンス。
そのタイミング。
一切用意されないお膳立て。

あれはライブを通して感じられるパフォーマンスとなっていた。
長い長いライブを見て、DAY1のライブも配信で見て、
その上で「今日のライブも、満足して終わったなあ」と心を切らせた。
その切らせた心をさらに振り向かせるどころか、観客の拍手は、283プロの面々のパフォーマンスの時よりも長く、大きいものであり、この二日間の283プロのパフォーマンスを吹き飛ばした。
それだけのことを初めてのステージでやってのける川口莉奈はいったい何者なのか?
現時点でWikipediaレベルでは全く情報がない。

福音なんていらない、神様は死んだ、って

どちらかというとOHMYGODは神に頼るというか、ありがとうというか、そういう印象を受けていたが、それに泥をぶちまけるような内容だった。

神には頼らない。
今回のステージの神は、一切川口莉奈に対して、お膳立てをしなかった。
いや、お膳立ては別の意味でしたかもしれないが、それはハードルをより高く上げるものであり、まさに、自分の力しか信用できないステージになっていた。

一度気持ちの切れた観客の気持ちを振り向かせるのがどれだけ難しいことかわかっているのだろうか?
その時点で観客は、締めにかかっている。気持ちの締めにかかっている。
その日の良かったものを再度リフレインし、自分の気持ちの整理に入っている。
よほどのパフォーマンスをぶち込まなければ、「なんか変なタイミングで、新しいのがきたな」と、気持ちが乱されるだけである。

その観客を見事振り向かせ、むしろ、クリスマスパーティの2日間を斑鳩ルカの前座にしてしまったとも言える。
それだけ衝撃的なパフォーマンスであったし、何より、これは
「二日間通しで見てきた人間」こそ味わえる快感でもある。
配信でも構わないが、二日間ずっと見続けてきて、それだけ時間を費やしたからこそ、その間に「何がくるんだろう?」と考え続け、期待し続け、夢想を膨らませ続けたからこそ「くる」最後のサプライズというものがある。

改めてアーカイブを見て思ったが、ここまで繰り返し伝えている「反骨精神」、雑に言えば「くそくらえ」精神だが、そのくそくらえ精神って、とてもきれいに収録した普通のCDの曲じゃ伝わりにくいんですよ。いや、伝わると思うんですけど、最初にライブの、あの、体の全身で表したり、「もっとふれェ!」って叫ぶなりちゃん、わざとめいっぱい叫んでいるように歌う、必死さの伝わる、むしろライブでしかできないことを全力でやってのけて、全身で「くそくらえ」をぶちまけられてしまったら、もはやCDじゃまったく足りない。まずはアーカイブは必須で見てほしい。これはCDでは絶対に聴けない。CDとアーカイブで、まず雲泥の差がある

加えて、アーカイブや現場で味わったというのも大事だが、やはり根っこは「二日間通しで見たかどうか」だと思っている。
曲だけを聴いた時に感じた物足りなさはこれだと思う。
そればっかりは、ちゃんと二日間通しで見た時間分だけ時間をかけないと、感じられない。
曲だけ聴いても、その時の感動は絶対に得られないのだ。
もうパフォーマンスがくると知った上で二日間通しでルカ目的で見ると辛いし、本当に「全く無知のままで二日間通しでみる」ことでしか得られない感動がそこにはあったと思う。
二日間溜め込んだ思い出をぶち壊しにくるそのカタルシス。

しばらくして、何も知らないシャニマス初心者が入ってきたら、何も言わずにクリパを二日間見せてあげよう。
「このライブ良かったんだよ〜」って。

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