見出し画像

トークサバイバー3が顕在化させたもの

トークサバイバー3、滅茶苦茶面白かったです。

かけてる金に見合わない絶妙なしょーもなさとか、
そんな中でも節々で見え隠れする芸人のガチ感とか、好きです。

個人的には千鳥大悟とダイアン津田とすがちゃん最高No1がとくに笑いました。
すがちゃん、いいっすよね
けっこう壮絶な人生を歩んできたらしいのにカラっとしてて、悲壮感を感じさせない
と思いきやふとした瞬間に闇が垣間見える。
辛そうで辛くない、ちょっと辛いラー油的な(?)

で、最終回まではなんの引っ掛かりもなく観ていたのですが、
優勝者が決まるくだりで「ん?」と思って、一晩寝て起きたら余計にモヤモヤしてしまっていたので、
気持ちを供養するためにこの文章を書きます。

大前提として、「そんな肩ひじ張って観るようなモンじゃない」というのはそう。

■「トークが面白いと生き残れる」というフォーマット

3の優勝者は、主人公でもある千鳥大悟。
↑で書いた通り「一番面白かった奴は大悟」って事にはなんの異論もなく、
水を絞り切った雑巾みたいになりながらも奥底からエピソードがふつふつと湧いてくるのには感動したんですが、
「大悟って、優勝できる設定のプレイヤーだったの?」というひっかかりがある。

そもそもこのシリーズ、キャッチコピーで「トークが面白ければ生き残れる」とはあるものの、
その生き残りを誰が、どういう基準でジャッジするかはとくに説明されていない。

近年の賞レースなんかだと、「採点する側もまた観客から採点される」という傾向が強く、
審査員になることにある種のリスキーさがあります。
バラエティショーとしては、立会人の滝沢カレンがズバズバと身も蓋も無い事を言って落選させたりすれば滅茶苦茶面白いんだろうけど、
その重荷をゲストに担わせるのは酷だと判断して、あえてルールを明確にしていなかったのかもしれない。

だからこの番組においては、採点の公平性やフォーマットの競技性についてをあーだこーだ言うのはヤボで、
全体をまるっと「ドラマ」として楽しむのが正しい視聴態度なのだろう・・・という認識でした。
シーズン3のラストまでは。

このシリーズにおける大悟は、一貫してドラマパートの主人公ではありますが、
トークパートではとくに特別扱いされるわけでもなく、他のプレイヤーと同等に扱われます。

とはいえ仮に大悟が脱落してしまったらドラマパートが崩壊するのは自明なわけで、
ある種の特権的な立場にあるプレイヤーだと言うのが半ば暗黙の了解かと思います。

無敵特権のトレードオフとして、優勝は出来ない。
最強であるがゆえに、No1にはなれない。
そういう認識であったのですが、それがこのシーズン3で崩れて、単なる「絶対に落選しないチートキャラ」になってしまった。

そうなった事で、今まで「言うのはヤボだな」と直視していなかったルールの不明瞭さが、一気に顕在化してしまいました。
なんなら、シーズン1でも2でも、その辺の疑問は頭の片隅にはあったんですが、
ようは「これって全部台本ありきの茶番なの?」と、(実際は違うんだろうと分かっても)感じてしまった。

これが自分が感じたモヤモヤの詳細です。
なぜこんな、企画の根本に疑いを持たせるような展開にしたのか、今でも不思議です。

■じゃあ、どうすればよかったのよ

このジレンマを解決する方法はたぶんひとつしかなくて、
ドラマの側に、「優勝、千鳥大悟」を力技で納得させる超展開をこそ準備させるべきだった。

「いや、大悟優勝にはならんやろ」
「なっとるやろがい!!!」

という理屈を超えた納得感があれば、すべてがひっくり返って
3シーズンに渡る最大の功労者である大悟に花を持たせてグランドフィナーレになれたと思う。
それでこそ、「トークとドラマの相乗効果」というこの唯一無二のフォーマットでしか味わえない体験が生まれただろうし、そういうものが観たかった。
が、残念ながらそうはなっていなかった。

そもそも、実はこのフォーマットの「トークとドラマ」って冷静に考えると水と油のまま混ざってはいなくて、
あまり相乗効果を生み出してはいないよな、というのはずっと思ってました。
1、2、3と重ねるうちにその辺の弱点がブラッシュアップされることが無かったのは、このシリーズの数少ない不満点です。

ドラマパートは、大悟以外のキャラはすべて代替可能な存在で、
極端な話、トークパートがどうなろうとドラマパートの展開はとくに揺らがない。
本当は誰が脱落したのかによって先の展開もドラスティックに変わると面白いのでしょうが、
たぶん現実的な問題として、出演者のスケジュールをそこまで流動的には確保できないとか、
脚本づくりの難易度が高すぎる、みたいな実制作上の難しさがあり、やりたいことを削ぎ落とした結果が今の形なのかも、と想像します。

もちろん佐久間さん率いる制作チームはそういったモロモロに折り合いを付けて今の形にたどり着いたのだと思いますが、
せっかくの完結編なのだから、「過去作の伏線回収」みたいなものではなく、
「フォーマットの弱点を自ら乗り越える超展開」が観てみたかったなというのが率直な気持ちです。

その辺はまぁ、いずれ作られるかもしれない「シン・トークサバイバー」に期待するとします。

重ねて言うけど、「そんな肩ひじ張って観るようなモンじゃない」というのはホントそう。

あと最後に、すがちゃん最高No1が神がかったタイミングで週刊誌報道されてて爆笑したのと、鈴木杏樹さんの狂信的なママにはゾクゾクしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?