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<一人お悩み相談室>誰からも大切に扱ってもらえません

<自分の悩みを自分に相談してます。>

相談内容:誰からも大切に扱ってもらえず苦しいです。

誰からも大切に扱ってもらえない。大切にされなかったということに気づき寂しいです。親は尊重してくれていなかったし、幼馴染からも尊重してもらえていなかったことに気づきました。私が具合が悪いといっても快く帰宅を許してもらえませんでした。つらくて苦しいです。

回答:まずは自分を大切にすることを最優先に。

愛する、愛されるということはどういうことだと思いますか。

愛する。愛される。

無条件の愛を知っている親に育てられていないと愛を知ることはとても困難なのだと思います。

私は母親から否定されて育てられました。母親が正しい道へわたしを導く。間違っていることはただしてあげることが親の愛だとおしえこまれ、人に自分が正しいと思っていることを強要することが愛することなのだと信じて生きてきました。

「好き」もわからなくなっていることにすら気づかずに好きでもない相手と結婚し、いろんなバランスがくずれていくなか、助けを求めた本に書いてあった

「愛するとはその相手を変えようとしないことである。相手を変えようとすることは愛を奪っていることなのである。」

という内容に愕然としました。なんとなく、相手に押し付けることは違うのではないかと思っていたのです。

相手を変えようとしないこと。すなわち、相手を尊重するということです。

「愛し、愛される関係」はお互いの尊重なくしてなりえません。

なので、

大切にされていない。と感じることは、愛されていないのです。

どの関係を思い返してみても、「押し付けられている不快感」を思い出すのではないでしょうか。

そして、気を付けてもらいたいことは、「相手を尊重する」イコール「自分が我慢する」ではないということです。

自分が我慢するうえで相手を尊重することなんてできないのです。

幼馴染は悩み事を聞いてほしくて、いつまでも、具合が悪くてもそばにいてほしかった。これまではどんなにつらい状況でも「我慢」して一緒にいてくれたのに、いきなり具合が悪いといって帰るようになったことに困惑しているのでしょう。

具合が悪くて帰るのは当たり前です。これまでずっと自分を押し殺して、我慢して滞在して、体調を悪化させて翌日から会社を休むなんてことをしてきたやり方は間違っています。自分を大切にしていないのですから。

生まれてこのかた自分を大切にするなんて考えたことなかったのです。自分を大切にしようと思っても実際自分を大切にする方法がわからないのも無理ないことです。

具合が悪くなったから帰りたいといって帰る勇気をもった自分をたたえてあげましょう。帰りたい気持ちは確かにあったのです。やり方はうまくなかったかもしれません。もっとうまい伝え方はあったかもしれない。徐々にうまくなっていけばいいのです。

もしかしたら、幼馴染も「大切にする」ということを知らないのかもしれません。彼女も誰かのために「我慢」してきて、誰かのために我慢することがその人を尊重することだと間違った思い込みを持っているのかもしれません。だから、「我慢」を求めてたのかもしれません。

まずは自分を大切にすることに注力してみたらどうでしょう。

自分を大切にすることに意識をむけて、自分を大切にすることがわかってきたら世界の方が変化をおこすような気がします。大切に扱っているもの、人のことを周りの人は大切に扱うものです。

2021/7

いいこというな>私 と思いました。(2回目)(笑)

「愛は傷つけない」という言葉が最近ずきゅーんときました。

ほんと、同じことを螺旋階段でぐるぐるあがってきてるなーと思います。




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