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FIFAクラブW杯2021決勝(チェルシーvsパルメイラス)を観て思うこと

UAEで開催(当初、日本開催が予定されていたがコロナの影響で変更)されたFIFAクラブW杯2021の決勝(2022年2月12日)をテレビ観戦した。

毎度、余計なお世話ながら、今回はこの試合を観てあれとれと。独断と偏見ゆえ少々辛口、乱筆をご容赦願いたい。

パルメイラス フェレイラ監督の戦術とブラジルにおける評価

パルメイラスは守備を固め、スピードに長ける前線のタレントがカウンターを仕掛ける戦術。

チェルシーの両サイド(ウイングバック)にはパルメイラスの対面の選手がマンツーマンで張り付いてブロックする。チェルシーの3バックのセンターに位置するチアゴ・シウバにはプレスせずフリーでボールを持たせる。そしてパルメイラスの前線3人は、チアゴ・シウバからチェルシーのボランチへのパスコースを消す立ち位置をとり、チアゴ・シウバから左右のCBにパスが入るところを猛然と引っ掛けにいく。チアゴ・シウバにボールを持たせてアタッキングサード近くにまで侵入させることで、この位置でのパルメイラスのボール奪取(現在の用語で言えばパルメイラスのポジティブトランジション)が嵌ればチェルシーの3バックの裏にできた広大なスペースに前線のスピードスター達がなだれ込む戦術だ。

資金力を背景にするとはいえ、監督就任初年度から南米を2連覇したフェレイラ(ポルトガル人)の手腕に対する評価は高く、欧州クラブからのオファーもあると聞く。しかし、深夜のテレビ中継で「守備的なカウンター戦術ゆえにクラブでの実績が評価されても国内でブラジル代表監督に推す声はない。」という。つまり、ブラジルのサッカーとしては「ノー」を突きつけているのだ。僕は眠い目を擦りながら膝を叩いた! そう、そこが重要。さすがはブラジル。

ナショナルチームも地域のクラブも勝利至上ではなく、いかにその国の、そのクラブ独自のスタイルが香るフットボールを体現することができるか、ワインでいうところの”テロワール”がフットボールにも不可欠だ。

勿論、競技である以上結果も大事。しかし、勝敗という結果だけではなく、選手の個性とクラブやその国の個性が戦術としてオーガナイズされるところにフットボールの魅力や価値があり、見る者の好奇心を刺激し続けて世界でも屈指のエンターテイメントに昇華しているのだ。

日本代表監督論に一石

監督批判の矛先はJFAに向かうべき

翻って我が日本代表 森保監督。個人的には、まず彼の人柄や真摯に自身の代表監督としての役割を全うしようとする姿勢に対しては最大限のリスペクト。

東京オリンピック、W杯最終予選を通じてのメンバーの人選や選手起用等について物議を醸すがこれらは監督の専権事項であり、文句があるなら監督を選任したJFAのしかるべき方々にその矛先を向けるべきだろう。

僕が解せないのは、日本サッカーが目指すべきスタイルを定義する役割を担い、代表監督の人事権ももつJFAから、そういったものをわかりやすく伝えてもらえてないこと(JFA内部ではテクニカル分析等がなされているはずなのに)。

例えるなら森保ジャパンは和食を得意とするシェフが作るフレンチのようなもの

世の中、何事も実績には説得力がある。だからJリーグを3度制した森保氏の実績は物を言う。しかし、彼の代表監督就任が発表された時に思ったものだ。「彼がサンフレッチェ広島を率いて実績を築いたスタイルが日本が世界と戦うためのスタイルなのか?」

彼のサンフレッチェでのフットボールは所謂、可変式の3バック(3-4-2-1)というスタイル。守備時は5バックを形成し(現代のポジショナルプレーにおける5レーン理論の攻撃に対抗する守備戦術としての5バックではなく、リスクを冒さず守備に重きを置く目的での5バック)、ボールを保持して攻撃を組み立てる際には1トップと2シャドーの3人と両ウイングバックが5トップを形成して最前線に張り、その5人が相手DFラインの裏を狙うというもの。ご存知の通り前任のペトロビッチが導入してベースを築き森保氏が踏襲したシステムである。

僕は日本の強みは日本人の特徴として際立つアジリティやテクニック、局地でその特徴を駆使してグループで連携して崩すプレースタイルと思っているので、中盤を省略して相手バックライン裏へ放り込まれたボールを狙う当時のサンフレッチェの戦術では世界で戦えないし、日本の将来のためにもならないと思ったものだ。

(卑しくも、当時、そんな森保 サンフレッチェに敗れた柳下 アルビレックス監督に「あんなつまらないサッカーに負けて悔しい。」と言わしめた。)

僕はせめて「W杯の舞台で8強以上に進むための現実解としてJFAは、守備的な戦術、即ちサンフレッチェ式の可変式3バックを選択をしたのだろう」と理解することにした。

ところが、である。森保ジャパンは一時的に3バックにトライすることはあっても基本的には4-2-3-1。最終予選で躓いて以降は4-3-3をベースに4-2-3-1を併用してここまできている。

いやいや4-2-3-1や4-3-3で戦うなら監督の人選間違ってませんか? 言い過ぎかもしれないが、当時のサンフレッチェのスタイル(極論すれば守備重視の5バック。自陣で守備ブロックを作り、攻撃では柏木あたりが放り込んで前線の5人がヨーイドンで走り込んでこぼれ球を狙う感じ)で森保氏が実績を残していても、日本の宝である久保、南野、田中碧、堂安、伊藤純也らのテクニックと連携を駆使して戦う絵を描く命題を解いたことはないのだから。そんな指揮官が、W杯の舞台で欧州の最先端のモダンフットボールに対抗する日本のタクティクスを描けるのだろうか?

久保や南野等のテクニックや連携を前面に押し出す4-2-3-1や4-3-3のスタイルをフレンチと例え、かつて森保氏が率いたサンフレッチェのスタイルを和食と例えるなら、日本代表の森保監督は、フレンチも和食も日本産の食材は共通だからと、得意分野の和食ではなくフレンチに挑戦していることになる。

フレンチを任せるならフレンチのプロのシェフを雇いたい。そういう意味では(唐突な意見と思われるかもしれないが)、実績があり、日本が進むべき”針路”のデザインもできそうな人物は個人的には風間八宏氏をおいて他にないと思う。2018年当時も今もどうして風間氏に代表監督を託そうということにならないのか理解できない。何か事情(例えば同窓である協会トップの田嶋さんと風間さんのソリが合わないとか?(笑)、トヨタが支払う名古屋監督時代のサラリーが代表監督の報酬より断然魅力的だったとか?、若い世代の指導者を育てたいとか?...があるならご存知の方、教えて下さい。

日本代表の監督人事に問題があるとすれば、森保氏が問題なのではなく、雇ったシェフと作る料理がチグハグであるかのように、監督人事と戦術がチグハグであるということと、JFAが描く針路(或いはそれについての日本のサッカーファンに対するメッセージ)が不明瞭なので、そもそも監督の人選が正しいかどうかすら判断できないことだ。

僕みたいな素人がこのように言うのは本当に余計なお世話だが、日本はまずJFAが長期・中期・短期のビジョンとそこに向かうための少なくとも現時点での目指すべきプレーモデルをメディアを通じてでももっと明確に発信すべきだ。

協会トップの責任論を恐れてか、ここが曖昧なのが元凶。そして欧州や南米のように、協会が掲げるビジョンを協会内部でもメディアや世論でもバシバシ叩かれてより正しい方向に向かわせれば良い。その過程なくして、誰が監督に適任か(=誰のサッカーが日本に適しているか)という議論自体が不毛だ。

森保氏のJリーグでの実績を隠れ蓑に過去に手を焼いたトルシエやハリルホジッチなどに比べてJFA側の立場で御し易いことを重視した代表監督の人選になっているのではないかという僕のかすかな懸念が杞憂であることを願いたい。

話は戻るが、ブラジル国民が代表監督に期待するスタイルは明瞭だ。サンバのリズムのような楽しくて愉快な攻撃的フットボール。(それでいて勝てないと監督は殺されそうにもなるのだが(笑)。)

残念ながら、というかやはりまだまだフットボールの文化的素養は日本よりもブラジルが勝るということだ。

ホニ(元アルビレックス新潟)の実力やいかに?

ホニはリベルタドーレス杯(南米クラブ選手権)を連覇した名門パルメイラスの10番を背負ってクラブ世界一を決める舞台に2年続けて登場。

アルビレックス新潟との契約中に南米のクラブと二重契約した問題で新潟がFIFAに提訴→裁定を不服としてアルビレックスがスポーツ仲裁裁判所(ワリエワのドーピング問題でも注目された所謂"CAS")に提訴するという泥仕合いを展開した新潟にとっての問題児。昨年のこの大会では奇をてらったキックでPKを外し、敗退の戦犯扱いされた。何かとお騒がせ男。

南米クラブの選手にとっては、この大会でのプレーは欧州のビッグクラブへの架け橋となる”ショウウィンドウ”としての意味合いもある。ホニのスピードが欧州チャンピオンのチェルシーに通用するのか興味を持って観た。

結果は明らかだった。ホニは再三右サイド(チェルシーの左サイド)からアタックを仕掛けるが、マッチアップするリュディガーにスピード、足元のスキル、フィジカルコンタクトのいずれも完璧に封じられた。リュディガーの安定感は見事。さすがフランス代表。現代のCBの資質として攻撃時のビルドアップ能力がクローズアップされる昨今だが、守備時の対人での強さや高さに加えて世界トップクラスのCBはスピードも備えていることが証明され、そして南米では実績を残すホニも現時点では欧州のトップレベルでは難しいように見えた。

チアゴ・シウバのハンド

この試合、チェルシーのCBチアゴ・シウバがペナルティエリア内の空中戦でのハンドでPKを献上した。思いおこすと、2014-2015のCL決勝トーナメント1回戦で当時彼が所属していたパリ・サンジェルマン時代にも。奇しくも当時の相手はチェルシー(試合は終了間際に今度はチアゴ・シウバがヘディングでゴールを決めてパリが準々決勝に進出した。チアゴ・シウバ一人舞台の大熱戦だったのでよく覚えている。)

さらに彼はブラジル代表で出場したその年の南米選手権準々決勝でも同じようなハンドでPKを献上して敗れている。

ビックマッチでこれだけ立て続けにハンドでPKとは…。同じようなプレーで本人は触った覚えはないと言ってるようだが…。狡猾に故意に手を出しているようにも見える。無意識なのか、故意なのか…。VARの今の時代に「神の手」は存在しない(笑)。

フットボールも金のあるところへ…

高騰する放映権料

FIFAが一稼ぎ目論むこのイベントを今後、日本が招致できるのか?

FIFA W杯2022はカタールでの開催。そのW杯の放映権料が高騰し、地上波のNHKと民放各社だけではもはや購入できないレベルとのことだったが、インターネット放送局ABEMAが参入したことで日本でW杯が見れなくなる事態は回避された。

1998年フランス大会の放映権料5億円が200億円程度まで高騰しているとの報道。アジア最終予選の放映権も中国の代理店が購入し高騰しており、日本の放送局は手を出せず英国のDAZNが独占契約し、日本戦はホーム戦だけが各局にバラ売りされているのだそうだ。

購買力格差の是正を

ハイエンドなワインと同じで中国などアジア諸国やオイルマネーの国々には高騰した価格でも需要と購買力があり、日本は後塵を拝す形。これまでは毎年、欧州のビッククラブがプレシーズンに日本にも興行に来てくれたが、それらの国との所得格差が拡大し続けると、クラブ側にとって日本市場の魅力が低下し、日本の子供達の夢が遠のくことにもなりかねない。

例えば、CL決勝戦の特等席は確か5,000ユーロ。恐らく、日本人の感覚としてはたかが90分のサッカー観戦如きで60万円は高すぎると思うでしょう。先日のNFLスーパーボールの高い席は日本円換算で840万円とか。放映権でも同じこと。何が適正価格かは様々な捉え方があるが、需給に基づく市場価格は資本主義経済下ではある意味最もフェアな価格。本当に日本は所得を上げるためになんとかしないと。

節約や貯蓄は有意義な目的のために

日本では雇用する側が賃金を上げること(=企業等の収益が上がり、労働分配率を高めること)も必要だが、一方で消費者側の意識改革も必要ではないか。安ければ良いとか、倹約・節約・貯蓄が美徳だとか…。これまでの日本人の価値観を少し見直して「(高価であっても価値に見合うものであれば)質が良いもの、価値が高いものを求めることは尊いこと。」と。日本の個人金融資産は2,000兆円あるという。節約や貯蓄は使う目的があってのもの。節約や貯蓄が目的化してる方が多くないですか? 或いは、将来が不安だから備えとして貯蓄する若者とか。

(以下は少し乱暴な意見であると承知するが、)例えば企業価値については、①ゴーイングコンサーンで評価する企業価値(=DCF法による評価)や②市場評価額に基づく企業価値(=株式市場での評価)よりも、③時価純資産評価(=資産の時価評価額+純預金等)による企業価値が上回っている場合、株主はその企業にノーを突きつける。なぜなら、今後も企業活動を継続するよりも会社を解散してキャッシュを株主に分配する方が株主にとってメリットがあるから。

これを企業ではなく若者にあてはめて考えてみると…。一方は自身の成長のための自己投資を控えて貯蓄に勤しむ若者。もう一方は、将来の自身の価値を高めるために余資を自己投資する若者。企業や社会にとってどちらの若者が望まれるかは明らかだ。

自身のスキルや実力を高めるために投資したり、豊かな人生を送るために消費する価値観を肯定する社会を育む必要がある。
(言うは易し...だが。)

コンテンツとしてのプロスポーツの価値

欧米でスポーツやエンターテインメントの価値をそこまで高めた関係者の工夫や努力からも日本は学ばなければばならない。少し前からヴィッセル神戸が30万円の席を販売しているそうだが、例えばパリ・サンジェルマンのVIP席などは世界中のセレブが一度は行って観たい場所なのだそうだ。どうしたらそのようにできるのだろう? 

かつてのJリーグのどこかのクラブのように無料チケットを配っての集客は、「まずはスタジアムに足を運んでもらうきっかけに」と楽しさを体験してもらおうという狙いあってのとこだと思うが...。(少なくとも僕にとっては十二分に見応えある)プロの真剣勝負をタダで見せるなんて、そのゲームのためにストイックに準備する選手達や不断の努力を重ねるスタッフに失礼だし、興行の価値を下げるだけではないかと思ってしまう。

今年もJリーグが始まった。
間もなく、W杯最終予選も天王山を迎える。
日本のフットボールはどこへ向かうのだろう。世界基準を目指してコンテンツとしての価値をいかに高めることができるか、そしてファンが正当な対価を支払ってスタジアムに足を運んだり映像を視聴する理想のスパイラルに向かって欲しいと思う。
フットボールは社会の縮図でもある。


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