生き別れの父親が約1億の借金を遺して死んでいた話

タイトルそのまんまの話です。決着がついてから時間も経ち、振り返る気持ちの余裕が出来た事と、記録と、もしかしたら同じような境遇に置かれている方の参考(まあ参考になる様な事は何もしていないのですが)になればと思い、まとめて行こうと思います。

事の始まりは2020年2月の下旬頃。当時はまだ今程コロナ禍の影響も世の中に浸透しておらず、ぼんやりとした不安を感じながらも普通通りの生活を送っていた時期だったと思います。
その日は金曜日で、丁度見たい映画を地上波で放送するってことで、普段は21時近くまで残業している所をなんとか19時ぐらいで切り上げていそいそ家路を急いでおりました。
翌日から3連休という事もあり、とりあえずつまみと酒でも買って~、なんて浮かれながら自宅に着いてポストを開けると、そこに1通の書簡が。
差出人は「○○債権回収株式会社」・・・はて???
丁度この月が住んでいるアパートの更新月だったこともあり、「保証協会」という文字で、利用している保証会社で何か更新の際に不具合でもあったのかな?と咄嗟に思いました。それくらいしか思い当たる節が無かったのです。
めんどくさい手続きとかだったら嫌だなーくらいの気持ちで、書簡の中身を読んでいくと、なにやら不穏な内容が。

???
まずぱっと見で書かれている内容が理解できませんでした。
代位弁済・・・?法定相続人・・・?誰だ被相続人て・・・
そして借入金額を見て更に混乱。
え、1億くらいあんじゃん。
なにこれ?新手の振り込め詐欺?
知らない間に知らない人の借金の保証人にされちゃってたこと?
普段から怪しい書類にはハンコは押すな・どんなに親しい人でも保証人には絶対になっちゃいけない、と親と祖父に言われて育っていたので、全く身に覚えがなく、これは詐欺に巻き込まれた!!!と大パニック。
と。同時に「法定相続人」という単語で一つ思い当たる節に思い当ってしまったのです。

そういえば30年以上会ったことない親父がいるな

私の両親は、まだ私が物心つく前に離婚しています。
親権者は母となり、両親の離婚後は母の生まれ故郷である地方都市で暮らして来ました。
(現在は実家を出て出生地で暮らしております。)
女手一つで私を育ててくれた母は、私が子供のころから今まで一切父親に関する話をしませんでした。私の方もなんせ生まれて数年しか接点がないもので、父親に特に興味を抱く事もなくここまで生きてきました。
そんな感じなので、無論父親の名前など知るはずもなく。(前述の通り本当に興味がなかったので自分から聞いたこともなかった)
しかし可能性としてはありえる。でもどうやって確かめる?
こんな事母に聞いてもいいのだろうか?しかしそれしか方法がない。
意を決して母に電話を掛けてみました。

「もしもし?なんかちょっと変な話していい?」
「何?もしかしてコロナにかかった?(ブラックジョーク)」
「いや・・・コロナよりタチ悪いかもしれないんだけど・・・
 あの、わたしの父親って××××って名前?」
「・・・そうだけど、どうしたの?」
「あーーーーーーー」

あーーーーーーーーーーーーーーーー

予感が的中です。生き別れの父親が約1億の借金を遺して死んでいました。

とりあえず黙っている訳にもいかず、事情を話すと烈火の如く怒り出した母。曰く父は昔から金にだらしなく、離婚前もいくつか会社を興しては潰す等無計画の極みの様な人間だったとの事。(その他色々クズエピソードを聞いたのですが、あまりも生々しいので割愛)
まあそれはともかく、件の書簡が詐欺ではないという事が判明したので、その債権回収株式会社とやらに何かしらアクションを返さないとまずいだろうとぼんやり考える。
電話口ではしきりに母が怒りながら心配していたのですが、とりあえず自分で何とか調べてみるよと伝えて一旦電話を切りました。

しかし自分で調べてみるとは言ったものの、寝耳に水を差されたところに青天が霹靂した様な事態にいまいちどうしていいか分かりませんでした。
30数年全く感じた事のなかった親父の気配に出合い頭でぶん殴られて、しかも1億の負債がありますのであなたが返済してくださいと言われてもどういう感情になればいいのか分からない。
ほんの数十分のうちになにか並行世界に来てしまったようでした。
とりあえず見たかった映画を見なきゃ・・・とテレビをつけると、既に物語は佳境に差し掛かっていて、主人公が遠く離れた家族でもずっと想っているよ、と言う様な歌を歌うシーンが流れてきました。
なんという皮肉。(リメンバーミー!)
とっても好きな映画なのに、ほとんど見逃した上に純粋に楽しんで観ることが出来なくて、なんだか泣きたくなりました。

その日は何とも言えない感情のまま適当に酒を飲んで、風呂にも入る気にならずそのまま寝てしまい、明けて翌日。3連休という事もあり、件の債権回収会社に電話をすることも出来なかったのでとりあえず情報収集でもするかな・・・と思い、Google先生に「父親 死んだ 借金」等で自分と同じような事例がないかを聞いてみました。あとは父親の名前とか負債元の会社名?とか。
それで自分と同様の事例を経験した人のブログを見つけて読んだり、相続放棄について詳しく纏められたサイトをいくつか読み漁りました。
とにかく相続放棄の手続きを取れば大丈夫という事が分かったので、ネットで見つけた相続放棄手続きの代行を行っているという司法書士事務所さんに取り合えず週明けにでも相談してみることに。本当にインターネットのある時代に生まれてよかった。
しかし、本来ならばウキウキの筈の3連休なのに、なぜ私はこんな鬱々とした感情で過ごさねばならないのか。連休ゆえに事態を動かすことも出来ないもどかしさとか、昨日の今日でやっぱり借金1億と親父の気配にぶん殴られたショックとか。なんというか、本当に微塵も知らなかった自分の親父のクズ情報を母から聞かされた事も今思えば相当キツかったんだと思います。
それと同時に、相当親父に恨みがあっただろう母が、今まで私に親父への恨みつらみ等を一切零さずにいてくれた事をとても有難く思いました。
おかげで私はこの年まで、親父への憎しみや嫌悪などを抱くことなく生きて来れたので。
学生時代、自分と同じように物心つく前に父親と生き別れて母親と暮らしている友達がいたのですが、彼がほぼ記憶もないという父親のことを蛇蝎のごとく嫌っていて、私はそれが不思議で仕方なかったんですよね。(会ったこともない人をどうしてそこまで嫌うのかと)
きっとあれって、母親が父親への恨みつらみを彼に話していたからなんだろうなと思います。子供のころからそんな話を聞いて育てば、そりゃあ見たことない人間の事でも嫌いになってしまうよね。でも、それってとても辛いことじゃないのかな。と、思うのです。
単にうちの母が口に出すのも嫌なくらい親父を嫌っていただけという可能性も考えられますが、少なくともそのおかげで私の心は救われて来たのだなと、親父の気配を感じて初めて気が付きました。ありがとうお母さん。

そして鬱々とした3連休が明けて鬱々とした気分のまま出勤。
どうにもこの鬱々を誰かに聞いてもらって少しでも陰の気を消滅させたくて、さっそく同僚のみんなに3連休の間にあった不幸を打ち明けました。

私「なんか私1億の負債背負っちゃったんですよー」
同僚「?????は?????」

まあそういう反応になるよね・・・
みんなに事のいきさつを説明すると、心配してくれたりすげえ!と言われたり(?)、色々話を聞いてもらって慰めてもらったりしてやっと少し元気になれた気がしました。本当に愉快で優しい同僚たちで良かった。
何とか気を持ち直して、件の債権回収会社にコンタクトを取ってみました。
書簡に担当者の名前があったので、その人宛に電話をしてみると、電話口に出たのはなんか人のよさそうなおっさんでした。
てっきり債権回収とかいうから怖そうな人が出るのかと思って身構えていたのですが、よく考えてみればサラ金の取り立てではないので当たり前ですよね。

私「すみません、なんかこうこうこういう書面が届いたのですが、債務者の名前に心当たりがないんですけど(というていでまずは話してみる)」
おっさん「あー、心当たりありませんかー・・・ご自身の戸籍とか見た事ないですか?」
私「ないです。」
おっさん「あー、じゃあまずご自身の戸籍を確認されてみたらどうでしょうか・・・(なぜか苦笑される)」
私「すいませんハッキリ仰って頂いて構わないんで、とにかく説明をお願いしたいのですが」
おっさん「あー、そうですか・・・調査の結果あなたが債務者の法定相続人という事でしたので、ご連絡差し上げた次第です。相続放棄の手続き等はお済みでしたか?」
私「先の書面で相続の発生を知ったのでまだです。これから手続きを開始しますので、完了しましたら再度ご連絡させていただけばよろしいですか?」
おっさん「そうですね、それか同封した封筒に相続放棄申述受理証明書のコピーを入れて送ってくれるだけで構わないんでね」
私「わかりました」

流石相手は慣れたもので、特に深刻そうな事もなく終始半笑いみたいな感じでやり取りは終了しました。こっちは半笑いの感情じゃないのだが?

その後すぐにネットで見つけた司法書士事務所さんに電話で問い合わせ。
こちらもプロなので、「生き別れた親父が1億借金して死んだみたいで債権回収会社からこういう書面が来て・・・3か月以上経っちゃってるんですが・・・」と相談すると、「全然大丈夫ですよ~では手続きに必要な書類等送るので住所教えてくださいね」ってな感じで即契約。
後日、家庭裁判所へ申述に必要な書類と、委任状等々の一式が郵送されてきました。
ネットで検索すると、自分で裁判所のサイトで申述書のテンプレダウンロードして自分で手続きをする方法とかも詳しく載ってはいたのですが、やはり素人がネットの聞きかじりのみで書類等の記入をするのは難しいと思います。司法書士事務所さんから送られてきた書類は、こことこことここだけ書いてここにハンコ押してね!というのがわかりやすく印してあったり、説明書きがあったりしたので大変助かりました。
あと、私の場合親父が死んでから約1年近くが経過しており、本来の申述期限の3か月を経過している為、それについての理由を説明する上申書の提出も必要でした。(実際は「自己のために相続の開始があったことを知った時から3カ月以内」に相続放棄をしなければならないとの事なので、私の場合は書簡を受け取った日が起算になるはずなので、ここは特に心配はありませんでした)

(相続の承認又は放棄をすべき期間)
第九百十五条 相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
引用元:民法第915条

司法書士事務所さんへ申述に必要な書類を記入して返送して2週間くらいすると、家庭裁判所から前述の理由を回答するための書類が送られてきました。この書類には自分と被相続人の続柄や被相続人の死亡を知った日と知った理由、3か月を経過しての申述になった理由などなどがアンケート方式で書かれています。このアンケートに淡々と答えて行けばよいのですが、多分回答を少しでも間違うと相続放棄失敗となるデスゲームな訳で、こちらとしても慎重にならざるを得ません。
ひとまず回答書をコピーしたものを下書き用とし、質問に対してざっと回答した上でpdf化した書面を司法書士さんにメールで送り、内容の添削をしてもらいました。大変丁寧に添削していただき、OKが出た文面を清書して裁判所に返送。あとは申述が受理されるのをひたすら待つのみです。

季節は気づけば冬から春をすっ飛ばして夏になろうとするのに、当時の世相も相まって(最初の緊急事態宣言が出ていた頃です。ほんとにしんどかった)全く気持ちが晴れ渡ることがない日々でした。今思い出しても本当に辛い。
そんなしんどい毎日をなんとかやり過ごしながら、5月も半ばに入った頃、やっと裁判所から相続放棄申述受理通知書が書簡で届きました。
最初の書類を送ってからなんやかんやで2か月くらいでしょうか。晴れて1億の負債とおさらばです!
当時は緊急事態宣言下でどこも業務が縮小気味だったので、本来ならもう少し早めに処理が完了していたのかな?
事態の発覚から解決まで約3か月。本当に長かった・・・
というわけで、お世話になった司法書士さんにお礼のメールを入れ、代金を入金して(報酬後払いでした。本当にありがたい。インターネットのある時代に生まれて本当に良かった)最後に債権回収会社のおっさんに相続放棄申述受理通知書のコピーを郵送して全部が完了。その後は特に取り立ての連絡がある訳でもなく、何事もなく生きております。
以上が私に降りかかった史上最悪のイベントの顛末です。
とりあえず「生き別れ 父 死んだ 借金」等の検索ワードでここに辿り着いた方向けに纏めますと、

・突然債権回収会社から照会書が届いたら、とりあえず慌てず酒でも飲みながら落ちつく事。
・照会書送付元の回収会社をとりあえずググってみる。(詐欺かもしれないし)
・照会書には多分「×月×日までに一度連絡して欲しい」と書いてあるので、詐欺じゃなさそうなら電話してどういう事か聞いてみる。
・ネットでググれば相続放棄に特化した弁護士事務所や司法書士事務所が沢山出てくるので、素人は大人しくプロを頼った方がよい(相場は3〜5万くらいの様です。対応してくれる内容は各々違うので電話やメールで問い合わせしてみるのがいいかも)
・被相続人の死亡から3ヶ月過ぎていても、それを知ったのが最近なら相続放棄を認めてもらえる可能性は高い(私は実際に回答書に理由を記載して受理して貰ったので)

上記5点をやっておけばなんとかなると思います。
いきなり負債とか言われて大変不安な気持ちになるかと思いますが、私も何とかなったのであなたも大丈夫。健闘を祈ります!

ちなみに。司法書士さんに申述の手続きをしてもらう際、裁判所に提出するための親父の戸籍と除籍謄本のコピーを私の方にも一通送って貰えるように依頼していました。その書類が届いたのが3月の終わり頃。
今まで特に興味もなかった親父に対してのほんの少しの好奇心です。
2枚の紙には30数年知らなかった色々な情報が詰まっておりました。
全く知らない祖父母の名前、父方の出生地、転々と転居を繰り返した痕跡、そして終の棲家。
戸籍からの情報を元にGoogle先生に質問した結果、なんとも転がり落ちるような親父の人生が垣間見えてきました。
都心のそこそこのマンションから、安アパートへ、そして最期は公営住宅へ。
死亡日時の記載が「推定」で書かれている事と、死亡推定日時と死亡届の受理日付に2か月ほどの差異があった事から、あまり良い死に方をしていないだろう事は想像できます。
身元引受人の所に書いてある全く知らない女の人は誰なのだろうか。とか。
相続の件があってから、最近ぽろぽろと当時の親父のクズエピソードをこぼす様になった母の話を聞く限り、孤独死してたとしても全く同情する気は起きないのだけれど、丁度親父が死んだとされる日、そういえば私は何してたかなと思い出してみたら、何事もない普通の日を暮らしていて。
あの日、電車で1時間ちょいの場所で、一応血だけは繋がっている人間がひっそりと死んでたっていう事実に、今でもどういう感情になればいいのか分からないままです。
この三十数年間の間に娘がいたという事を思い出す瞬間とかあったのかなぁ。
今となっては知る由も無いですが。

余談ですが、裁判所からの連絡を待つ間、私生活でも色々な事があり、2月から継続している件の手続きがまだ決着していないという事もあって、この3か月ほどの期間は人生で最低最悪の期間でした。(主にコロナ関係で会社が大変なことになったことが原因です。機会があったらこの期間の事も書き留めたい) 
2020年は何があったんだってくらい災難続きで、あまりにも不幸すぎるからクリスマスに某明石家サンタに電話して高額商品貰おうって息巻いてたんですが、当日まったく電話繋がらずに結局不幸なまま年を越しました。
人生、良い事と悪い事は半々ってよく言いますが、そろそろ2020年の不幸分の倍返しが来てもいいころなんだけどなと思いながらまあまあ平和な日々を過ごしている今日この頃です。






最後まで読んで頂きありがとうございました。気が向いたら酒代奢ってください。レモンサワーとハイボールが好きです。