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優しい人、について。

(写真は優しい顔のモロッコラクダ)

ふと思い出したのだけど、
私は優しくされすぎると、とまどう。

家でも外でもあまり褒められずに厳しく育てられたからなのか、
優しくされると嬉しいのに返せるものはなんだろうと考えたり、対応がわからなくなってふざけてしまったりする。

正直な本音をざっくばらんと話したいタイプなので、オブラートに居心地の悪さすら感じることもある。

「ありがとう」も人に素直に言えるようになったのも、恥ずかしながら仕事をするようになってからな気がしてきた。
(これは普通によくない)

最近シェアハウスのメンバーとも"優しさ"について喋ることがあった。
実際みんなのことを本当に優しいなぁと思うし、他にも性格がいいなぁと思う人がいま周りにたくさんいる。

優しすぎると人の目を必要以上に気にしてしまったりする難点はあるんだろうけど、
ありがとうやごめんねという言葉が当たり前に飛び交っている家に感動することさえあるのだ。

対して私はどうも優しさが厳しさに向かいがちで、そういう育ち方をしたんだなぁと嫌になってしまう時がある。

それがいけないわけでないのは理解しているが、単純に厳しいことを言ってるこっちも傷つくので直したいなと思う。
だが人間の怖いトコロ。
優しい人に慣れると"わがまま心"という側面が次は出てくる。

◯◯やってくれて当たり前、
話を受け入れてくれるのが当たり前、
肯定し好いてくれるのが当たり前、とゆるやかにいつのまにかなってしまう。

恋人でも友人でも、
最初は優しくされたらとまどうので慎重なのに、優しさが当たり前になると安心しきって、
その優しさを利用してたりして、
いつものように厳しい言葉をかけたりして、
忘れたころにカウンターパンチが来て、
相手の優しさにかまけていたことに反省して、
またいつの間にか同じサイクルになってて。

こーんなことをいつまで経っても繰り返してるのが、
あぁ自分のいけないところだなぁと思う夜だった。

同時に、いつでも優しい人って、
本当すっごいなぁと。
才能だよね。いつもすみません。

んー、でもそういう"優しい人"は、
それはそれで、
悩ましいんだろうなぁ。

#エッセイ

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