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劇団「地蔵中毒」のファン

2015年の夏に劇団「地蔵中毒」を初めて目の当たりにしたわたしは、心の中でただひたすらに「これです!!!!!!」と叫んでいました。わたしが出会いたかった演劇ってこれなんですと。それはまるでハチミツとクローバーの竹本くんがアトリエで絵を描くはぐちゃんに一目惚れした瞬間のような…つまり劇的な出会いでした。

地蔵中毒と劇的に出会ったその日、わたしはいの一番に「また観たい」「出てみたい」とは思わないけど「この人たちと仲良くなりたい」ことだけに、説明のつかない強い熱意を持ちました。

まだ、主宰の大谷さんがTwitterに自身の携帯番号を晒し「打ち上げするんで、来たい人連絡ください」と舞台上から客席に呼びかけていた第3回公演の終演後。わたしは全く面識の無い劇団の打ち上げに参加することを心に決めて、有志で集まったぐみ沢、ポンちひ郎と共に伝えられた打ち上げ会場へ向かうことになりました。

そこは今思い出しても嘘みたいに照明が暗すぎる高田馬場の焼肉屋。
階段を降りて店の外まで素足で出迎えてくれた大谷さん。かませさんの、目の輝き。
がじらさんが披露してくれた、トランプを使った手品。コクマロさんが披露してくれた、トランプを使った手品。がじらさんが見せてくれた、ミッキー・カーチスからもらったと言うジャンパー。家が遠いからと言う理由で打ち上げに来なかった、理子(3105)さん。女の子みたいにかわいかった、武内さん。少し薄着だったような気がした、関口さん。

仲良くなれたかは分かりません。
ただ、2人の大人から全く同じ手品を2度披露されたことだけが強く記憶に残って、忘れられない夜になりました。

わたしは映画や演劇を観ている最中、さらには人との会話の中で「考えることをやめたい」と願うことが良くあります。

大抵は、投げかけられる考えの多さに圧倒されて疲れます。そしてだんだん、泣きたくなります。

考えられないことが悲しくて泣きたくなるわけじゃないんです。泣きたくなるほど「考えたくない」と思うんです。
「甲子園に行きたい」と願う高校球児の気持ちになってみてください。それと全く同じです。「明日からもう、何も考えない。」そう決心して目を瞑る夜が過去に何度もありました。

この世には『全員話すことのなくなったzoom飲みで静寂の中誰かが変顔し出す時間』が存在します。そんな時間は本当は、この世になくていいのです。
しかしその時間こそが「考えるな、感じろ!」をそのまんま読んで字の如く理解して生きてきてしまった『考えたくない主義』の人間を救い、安らぎを与える、最も豊かな時間なのではないかと思うことがあります。

劇団「地蔵中毒」の演劇は、まさにその最も豊かになり得るかもしれない時間”だけ”を暴力の要領で生み出し、誰に振りかざすわけでもなく舞台上に置き去りにしていきます。観客は、興味のあるものを自ら拾いにいって自分の中で楽しみます。
それは箱の中から湧き出る湯水へ気の向くままに足を踏み入れる、スーパー銭湯と同じ仕組みです。

地蔵中毒ってスーパー銭湯なんだ!このことに気付いて一人で勝手に納得した時は、妙な達成感がありました。

演劇はときどき、バカに厳しくて心細いと感じます。こちらがいくら理解しようとしても歩み寄ってきてくれないどころか、どんどん突き放されてまるで分かち合えなくなって最終的に「考えることをやめたい」とただ願うだけの時間が訪れます。
だけど地蔵中毒の演劇はいつどんな時でもバカに優しい。そしてその優しさは頼もしさに繋がり、絶対的な信頼となって今ではわたしの中で特別なものになっています。

この一方的な信頼が何を生むかと言うと、特に何も生まれません。わたしは地蔵中毒が大好きなんだとただそれだけのことをこのnoteに書きたかったんです。
あとはもっとたくさんの人と地蔵中毒の話ができたら楽しいし、万が一有名になったら友達ですって自慢したいし。東野さんがものすごいピーズのファンだってことも認知されてほしい。

あとわたしは礒村さんのファンだ!礒村さんのいない地蔵中毒はさみしい。

物語を考察する人が増えたり、作品がいくら意味があるような素振りを見せてきたとしてもわたしはずっと『みんなで水飲み鳥が水を飲むところをただ観る時間』に安らぎながら、笑い続けるんだろうと思います。

あと、大谷さんと松尾スズキさんが三宿でDJ共演する日を心待ちにしています。

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