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かつての修行先~神楽坂2丁目~    「Bar 五感」

はじめましての方ははじめまして。私、東京は新宿区、神楽坂にて「Bar Tarrow's」という酒場をやらせていただいています。2018年に独立するまでの足跡と回顧をと思い、かつての修行先として勤めさせていただいたお店のお話を書かせていただいております。宜しければ最後までお付き合いくださいませ。

以前書かせていただいた「銀座7丁目バーアールスコート」でお世話になったオーナーのT氏の生まれた町ということでそれなりの御縁もあり、銀座で7年半の修行を終えたのち、今回書いていく「神楽坂Bar 五感」(現在は閉店)へと職場を変えました。2007年の秋ごろだったかと覚えています。

坂と石畳、商店街の活気ある街

神楽坂と聞いてもぴんと来ない方もいるかと思いますので軽くご紹介を。
住所は、「東京都新宿区神楽坂」です。最寄のJR駅は飯田橋駅なので中央線と総武線。地下鉄は南北線、東西線、有楽町線、大江戸線のなんと6路線が通っています。
ちなみに東西線「神楽坂駅」もあります。大江戸線「牛込神楽坂駅」もございます。お出かけになるお店によって最寄駅は変わるかと思いますが、大体の方が飯田橋駅を利用される事が多いのではないでしょうか。

初めて神楽坂に来る方は少しびっくりするかもしれません。
想像以上に坂の角度がきついです。
メイン通りの神楽坂自体は一方通行の商店街です。左右にこれでもかと飲食店や商店が軒を連ねています。ちなみにこの神楽坂、とても珍しく正午と夜の12時で一方通行の方向が上下逆転します。理由については諸説色々ありまして、もしよければ調べてみてください。(神楽坂一方通行逆転の理由
江戸から続く日本酒処や、花街の面影も強く残し、石畳の道や料亭、日仏学院があった関係もあり、在日フランス人の方も多く住んでいるからかフレンチレストランも多く見受けられます。東京のリトルパリなんて呼び名も。

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風情のある石畳の道は裏通りに限られていて、料亭やレストラン、居酒屋やバー等がひっそりと佇んでおります。時間帯によっては芸者さんの往来もあり、なんとなく散歩するだけでも楽しい街です。ちなみに芸者さんは大通りは歩きません。置屋さんからお座敷までは人通りの少ない石畳の路地を歩きます。下駄では急な神楽坂の通りも危ないので、石畳の裏路地は階段も多く見受けられます。裏路地も呼び名がいろいろあり、「かくれんぼ横丁」「兵庫横丁」「小栗横丁」なんて名前がついています。どこも車の行き来はできず、人がすれ違うには十分かな?くらいの石畳の小道です。
神楽坂の住人さんや、頻繁にこのあたりで食事などを楽しむ方たちはこんな裏通りのお店を探し、居つき、楽しんでらっしゃいます^^

2007年頃の神楽坂

私が銀座でのバーテンダー修行を終えて、神楽坂の「Bar 五感」にオープニングの店長として職場を移したのは20007年の7月頃だったでしょうか。
その頃、「拝啓、父上様」という嵐の二ノ宮君が主演の神楽坂を舞台にしたドラマの放送があり、その影響もあって神楽坂は空前の盛り上がり(笑)を見せていました。
ちょっとした路地にあった空家にリノベーション居酒屋や、スペインバル、フレンチビストロが乱立し、若い年齢層のお客様も増えてきた頃のように覚えています。家賃も高騰をはじめ、そのときの職場の家賃が20坪で53万円。新築のビルでした。ちなみに今は同じ場所が20坪で75万円になっていましたのでおかしな話ですねwともかく勢いのある街でした。五感のオーナーもそんな勢いに乗って、神楽坂にバーを!との事でした。

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「Bar 五感」とK氏

五感を満たすバーを。いいですね。どちらかと言えばオーセンティックというよりもモダンでセンスのいい空間のバーでした。
カウンターは御影石。壁は打ちっぱなしのコンクリートで、バックバーもガラスの棚でしたから、あまり神楽坂っぽくはない内装でしたね。とはいえ、コンセプトの通り、音響にはお金をかけていましたし、厨房も立派で開店当初は専属の料理担当もいました(半年後から僕がやる事になるのですが)。
当時はワインブーム、モルトウイスキーブームでしたが、そのどちらもやっていました。
グラスワインは泡と赤、白、あわせて常時8種類ほど。ウイスキー類も増やしに増やしていってなんだかんだで200種類くらい。
季節の果物のカクテルもこなし、パスタやピザなども手作りで出していました。実は開店当初はさきほど書いた専属の料理人がいたのですが色々あって首になり、オーナーと僕ではフードも回せないので誰かスタッフを入れようという事に。このときに当時赤坂でバーテンダーをしていたK氏を招き入れ、私とK氏、2名体制で五感を運営していく事になります。このK氏、私とは20歳頃からの付き合いで、現在最も信頼しているバーテンダーです。
付き合いが長い、お金に汚くない、仕事が丁寧、異性の好みが合わない、女性にだらしなくない。と、嘘のようなバーテンダーですが私も彼もお互い様で同じような事を感じていると思います。(たぶん

この頃、毎日が忙しく、戦場のような忙しさが続き、24時まではとにかく忙しいお店でした。深夜には地元のご常連様がのんびりとグラスを傾けに来てくれる、すばらしい状態でバーを経営できていたと思います。
出版関係、建築関係、音楽関係などの近隣大手の会社さんも景気が良く、沢山のお客様であふれていましたが、3年を過ぎた頃にオーナーの本業の傾きから、五感は閉店へと向かいます。
この頃にお会いしたお客様が今でもBar Tarrow'sにお越しになってくださっています。本当に嬉しい事ですし、ありがたい事です。

もちろん暇な日もありましたが、K氏が来てからは開店と同時にマンハッタンの作りあいをしてべろべろになるまで飲んでから仕事したり、突然K氏が
「生地からピザ作ろう」と言い出して名物にしたり。(その後すぐ飽きる
年齢も一つしか変わらず、バーテンダーとして向いている方向は同じ。
なのに好みもタイプも見た目も正反対の二人がカウンターに立っていたあの3年間は何者にも代え難い充実した日々でしたw

沢山の出会い

ご近所様の常連様、現在もTarrow'sの税理関係を見てくださっている会計士の先生、当時はまだ修行中のミシェランシェフ、今やお互いに自分の酒場を持っていますが当時はお互い雇われている店長同士だったバーテンダーの仲間など、沢山の実りある出会いが神楽坂にはあふれていて、今でも大事なお付き合いをさせていただいています。

あの頃はお互い若かったねwオーナーの悪口ばっかり言ってたねw」と某ミシェランシェフとは今でも笑いながら開店前にコーヒー飲んだりしてます。

僕が五感を辞めるとき「また神楽坂に戻ってきてね、待ってますよ!」と言ってくれた会計士の先生は私が神楽坂で独立しますとお伝えしたらば「お帰りなさい、待ってました」と言ってくれました。ちょっと書きながら泣きそうになりますw

神楽坂でお店出してくれて本当に嬉しい」と同業の先輩は事あるごとに閉店後に朝まで飲もうと誘ってくれましてw必ずほんの少し、が、朝まで、になってしまいます。でも断りません。楽しいですし嬉しいので^^

やっと帰ってきたんですかー!」とかつての五感の常連様は今でも飲みに来てくれます。あの頃と違って奥様連れで。

ほんと、神楽坂スキなんすねw」とK氏は今でも笑う。

なんだお前さん結局神楽坂で店だしたのか?お前さんは銀座のほうが云々かんぬん」とアールスコートのマスターは顔を出しに来てくれます。
驚くほど人が変わってないんです。10年近く経って、あの頃と人が変わってない。増えてはいるのですがね。一度住んでしまうとなかなか離れられないみたいです、この街は。私も戻ってきてしまいましたから。

オープニングから店長として勤め始め、K氏と同じカウンターで働く楽しみと難しさを覚え、住宅地の酒場と、繁華街の酒場の両方の顔を持つお店として充実した3年半を過ごしたお店「Bar 五感」。
すでに閉店して9年以上経っていますが、今でもあの頃の話をしてくれるお客様が今は自分の酒場に来てくれている。
こんな喜びはなかなか味わえないです。本当にありがたく、嬉しく、幸せなバーテンダーだと思います。
この頃の事は色々あって書く事があまり無くて(K氏の事を書きすぎるのもアレですし、お客様は今も大部分がおかわりないので当時の事をあまり書きすぎるも^^;)、修行先としての思い出のほとんどがお客様と街の魅力と言う事になってしまいますねw

最後に

いかがでしたでしょうか。銀座ほどのインパクトはありませんでしたが、思い出しながら書くと次々と書く事が多く、また「あ、これ書いちゃだめだな」みたいなことも多く、意外と短くなってしまいました。
修行先シリーズ、今後書くとすれば、最長8年の修行先となった「白金台」編ですが、、、これは当分先になるかと思います。書く事が多すぎてw

現在もまだまだ休業中です。予定では5月7日からぼちぼち、恐る恐る、ひっそりと開け始めてみようかと思っては居ますが、色々と情勢など見ながらになるかとは思います。時間があるうちにできる事、やってみたかった事、やるべきことを少しずつ。noteも続けていきたいと思います。^^
それでは、また次の記事でお会いしましょう。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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