目線の先の現象 #07

街中で他人と目線が合わないことが、地域のつながりが希薄になりつつあることの象徴だと、宮台真司さんが言っていた。

目線があうということ。
目線が合って会話をすることがないから、虚像が膨らむようになった。
虚像と現実とのギャップをみて苦しみ、現実を呪う。
虚像を現実に無理やり重ね合わせて、誰かに心酔したり、傷つける。

かれらは現象の屈曲に沿ってそれを把握しようとしない。
なぜか。骨が折れることだからだ。
絶えず自身の現実の像を生成変化する現象にあわせて打ち壊したり作ったりしないといけなくなってしまうからだ。

なんてめんどくさいことだ。
そんなめんどくさいことを、みんながめんどくさく感じなくなるような変革。
自身の現実の関心から出発する、学びと実践の相互作用。

学びに際する付属的な表面上の面白さはいらない。学問を習得する達成感としての面白さを求めているのでもない。
生成変化の内にいて、自分がより良いと感じる方へと目線を向けて生成変化していく、持続そのものの面白さを感じることができるように。
そして、虚像や秩序に身を預けずに、現象を直観しようとするようになる。

そのような社会の内では向かいに座るあの人と、いつか目線が合うことになり、なんらかのつながりが生まれるのだろう。

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