作品解析 - 一滴の涙(お試し)

作品解析をします。

解析といっても思ったことをコラム形式で書いていくだけです。川田が調べたことや感じたこと、色々書いていくつもりです。シリーズ化します。本当に思ったまま書いていきます。もちろんわかりやすく書くつもりですが、わからないことがあれば twitter でリプライをください。


作品解析 - 一滴の涙

使用楽譜:岡村喬生編者、服部幸三監修『ドニゼッティ歌曲集』東京:全音楽譜出版社、1970年。


作詞者は不明。

作曲者はガエターノ・ドニゼッティ Gaetano Donizetti(1797-1848)。ベルカント時代の著名なオペラ作曲家。『愛の妙薬』や『ドン・パスクワーレ』などの喜劇オペラ、『ランメルモールのルチア』『マリア・ストゥアルダ』などの悲劇オペラ両者で成功を収めた。ベルカント Bel Canto とは「美しい声」の意味、18世紀にイタリアで生み出され、19世紀初頭のオペラ作品はこの発声法に則り作曲された。

 全音の楽譜では一つの作品に独立されて収録されているが、元々は1841年にイギリスのヴィクトリア女王へ献呈された『音楽の朝 Matinées musicales』に収録されている作品であるようだ(付記:解説に一応その旨記されてはいる)。『音楽の朝』は全10曲で構成されており、その中の第3曲目が「一滴の涙」になる。

 楽譜の原題下に小さく "Preghiera" と添えられている。日本語では、祈り。詞の中にも "Dio(神)" が出てくることから、明らかにキリスト教の神へ祈りの歌である。ちなみによく似たイタリア語に "iddio" という言葉があり、厳密に言えばこの言葉は「異教の神」を意味する。

 全体の構成としては、Intro-A-B-A'-Codaの3部形式。

 Largo non troppo。冒頭の演奏速度指定だが、音楽の教科書通り訳せば、ゆったりと遅く、広々とした気持ちで、はなはだしくなく。正確ではないかもしれないが個人的に訳すならば、広く、急がず。18小節の muovere(動かす)からさらに音楽が前に進む。詞の内容が自らの願望を語り始めることから、言葉がさらに遠くに進んでいくイメージを作曲家は狙ったに違いない。ピアノの音型が横の流れから縦の刻みに変化すること、原調から属調へのしっかりと転調することからも、筆者の説はそう間違っていないはずだ。

 転調は個人的に、属転調は緊張・高揚、下属転調は弛緩・沈静、平行転調は明暗の切り替えと考えている。18小節の属転調は自分の願いの内容ではないことへの緊張と考えられる、つまり「私が求めているのはこういうことではない」という強い望み。26小節の原調への転調と平行転調の組み合わせは、自らのことであるという弛緩(言葉が悪い、リラックスとでも言うべきか)。28小節目のナポリのⅡ度、明らかに身悶え。

 34小節のoppure(オプション)は、声楽家なら当然上。疑いようがない。

 43小節からのstringendo(だんだんせきこんで)は大胆に。ピアニストの方にもいつか聞いてみたいが、32小節からのトレモロと43小節からのトレモロとは別物ですよね? トレモロはトレモロだが、おそらくピアニストの皆様は弾き分けると思っているし、筆者からすれば、願っている。

 46小節、pp(ピアニッシモ、ごく弱く)はなるべく subito(すぐ)に。演奏効果が非常に高くなる。強いまま音楽を進行させると47小節からの左手トレモロが活きない。おいしくない。

 日本語話者の難しい悩みだが、50小節、最後のカデンツァは日本語の「う」ではなく、イタリア語の u 母音を美しく、より細くより遠くに進ませないと美しくない。日本語話者の注意すべきイタリア語発音は色々あるが、川田が気をつけるべきは u 母音と g 子音(例:"già(既に)" を発音する時は「じゃ」ではなく、「ヂャ」というかなり硬い発音)。作品中だと19小節の "gioia" 。もちろん、そのほかの子音にも気は配っている。


 最後に少しエッセイ。筆者が大学2年生の、おそらくは秋が始まり、残暑にひいこら言いながら上野公園を歩いて大学へ通っていた頃、全音から出版されている『ドニゼッティ歌曲集』を手にした。師事している先生から「なにかベルカント時代の作曲家の歌曲をレッスンの課題として持ってきなさい」と指示されて色々レッスンで演奏した。

 ベルカント時代の作曲家といえば、声楽科学生の中では「ロッシーニ・ベッリーニ・ドニゼッティ」の三強であることは疑いようもない。その中でもヴィンチェンツォ・ベッリーニ(Vincenzo Bellini, 1801-1835)は『優雅な月よ(Vaga luna che inargenti)』や『私の偶像よ(Per pietà, bell'idol mio)』などが比較的初学の段階で勉強する作品であろう。筆者は音楽高校時代に既に勉強していたこともあってベッリーニを避けて他二人のどちらかの作曲家をとりあげて勉強することにした。

 ロッシーニ歌曲集も取り寄せてはみたが、声域に合わなかった。そこで「じゃあドニゼッティでしょう!」と当時の筆者はドニゼッティという作曲家の歌曲選択し、いくつかの作品を勉強した。ちなみに、安直にドニゼッティの歌曲のみを勉強してロッシーニの歌曲にとんと疎いまま育ってしまった私は大学3年の時に『踊り(La Danza)』の作曲家が即座に出てこず、調べてようやく「あ、ロッシーニだったんだ」と気づいて一人で大恥をかいて以来、ロッシーニ歌曲集は今日に至るまで開いていない。



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