ミスをミスのままにしない

テレビやネットの新聞で、教職員の不祥事やミスが取り上げられています。プールの水の止め忘れ、データの紛失など、数え上げればキリがありません。ですが、メディアで取り上げられないミスもいくつもあります。こんな法則があるのをご存知でしょうか。

※問題によっては、どう考えても個人に原因があるなというものもあります。それは処分を受けて当然だと思います。

ハインリッヒの法則

アメリカの損害保険会社の安全技師であったハインリッヒが発表した法則です。「同じ人間が起こした330件の災害のうち、1件は重い災害(死亡や手足の切断等の大事故のみではない。)があったとすると、29回の軽傷(応急手当だけですむかすり傷)、傷害のない事故(傷害や物損の可能性があるもの)を300回起こしている。」というもので、300回の無傷害事故の背後には数千の不安全行動や不安全状態があることも指摘しています。また、ハインリッヒは、この比率について、鉄骨の組立と事務員では自ずから異なっているとも言っていますが、比率の数字そのものではなく、事故と災害の関係を示す法則としては、現在も十分に活用できる考え方です。

同様の研究としては、バードの事故比率があり、297社の175万件の事故報告を分析して、1(重傷又は廃失):10(傷害):30(物損のみ):600(傷害も物損もない事故)の比率を導き出しています。

これらの研究成果で重要なことは、比率の数字ではなく、災害という事象の背景には、危険有害要因が数多くあるということであり、ヒヤリハット等の情報をできるだけ把握し、迅速、的確にその対応策を講ずることが必要であるということです。

(参考文献 「新しい時代の安全管理のすべて」中災防発行)

https://anzeninfo.mhlw.go.jp/yougo/yougo24_1.html

この法則に基づけば、メディアで取り上げられている事故の背景には、様々な要因があると考えられます。しかし、現場で周知されるのは「それぞれの先生が各自、意識して」の一言です。

「意識して」


簡単な言葉です。意識だけをしてミスが減るのなら、ミスなんて起こりません。
例えばUSBメモリを紛失したのであれば、

  1. どうしてその先生はUSBを持ち帰らなければならなかったのか。

  2. 学校で仕事を済ませられなかった理由は何か。

  3. どうしてUSBにデータを保存しているのか。

ということも原因として考えられるはずです。先生だって授業が上手くいかなかったり、子供達に問題行動があったりしたときには、原因を複数の観点から探るはずです。教師の問題も同じなのではないでしょうか。それを「意識して」の一言で済ませるのはあまりにも乱暴です。

人間の行動には「個人要因」と「環境要因」の2つがあります。先ほど述べた子供の問題行動。例えば子供が暴れる、その時に教師はどのようなアプローチをするか、まずは言葉で「落ち着こう」「大丈夫」と声をかけると思います。その行動を止めさせるために、個人にアプローチします。

それでも暴れる場合、他の部屋に連れて行ったり、廊下に出たりしませんか。つまり、その暴れる引き金が、子供自身ではなく、周りにいる子供達や教室にあると考えます。それが環境へのアプローチです。

子供の時はそういう風にします。ですが、現状、大人の場合はしません。「意識」というのは個人が行うことです。USBメモリを持って帰らなければならなかった働き方(環境)へのアプローチはほとんど一切しません。

その理由として考えたのは、そういったメディアで取り上げられるような問題は、「時々起こる」からだと考えています。大きな問題につながるような小さなミスは何度も起きています。中には小さなミスとは言えないものもあるかもしれません。毎日のようにミスが報告されれば、少しは「どうしてだろう?」「これはいつか大問題につながるのでは?」と考えることもあるかもしれません。ですが、時々だと、「また先生が問題を起こして」「また教師か」と、その問題だけに注目することにより、個人に原因があると考えるようになってしまうのではないでしょうか。

学校行事が終わると、「反省の書き込みをお願いします」と、係の先生が次年度に向けての改善点や工夫点をまとめます。「○○すればよかった」「□□した点がよかった」だけではなく、学校行事が行われるまでの過程で起きた小さなミス(ヒヤリハット)もぜひ共有すべきだと思います。すると、学校行事が行われることによる他への影響もきっと整理されるはずです。

特に、経験年数が浅い先生がミスをした時、管理職や学年主任がそのミスに対してだけ指導をする姿を見てきました。その度に心が痛みます。先生方は十分に頑張っています。休憩時間も、放課後の時間も、そして休日も。仕事の量や進め方を管理もせずに個人のミスだけを指導するのはおかしいです。自分が、学年主任になってからは余計にそう思うようになりました。

ミスは起きてはならない。ではなく、ミスは起きて当然、だからこそ大きくならないように防ごうの世界を目指して。




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