呟きと真剣交際など

「未来の大阪府、関西弁を駆使するトゥアンとミァハ(15歳)は18歳未満の「真剣交際」を押し付けられる社会の雰囲気に抵抗し、「真剣ではない身体目的の交際」をすると決意。しかしトゥアンはミァハにガチ恋をしてしまった。彼女の身体に手を出すミァハは大阪府警倫理課に殺され、それから13年が経った…」これは冗談なんだけど、『ハーモニー』の感想にもあり得る。

ぱげらったさんの「妹が分 裂した」を10話まで読んだ。思春期のある時期に想像界と象徴界の部分が強制的に分離されて、その経験から「裏羽」という自我が芽生え、主体の日常生活を陰で観察しながら「実在界」にいけない(と運命付けられる)から、それが分裂の原因になってるのでは。主体がどう実在界に行けるのかが今後の話になるのかな。しかしこのままだと、「裏羽」ちゃんは憂羽の中で溜まったヒステリックを発散するだけになり(ゲーセンでパンチングマシンを壊したりしながら暴力的な形で)、彼女が超自我の中でそこに行きたいと切に祈っていた「実在界」にはたどり着けないので、それを漫画でどう描いていくのか。一読者として気になる。

まさに「Wo Es war, soll Ich werden(Es(それ)が存在する所に、私はいかなければならない)」の問題である。多分「どうやってEsの所に行けるのか」は、問題じゃないはずだ。ここで一番問題になっているのは「実在界に行けるか、行けないか」の「to be or not to be」(シェイクスピアのハムレット)の問題だから。行けないとしたら、分裂をそのまま受け入れるしかない。行けるとしたら、分裂した自我はEsに辿り着いた段階で統合されるべきだ。『俺妹』のラストシーンで、悩み悩んだ挙句高坂桐乃が京介を「選択」する時、先説明した「Esの場所」に桐乃が到達するように見えて、実は彼女はこの世界でどうやっても「それには行けない」と自覚するのだから、結局桐乃は「Es」に行けないまま己のヒステリックと共に生きるという道を選んだ。

Esの場所が何処にあるのか、という問題。新海誠風に言い換えれば、「雲のむこう」にあると言われる、『約束の場所』が何処にあるのか。でもぼくはこういう問題を考えずにラカンが『エクリ』日本語訳の序文で「日本人は漢字を使っているから、人の無意識が文章の中で(すでに)現れている」と意味深なことを話したのと同じ脈絡で、『万葉集』の中にある「恋文」的な短歌に興味があるのだけど、これが実に面白くてさ。『言の葉の庭』もそう。最近Twitterで「大阪府の条例はわいせつ行為を禁じているが、現行では脅しなどがなければ処罰対象外だった。改正案では真剣交際以外はすべて違反となる」という理不尽な改正案が少し話題になっていて、ツイッター民たちは真剣交際のネタで遊んでいた。

僕も伊藤計畫の『ハーモニー』をパロディして冗談をかましたけれど、しかし翌日よく考えてみたら、未成年の「真剣交際」をやっていた男女が大昔に存在した。それは『万葉集』のなかで描かれる恋人たちの、恋文のような美しい短歌である。例えば、万葉集にはこのような一首が収録されている。

今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜(よ)を寝む(3巻462)

現代文に訳すればこうなる。恋人と永遠にお別れになり、どうしようもない気持ちを抱えたまま謳った、悲しい歌である。

きっとこれから秋風の 寒い季節になるだろう
どのようにして長い夜を ひとり寝たらよいだろう

大伴宿祢家持が大伴の坂上家の長女に贈った歌は、このような一首である。

なでしこのその花にもが朝(あさ)な朝(さ)な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ (3巻 408)

君がナデシコの花ならば どんなにうれしいことだろう
朝が来るたび手に持って それでも恋しく思うだろう

当時、大伴の坂上家の長女である坂上大孃は13歳で、大伴家持の歳は判らないのだけど、多分18歳未満か18歳くらいだと思われる。彼と彼女は共に未成年でもかかわらず大阪府が認める「真剣交際」を行っていた訳だ。大伴家持は8世紀の人だからそもそも「未成年」という概念もなかったがー文学評論家の柄谷行人も「成人」と「子供」の概念は明治維新の時から発明されたと主張しており、行人は樋口一葉の『たけくらべ』を例として挙げているーしかしまだ子供と呼ばれる男女が、そこまで切実な感情を抱いて「恋」をして短歌まで送る、というのは21世紀を生きる僕にとってはとても興味深い。そんなに愛していた人が死んだら、哀しみは言うまでもないだろう。

つまり、僕が考えている「Esの場所」が何処にあるのかという問題も、昔の人間には「問題」にもなり得なかったかもしれない。平安時代の生活と恋愛を反映する(とされる)万葉集に無意識がぽつりと現れるというのは、「恋する乙女」と「恋」の距離がないのと同じである。Esのところに行くのではなくて、ただ、昔の人はEsの場所で恋をしていた。それだけの話。最後は大伴坂上家の大娘が大伴宿祢家持に答えて贈った四首の歌を紹介して、読者にもかつて「真剣交際」が存在した事を証明したい。今はネタにされがちな男女の恋でも、昔は短歌で綴られるくらい、命に関わる問題だったのである。

生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹(いも)と夢(いめ)に見えつる (4巻 581)

生きていたなら逢うことが あるかもしれないものなのに
どうして「死んでしまうよ」と夢であなたはおっしゃるの

ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも (4巻 582)

立派な男子もこのように 恋をするけどしとやかな
やさしい私の恋をする 心にくらべられようか

月草(つきくさ)の移ろひやすく思へかも我(あ)が思(も)ふ人の言(こと)も告(つ)げ来(こ)ぬ (4巻 583)

まるで色落ちするように すぐに心が変わるのか
私の好きなあなたから 伝える言葉も届かない

春日山(かすがやま)朝立つ雲の居ぬ日なく見まくの欲(ほ)しき君にもあるかも (4巻 584)

春日の山に朝雲の たなびかぬ日がないように
毎日毎日絶え間なく 逢っていたいあなたです

(2020. 2. 3.)

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