来歴の河を渡る

僕はゼロ年代が嫌いだ。前回の文で青山景の『ストロボライト』を扱っていて、その漫画に「来歴の河を渡る」という台詞が最後に独白として現れる。

青山景の『ストロボライト』は、まるで夏目漱石の遺作の『明暗』がそうであるように、ゼロ年代を精一杯生き抜いてきた浜崎という主人公が、町田ミカの眼の中に存在する「人」の存在を発見して自分が犯した罪と自分の才能に気づき、小説家になってまた町田ミカの家を訪れる。そういう文脈で読者に提示されるのが上の「俺は傷つきながら来歴の川を渡ってきた」という、訳のわからない、謎のようなセリフである。

台詞に隠されたメッセージなどないのだが、それを語る前にまず、僕とゼロ年代という大騒ぎの時代について語ってみようと思う。僕は93年生まれでゼロ年代の2001年から2010年は、歳で言えば8歳から17歳に相当する。というのは僕の青春時代の直前まで、つまり、小学2年生から高校の2年生までぼくはゼロ年代のアニメと漫画と、etc. を見てきた事に繋がる。代表的なアニメを時間の順に羅列すれば、下のリストになるんだろう。

2001年「ほしのこえ」:8歳

2004年「空の向こう、約束の場所」:11歳

2006年「涼宮ハルヒの憂鬱」:13歳

2007年「秒速5センチメートル」:14歳

(ここで主人公の明里と貴樹の歳が一部の時点で中学の一年生、つまり13歳なのは、まるで僕の歳と連動するようで個人的にワクワクする偶然であるのだが(秒速を初めて視聴したのは2010年のことであるが)、実は彼らのリアルタイムの年代は90年代のど真ん中で、僕の「ワクワク」は行方をなくしてしまったのである。)

2008年「とらドラ!」(翌年の3月まで):15歳

2009年「涼宮ハルヒの憂鬱2期」「けいおん!」:16歳

2010年「涼宮ハルヒの消失」「エンジェルビーツ」:17歳

ただ、僕は2011年から勉強で忙しくなり、2018年までアニメは充実に観たもののアニメについて喋ることはあまりなかった。それには2つの理由がある。まず一応、僕はじゅうぶんに考えない・なかった事象に対して意見を披露したり発表したりするのが苦手で、ゼロ年代を語るためには少なくとも10年は必要だったと、改めて見ればそう思われる。次に、ゼロ年代は僕から離れずに2011年からの10年間も支配した。それはいろんな意味でそうだったが、例えば批評家の東浩紀は2011年の『一般意志2.0』から政治の哲学を(ルソーに充実した読解ではなかったけれど)語るようになる。それは2018年発売の『ゲンロン0:観光客の哲学』まで続いた。僕は2010年から東浩紀を読んでて、今は研究で忙しい中東さんの著作はあんまり読まなくなってきたけど、『観光客の哲学』までの彼を追ってきた。

で、アニメも2010年代のアニメはゼロ年代の良作アニメを何も考えずに模倣する作品が多かったような、振り返ればそんな気がする。これは例が多すぎるので、除去法で例外の作品をいくつか並べてみよう。

2010年「四畳半神話大系」:17歳

2013年「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」:20歳

(2期は2015年、3期は2020年公開)

2014年「シロバコ」:21歳

2015年「この世界の片隅に」:22歳

2017年「けものフレンズ1期」:24歳

2018年「ジャストビコーズ」:25歳

2019年「ケムリクサ」:放送は19年からだけど、敢えて分けた。

2019年「さらざんまい」:26歳

見てる通り、10作以内のアニメはゼロ年代の模倣から外されている。僕らは本当の意味でゼロ年代から自由になる(正にいまさら翼といわれても)事はできず、むしろ旧世代の創作者たちが作ってきたアニメや漫画、SFの小説など「ゼロ年代の想像力」を享受しすぎて、一時期はアニメに「酔っていた」と言っても過言ではなかった。その時、脱法ハーブがアニメの音楽を流すクラブで流行っていたことも興味深い事象なのだが、それはさて置き。

上に記述した理由で僕は、0年代について語る機会があっても避けてきた。多分僕みたいに大学に入る前がゼロ年代で、大学に入ってから急に2011年(〜2012年)が始まったというひとは共感するところはあると思う。もちろんゼロ年代の想像力は魅力的で、それを好意的に受入れることも可能ではある。東浩紀の評論も、異論の余地はあるのだけど、ゼロ年代の欲望を肯定する何かの試みとして考えられるから。しかし2019年の7月、ある事件が起きた。

京都アニメーション第一スタジオの放火事件。それは僕にとっては小さな事件ではなかった。僕の人生を語る中で「京アニ」のブランドと会社のアニメを削除すれば話の分量は半分以下になる。京アニの放火事件は僕が初めて勇気を出して、「ゼロ年代」について語るきっかけとなった。僕は『アニクリ』10号に掌編の小説を寄稿した。それと同時に無意識のレベルから、幽霊みたいな声が聞こえてきた。その声は絶えることなくこう呟いていた。

「俺はゼロ年代が嫌いだ。俺はゼロ年代が嫌いだ」

話が長かった。青山景に、『ストロボライト』のあの独白に戻らなければならない。僕は「来歴の河を渡」りながら散々傷ついた。僕は世界の合理性を信じなくなって、それに答えるように世界は混沌たる政治の情勢になった。トランプが現れ、ISISの出現で中東が乱れ、ロシアはウクライナと半島をめぐる戦争を始めた。しかし小さなレベルの話でも僕が背負ったきたことは、傷ついてきたことは忘れていた。漫画とアニメはだんだんとつまんなくなってきて、気付いたら僕は昔のアニメばっかりを見ていた。流行りの漫画を読まなくなった。映画は言うまでもない。つまり僕は「つまらない物語」に傷つきながら「来歴の河を渡って」きたのである。それはどうしようもない事かもしれない。つまらない物語っていうのは、どの時代でもあるのだから。でももしかするとつまらない物語の繁栄と「面白い物語」の衰退は、僕らが0年代についてちゃんと考えてなかったことに原因があるのかもしれない。幽霊みたいな声は「考えろ」と命令したのである。

『ストロボライト』のラストは、黒いベタが主人公達の顔と電車と、山形の山村をその真っ黒な色で塗り潰しながら終わる。だが今になって僕は思う。顔と電車と山形の山村は、ベタで「塗り潰しては」いかなかった。僕らはすべてを記憶して、全ての正と負を記録して、次に来るべきものへ渡す義務があった。

ゼロ年代の雰囲気につぶされてその義務を忘却した罪は、京都アニメーションの放火事件に、想像できる一番残酷なかたちで我らに返された。

僕はゼロ年代が嫌いだ。今は、その理由を考えなければならない。

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