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cheerioの超個人的レビュー第24回『水谷麻里:春が来た』

今回は21世紀まで愛してる人がどれくらいいるのだろうか、と非常に興味ある水谷麻里さんの4枚目のシングル『春が来た(作詞:松本一起 作曲:佐藤健 編曲:鷺巣四郎)』について書いてみます。

発売は1987年1月1日。例によっておニャン子全盛期です。

水谷麻里さんに関しても完全に後追いです。当時はエキセントリック、不思議チックお姉ちゃんって感じで追いかけはしなかったですね。顔つきのせいもあるんでしょうが、ちょっと大人びいて見えていたので、ちょっとイタいとさえ思っていたような。

で、大人になってたまたま中古で買うわけですよ、2ndアルバム『ほがらか』を。

もう一発で気に入りました。キャラとかではなく作品として。特に一曲目の『春が来た』。イントロからやられます。大好きです。

タイトルの割りに歌声がハツラツとかではないんですよ。しっかりはっきり歌っています。芯が感じられます。Wiki情報ではそれまでの水谷さんは細い声で、このシングルから変わったとありますが、動画で見ても元々そういう歌唱法だったのかなと思います。

そしてあるアイドル関連書籍で宝泉薫さんがこの曲について「拓郎フォークのパロディのような」と綴っていましが、当時はそういう受け止められ方だったんですかね。後追いで聴いたからなのか自分は全くそうは思わないです。ある意味正統派アイドル楽曲とさえ思えます。宝泉さんの表現は水谷麻里さんにも吉田拓郎さんにも失礼なような気がします。というか歌詞に1箇所だけ出てくる「見えました」というですます調だけでそう表現したんじゃないのか?と。

さて。作家陣はベテラン勢ですね。安定しています。

冬の別れを引きずりながら春を迎え、岩場の影で膝まで川に入って、ああだこうだと思いを巡らす、という内容です。最初は感傷に浸るんですが、最終的には前向きになります。

「三時間だけ南へ Busに乗り
三時間だけ季節を 先回りすれば
彼と別れた冬が ずっと遠くに見えました
風は光り緑は萌えて 鳥が歌う」

この歌い出しだけで、もう(いい意味で)グラグラきます。何で三時間?譜割りを考えたとしても一時間でもよかったし六時間でもよかった。でも三時間。そしてバスで南「下」するも季節を「先回り」、先回りしたのに冬が「遠くに見え」る。

以前のレビューでも書きましたが、この前後が交錯する感じ。「下」という言葉と「先回り」のギャップ。そして「先回り」という未来をイメージさせる言葉と遠くに見えた「過去」である冬。過去現在未来の時間軸を自由自在に行き来しています。素晴らしい。

「サヨナラの代わりに 春行きキップを買った」

春は自然に来るのにキップを買うんです。そして春「行き」キップを買ったにも関わらず、

「春が来た 春が来た キュンと一人の春が来た」

と向こうから「来た」んです。ここでも「行く」と「来た」でグラグラします。

2番の歌詞に入ると、

「水面の鏡に 映った私をにらんで
アカンベーと鼻の先を 上に向け笑った」

という部分。シニカルと言うか、ロック的な自虐と言うか。このシーンを挿入することで感情を直接的な言葉を使うことなく表現しています。そしてこのシーンはリスナーに直接ではなく「水面に映った」間接的な主人公の顔を見せてくれます。実はこの部分の直前に当時としては珍しく文節とメロディの不一致な箇所があるのですが、そこも悲しさからくる呼吸のぎこちなさを想起させ、思いがけず効果ありです。

どこまで狙ったのかは分からないですが、この曲の歌詞はカジュアルに文学的です。しかもしっかり歌っているので不思議チックな印象ゼロです。

登場人物が主人公一人だけというのも絵的に美しいです。

あと、細かいところですが、間奏が4小節と無駄に長くないところも好感が持てます。DJはやりにくいかもですが。

というわけで、『春が来た』について書いてきましたが、まぁ、『ほがらか』以外は聴いてないので、この後にエキセントリックになってしまったのかもしれません。それでもこの瞬間の水谷麻里さんは正統派です。

そして大人になった今でも恥ずかし気もなく聴くことができるアルバムであることには間違い無いです。

その後のいろいろな要素も含めてですが、このレビューのトップ画が水谷麻里さんに見えなくもない感じに。。。
※トップ画は妻が描いたオリジナルイラストで、モデルは現在の女優です。



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