去年10月26日のメモ

この長い空白に思える時間はなんのためにあるのだろうか。
長い長い空白の時間。
早く抜け出したい思いで毎日を過ごす。

今までは目の前にあるもの、目の前に来たものに飛び乗ってしがみついておけば、
なんとなく日本という社会基盤がそのまま私を次の場所まで半分自動的に運んでくれた。
例えが適切かどうか分からないが、動く歩道(水平型エスカレーター)のような感じだ。
ゆるやかな速度で、しかし周りの歩行者に支障のない歩行速度で、周りを意識させながら運んでくれる。
それに乗っていれば、時に自ら歩かなくても歩道が自動的に運んでくれるし、急いで歩きだせば、本来の歩行速度が加速したように感じる。
これが日本の都市型生活だった。
そのためもあって、今までは全てが無意識にオートマチックに流れる人生だった気がする。

あらゆることが無意識にオートマチックに流れていき、それは自分自身の生き方にさえ大きく影響していたのだと思う。

都市で生きるとは、都市の動きに合わせて自分の行動も最適化するところが少なからずある気がする。だから、都市で生きるとは、都市の流れに自分を合わせることでもある。

日本の、都会の、東京の生き方や動き、思考、価値観を引きずっていると、こっちではとても生きづらくなる。まぁ、もともとこの生きづらさはずっと持ち合わせていたものなんだけど。
日本的な価値観や、都心の動きのOSを一気にこちらモードに切り替えるのは到底無理で、良いところは継承しつつ、無理なものは無理。あくまで別物として考えた方が身の為だと分かってきた。
ただ、この長い時間はもう終わりにしたい。自分をインストールし直すのに、なんでこんなに時間が掛かるのか…。

つづく

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