窟浦噛 文雄(くつうらがむ ふみお)の危機〜飛行機編〜

窟浦噛 文雄(くつうらがむ ふみお)は危機に立たされるのが好きだった。
昼休みになると決まって屋上へ駆け上がり、柵を乗り越えると校舎の縁(へり)でパーピージャンプをし、生命の危機を楽しんだ。
無論、そんな男であるから友人は一人もいなかった。
大牛程の体躯を持ち、その異常性から学内では危険人物とされ、特殊学級に転属するかと思われたが、その割にはまともであったから、それには至らなかった。また、それすらも文雄にとっては楽しむべき危機であった。


筆者は先ほど彼には友人がいないと申し上げたが、その発言には多少の齟齬があった事を諸君らに弁明したい。
文雄には唯一の友、シャベリヒトモドキの「辮髪」がいる。
余談ではあるが、かの有名な一寸法師のモデルは当時学術的に未発見であったシャベリヒトモドキだとされている。
いつも通り校舎の縁で日課のパーピージャンプをしながら、制服の懐から辮髪を取り出し文雄は言った。
「おい、辮髪」
「アア、ナンダイ、文雄クン」
「おれは今、危機に立たされているか」
「アア、ウン、ウン、立タサレテイルヨ」
「そうか、そうか、ガガガガ」
文雄は喉を鳴らしながら笑うと、更に尋ねた。
「おい、辮髪、おい」
「アア、ナンダイ、文雄クン」
「もっと危機に立たされる場所はないのか」
「アア、ウン、ウン、危機ニ立タサレルバショ」
「そうだ、もっと危機に立たされたいんだ、おれは」
「アア、ウン、ウン、ソレジャア、飛行機ニシガミツイテ国ヲ越エヨウ」
「ヒコーキ?」
文雄は飛行機を知らなかった。
「アア、ウン、ウン、大キナ飛ブヤツダヨ」
「なるほど、気球のようなものか」
気球は知っていた。
「なら、行くしかないな」
「アア、ウン、ウン、今カラカイ」
「ああ、おれは教員にも諦められているから、出席しなくとも怒られる事はないからな」
嫌なしたたかさも持っていた。


空港に着いた。遠方に飛行機の発着所が見える。
「おい、辮髪」
「アア、ウン、ウン、ナンダイ、文雄クン」
「あれが飛行機というやつか」
「アア、ウン、ウン、ソウダヨ、文雄クン」
「なるほど、かなりしがみつきやすそうな形をしているな」
文雄は飛び立つ飛行機を見上げながらゆっくりと頷いた。
空港内へと入り、通りかかりのほっそりとした係員に尋ねる。
「すみません、飛行機にしがみつきたいのですが」
「ええ?しがみつく?」
「はい、しがみついて国を越えたいのです」
係員の男は「はは、いいですね」と笑いながら会釈をして去っていった。
「なんだ、話にならん」
「アア、ウン、ウン、キット、下ッ端ダヨ」
「違いない」
ふと見上げると「SERVICE COUNTER」の文字が見える。
「むむ、これは、サービスカウンター。小学生の時分にはデパートでよくお世話になったものだ」
「アア、ウン、ウン、訊イテミヨウ」
カウンターの向こうでは身なりの上品な女性がテキパキと手を動かしている。
「あのう、すみません」
「はい、どうされましたか?」
「飛行機にしがみつきたいのですが」
「はい?…ええと、キャンセル待ちでしょうか?どちらの便に?」
「キャンセル?いえ、飛行機にしがみつきたいのです」
「しがみつきたいというのは…?」
「ここまで言わないと分かりませんか?飛行機にしがみついて国を越えたいのです」
「ええと…申し訳ございません、少々お待ち下さい」
そう言うと女性はインカムでどこかに連絡をし始めた。
「おい、辮髪、上手くいきそうだな」
「アア、ウン、ウン、ウマクイキソウダネ」
「あ、こちらのお客様が…」
「お客様、すみませんが、こちらに」
制服を着た屈強そうな男が背後に立ち、そう言った。


別室に連れていかれた文雄達は取り調べを受けた。
部屋の隅には警備員が面倒そうに二人突っ立っている。
「何で、おれ達がここに通されなければならないのですか」
「おかしな事を言っているからですよ」
「おかしな事?飛行機にしがみつきたいだけなのです」
「それは、どういう事なの?」
「ですから、飛行機にしがみつきたいのです」
「君ねえ、何を言ってるのか分かってる?」
「”何を言ってるのか分かってる?”あなたよりもおれの方が分かっているに決まっているでしょう」
「そういう事じゃなくてね、もっと世間体的な事だよ」
「世間体?飛行機にしがみつくのに何の体裁が要りますか」
「だから、常識的に考えてって話だよ」
「常識?ほう、あなたの言う常識がどういうものか気になりますな。少なくとも、おれの常識とあなたの常識は大きく食い違っているようですが」
「ああ!もういい!君、制服を着ているけど見た所学生さんだよね!?学校に連絡させてもらうから!」
「お好きにどうぞ。おれ絡みの話で教員達が取り合ってくれるか見ものですね」
「ご家族にも連絡させてもらうから!」
「いませんが」
「え…」
「もう、いませんが」
「あ…ああ、ご、ごめん」
「いえ…」
「ま、まあ、でも君のしようとしている事はとても迷惑な事だから、警察にも連絡させてもらうよ」
「え!」
警察!!!
警察は、マズイ!豪放磊落な文雄にも警察沙汰のマズさは理解(わか)った!だが―だが、落ち着け、文雄!こういう時こそ冷静になるのだ!
「文雄クン」
「な、なんだ、辮髪」
「逆ニ、コノ状況ヲ利用スルンダ」
「なんだ、具体的に言え!」
絶叫する様に囁いた。
「キット、君ハコノ後パトカーニ乗ル事ニナル」
「ああ、それは、マズいだろう!」
「発着所ノ周リニ柵ガアッタノヲ覚エテイルカイ」
「ああ、あったが!」
「パトカーヲ奪ッテ、ソノ柵ヲブチ破ルンダ」
「…なるほどな。それは、あまりに”危機的”だ」


そうと決まると一転しおらしくなった文雄はもの分かりよく、警官に連れられながら、自分を別室に連行した憎き男に会釈すら(!)して空港を出た。
駐車場。
「君、なんでこんな事をしたんだい?」
警官。
「飛行機にしがみつきたかったからです」
「まだ言ってるのか」
もう一人の小太りの警官が呆れながら呟いた。
「文雄クン、タイミングヲ逃サナイヨウニネ」
「ああ、分かっている」
囁く。
「じゃあ、後ろの席に乗ってくれるかな」
「はい」
後部座席のドアが開き、小太りの警官が乗るように促す。
続いて小太りの警官が後部座席に乗り込み、ドアを閉める。
そして、運転席の警官がエンジンキーを挿して、捻る、その瞬間―
「今ダ!」
文雄はその大牛程の体躯を活かし、両腕をブン回した!
ドアをぶち破り、警官達はたちまち車外に放り出され、エンジンのかかった車だけが残った!
「よし、行くぞ!辮髪!」
「トコロデ、文雄クン、今更ダケド、君ハ免許ヲ持ッテイナイノニ運転ハ出来ルノカイ?」
「ああ、ゲームセンターで湾岸ミッドナイトをやった事がある!」
文雄は運転席に飛び座ると、アクセルペダルを踏み込み急発進した!
駐車場のバーをぶち破り、車道に出る!
発着所までは直進だ!一気に加速して…100!…150!…200km/h!
「行っけえぇぇ!!!」
柵をぶち破り、発着所に侵入!
「文雄クン!アレ!」
離陸準備をしている飛行機だ!
十分に加速している!
もう、離陸中止にはならないはずだ!
パトカーを並走させ、車体の上に飛び乗り、降着装置に手を伸ばす!
「クソッ!ダメだ!届かん!」
「文雄クン、僕ヲ使ウンダ!」
「なにっ!?まさか…」
「僕ノ辮髪ノ部分ヲ使ウンダ!ソレデ距離ガ稼ゲル!」
「辮髪…!感謝する!」
文雄は辮髪の辮髪の部分を降着装置の柱に巻き付け、手繰り寄せ、すんでのところでしがみついた!
この日、窟浦噛文雄と辮髪は日本を発ったのだ!

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