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加納さんのお財布

上野でのフェスティバル出演の後、加納さんと一緒に母の家に向かった。
預けていた加納さんの財布の修理が出来上がったと言う。
母の家に着くと柴犬じろうがゆらゆらと尻尾を振りながら出迎えてくれた。
母は次から次へとテーブルに食べ物を並べる。
トロサーモン丼、もずく、めかぶ、マグロのお刺身、白滝と牛肉の煮たの
「アイスクリームも買っておいたのよ」
ハーゲンダッツ。
「こんなの作ったの。」
リンゴとレーズンをたっぷりバターとラム酒で煮たの。アイスクリームに乗せた。
「柿もあるの」
加納さんと二人で一生懸命食べたが50代の胃のキャパシティは有限で、柿ふた切れを最後にゲームオーバー。
「朋ちゃんと加納さんは学生時代からずっと仲良くていいわね」

キッチンからこちらを眺めながら母が呟いた。
もう30年以上。あの頃とは胃の容量も違うしあれから色んなことがあったけど、母の前に並んで今もなんやかや沢山食べて笑っていられることを有り難く思った。

加納さんのお財布は大学時代、私が実家を出て一人暮らしをする時に引っ越しを手伝ってくれたお礼に父が加納さんに贈ったものだ。
三十数年を経て、丈夫な作りとはいえあちこち破れたり傷んだりしていてそこがまたアジがあって格好いいのだけど「さすがにもう買い替えようかな…」と本人も言っていた。
そのお財布をたまたま見た母が
「このアジを活かして修理してみようか。そういうの好きなの」
と言い、私が預かったのだった。
(そして私が預かったまま半年くらい寝かせてしまい、その間加納さんの財布はジップロックだった。ごめん)
母の手が入った財布は綺麗な色の蛇革やトカゲの革を当てて縫われ、補修されていた。
「このお財布はお父さんが縫ったのよ。ほら、際ギリギリのところを細かく縫ってるでしょ。そういう几帳面なとこあるのよね」
なるほど確かに今のお財布の縫い方とだいぶ違う。
「それじゃこれはお父さんとお母さんの合作になったんですね。益々このお財布が好きになりました。」

加納さんが言うと母は「そうね」と少し嬉しそうに笑った。
革はボロボロで縫い直せないところもあり、決して綺麗な仕上がりではないけれど、更にあたたかくてかっこいい唯一無二の仕様になったお財布は昨晩無事に加納さんの元に帰ったのだった。

父の葬儀以来初めて訪れた母の家にはあちらこちらに父の写真が飾られ、花が活けられていた。
「どこに居てもお父さんが居るの。いいでしょう」
母が言った。
お父さんはうちにも本店にも支店にもいる。
お父さんは死んで、増えたんだな、と思った。
或いはとっても大きくなって私たちを包んでいる。そこかしこにお父さんがいる感じがある。
でも、居ない感じもある。
本当に、死んで居なくなるというのは不思議なことだ。

ごはんを食べて、財布を眺めてじろうを愛でて、ずいぶん長居をした。
「加納さん、また来てね。」
玄関で私たちを見送りながら母が言った。

加納さんのお財布がまたボロくなったらお母さんが直してくれたらいいな。
(それでね、実は私はこのお財布がとってもとっても羨ましいのだった)

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