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父記録 2023/5/10【終わりと始まり〜ウロボロスの蛇】

5/10   

「やっぱり、かわいそうよね」
爆発させるように表現し続けていた父がパーキンソン病でアイディアが出て来なくなっていったのはとても辛かったと思う、と母は言った。
「だからね、シルバーやり始めてから思い切り出来た期間てあんまり長くないのよ。パーキンソンだ、って分かる前からだから…後半はね、お父さんずっと機嫌悪かったよ」

母だけが知る、母だけが気づいていたのかもしれない父の苦悩を感じて胸が詰まった。

父は、私やスタッフやお客さんにはその不機嫌をあまり見せなかったように思う。
でも…最初は開放的な前面ガラス張りだった店の、ガラスの面積は段々と減ってゆき、最後は一面壁になっていた。
サンタフェ風の赤茶色に塗られたその壁に、父はインディアンの酋長の言葉を書きたいと言っていた。
誰の、何という言葉だったか思い出せないけれど。
あの店は、父そのものだった。

振り返ってみると、父が思い切り活動出来たのは57歳くらいまでだったのかもしれない。
60歳でパーキンソン病と診断されたが、その数年前から母は「お父さん、なんだかおかしい」と言っていた。
そんな母に私は「お父さんだって歳をとるんだよ。単なる老化だよ」と言い続けた。

病によって、創作意欲が失われる。
絶え間なく創ること、表現することを続けて来た父にとって、それはどんなに辛く恐ろしく、悔しいことだったろうか。
「最近新作出ないですね、とか言われるのよ。きつかったと思うわよ。」
そんな中で父はあれほど多くの作品を残したのだ。とてつもない意思と執念のようなものを感じた。

父が作ったシルバージュエリーの原型リストを見ると、その軌跡を垣間見ることが出来る。古いものから順に、通し番号がついている。
荒削りでシンプルだけど勢いのある初期。
ロストワックス技法を習得して幅が広がり、立体的な造形のアイディアがとめどなく溢れているような中期。
父独自の抽象化、現代美術のセンスを強く押し出した一連の作品群は中後期。
後期は従来のデザインのアレンジや、小さな作品が多い。

475番で父のリストは終わる。
尻尾を咥えた蛇。
ウロボロス。
あれほど凝った造形を作り倒してきた父が最後に作ったのは、原点に戻ったかのようにシンプルで平面的な蛇。
従来品のアレンジや、小さなパーツの多い474番までの流れとも全く違う、オリジナルのデザインの蛇だった。
裏に震えるような筆跡で「2013」と彫りつけてある。2013年の9月に両親の店「STUDIO T&Y」は37年の歴史に終止符を打った。

数年前の真夜中。
商品説明を書くために「尻尾を咥えた蛇」について調べていた私はその意味を知ってひとり震えた。
「死と再生」

それが最後の作品になると、父自身が思っていたかどうかは分からない。
多分、思ってなかったんじゃないかな。
どうだろう。
句点のような円を描く、ちょっとおとぼけ顔の蛇には父の情熱や願いや洗練やユーモアが凝縮しているように見えた。

リストの中には父が廃盤にしたものも多くある。廃盤になっていたけど私の代で復刻したものもある。
476番からは私と夫が作ったものが少しずつ増えている。
リストはこれからも続いてゆく。

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今日の父はとても穏やかで、手足も暖かかった。
私と母が歴代の犬たちや、昔の国立(くにたち)の話をするのを聞きながら、金槌を打つような動きや、革を縫うような動き、食べ物を口に運ぶ動きを繰り返していた。
「よかったわね、そんなに好きな仕事をずーっと出来たんだもの」
父は今も作り続けている。
今日は桃のジュースを舐めた。

帰り際、母が父の手を握って「また来るわね」と言うと父はかすかに、だけどはっきり口を動かして
「ありがとう」
と言い、笑った。

私「お父さん笑ったー!」
母「楽しいでしょう、ともちゃんとあたしと喋ってると。昔みたいでしょう?
毎日会えてうれしい。縁あって一緒になったんだもんね、なんてね!」

看護師さんがやってきた。
「ありがとうございます。今日もね、いいお父さんだった!」
と母が言うと看護師さんは弾けるように笑った。

STUDIO T&Y国立、閉店の日
父の最後の作品

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