二代目『薔薇族』編集長の作り方 第3回(Webマガジン『ヒビレポ』2015年4月17日号掲載)

ようやく着けたゼ「新宿二丁目」

重度の中二病患者だった少年が、本邦初の同性愛マガジン『薔薇族』の二代目編集長になるまでを描く大河ロマン(自称)……今回は、今とはかなり様子の異なる昭和50年代の「新宿二丁目」について語ります。

下調べもせずノコノコ出かけていった結果、ゲイの黄金郷(←当時の勝手なイメージ)・新宿二丁目のメインストリートである「仲通り」にたどり着けなかった、東京ビギナー時代のハイティーン竜超。
とはいえ同じ轍を2度踏むほどのバカでもないので、リベンジの際にはそれなりに事前リサーチをし、今度はどうにか行き着くことに成功したのであった。
だがしかし……到着したのが真っ昼間だったため、当たり前だが「二丁目の二丁目たるゆえん」であるところのゲイバーなんて1軒も営業してはおらず、またも屈辱の撤退を余儀なくされてしまった。

かつてのぼくのような先入観にとらわれてしまっている方のために解説しておこう。
白昼の新宿二丁目・仲通りというのは、何の変哲もない商店街……なんて云ってしまうと「何の変哲もない商店街」に怒られそうなくらいに淋しい通りなのであった。
現在はだいぶ「ゲイ関連以外の店」が増えているので昼間でもソレナリに動いている感じだが、昭和58年当時の昼間の仲通りはマジで「ほぼ仮死状態」だったのである。

で、三度目の正直とばかりに、今度は日没を待って出かけていった。
仲通りに入ってわずか数歩あゆんだあたりで「ネ〜どこ行くの? 一緒に呑まない」と誰だか判らない人からいきなり声をかけられパニくったが、「……い、いや、もう行くトコ決まってるのでッ」と誘いを振り切って駆け出した。
「行くトコ決まってる」のはホントの話で、事前にキチンと『薔薇族』に載っている広告を吟味し、どの店がいいか選んでおいたのだ。
それは、もはや死語となった感の強い「ディスコ」で、「MAKOII(マコ・セカンド)」という店だった。
昭和60年に新風営法が施行されるまでは二丁目にもゲイ向けのディスコがあって、けっこう賑わっていたのである。

雑居ビルの階段をのぼった2階にその店はあって、入口の真正面が受付兼バーカウンター、そこで料金(500円)を支払ってワンドリンクを受け取るシステムだ。
フツーに「コーラ」と云えばいいのに、ワケわからん気取り方をして「コーク」とか云ってしまったあたりに「なめられまいぞ」という若者ならではのナゾの気概が込められていたのであった。

バーカウンターの左手奥がコンパクトなダンスフロアになっていて、そこでは10代から20代後半くらいまでの男子たちが音楽に身をゆだねながら「ボーイ・ミーツ・ボーイ」的状況が展開されていた。
歌舞伎町とかのディスコに行くと、まずはフリーフードコーナーで「払った金の元をば取らんと!」とばかりに腹ごしらえに走る(食いすぎて苦しくなって踊れなくなったこと多々あり)ぼくであるが、こういう場では正体を封印し、「ハンバーガー1個食べるのもやっとデス。てへ♪」みたいな純情少年ぶりっ子(←コレも死語)をキメるのである。
そーすると5分もしないうちに「ダンスうまいじゃん」と見え透いたお世辞(体育の授業を95%サボっていたぼくのダンスが「うまい」道理がない)を云ってくるヤツがいた。

ぼくは自分を安売りするようなことは絶対にしないので、「え〜、そんなコトないよォ♪」無邪気な弟キャラを演じながらも、高性能センサー並の精度で相手をチェックしていた。
背、高い。
ルックス、上等。
ファッション、センス良し。

ウン、身をゆだねてOK、と結論づけたぼくは、そのニーチャンのペースに乗っかることにした。
「いくつ? どっから来たの?」とお定まりのナンパトークが繰り出され、気が付いたらぼくは「連れ込み宿」的なところにいて、安っすい茶をすすっていたのであった。

連れ込み宿というのは、別にアナクロ感を出すための演出として云ってるわけではないヨ(あの頃にだってハイセンスなラブホテルくらい山ほどあったっつーの)。
もーホントに「連れ込み宿」と云う以外にないような施設だったのである。
踏むと沈み込むような古畳の和室に布団が敷かれており、傍らの使いこまれた座卓の上には急須と湯呑、そして「魔法瓶」と呼ぶのがふさわしいポットが置かれていた。
さァ、これを「連れ込み宿」と呼ばずにキミは何と呼ぶか!?

じつは新宿二丁目というところは昭和33年売春防止法が施行されるまで「赤線地帯」で、当時はまだその名残である木造家屋がけっこう残っていたのである(あの街の歴史を詳しく知りたい方は彩流社から絶賛発売中の拙著『消える「新宿二丁目」』をお読みあれ)。

さて、ここから先についてはナマグサイ話となるので、良い子のお友達も読むかもしれない「ヒビレポ」ではハショる。
まァ、そーゆートコへ行ったワケだからそーゆー展開になるのは自然のなりゆき、ということでご理解願いたい。

で、その夜のセーコー体験(⇐2つの意味があります)に味を占めたぼくは、ガキ特有の自惚れもあって、とあるゲームにのめり込んだ。
ナンパスポットに入り浸って、どのくらいの相手からモーションかけられるか(←またも死語)をリサーチする、「自分にどのくらいの商品価値があるのか」を試すゲームだ。
「若さというのは性的魅力を4割増しにするイリュージョン」というのがぼくの体験的持論であるが、ホントに面白いように相手が寄ってきたネ。

そういえば、ウワサに聞くオトナの街「六本木」に最初に行ったのも「ナンパしてきた相手に連れられて」であった。
その人は5つぐらい年上の日米ハーフの超イケメンで、「ホスト兼ファッションモデル」と云っていた。
自宅は、六本木駅の裏手にある小洒落たマンションで、フローリングの上に当時の最先端アイテムだった「床置きの大型テレビ」があった。
荻窪の4畳半トイレ共同アパートに住み、石丸電気で値切って買った14型テレビを観ていたぼくと比べれば笑っちゃうほどの格差だが、
「まー、ガイジンさんだからなァ……」
とミョーな納得の仕方をしたのは、やはり敗戦国の少年だったからであろうか???

お酒を呑みながらのイチャイチャ会話中、その彼が唐突に、
「ボク、このヒト大好き!」
とテレビ画面を指さした。
いぶかしみながらブラウン管に目をやれば、そこにはドラマ『エプロンおばさん』に主演する女優・冨士眞奈美の姿が……。
どうして混血イケメン冨士眞奈美の大ファンで、なんでまたよりにもよって「2人きりのイイ雰囲気の時間」にわざわざ報告したのか……その謎は30年以上経ったいまでも解明できてはいない。

ただ、確実に云えることは、どれだけムーディーな空間であっても、一緒に『エプロンおばさん』を観るとエッチな気持ちは萎えますゼ。

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