立体音響って意味あるんですか?

いや、これは煽りとか挑発の類ではなくて、本当に知りたい

生来右耳の聴力がないので、ステレオというもので音楽を聞いたことがない
その事に気がついたのは小6のときで、みんなが自分の知らない合いの手を当然のように歌っていたことで
「もしかして、音楽って左と右で違うものが流れてるのか!?」と知るに至った

その時に使っていた、くもん式のCDプレイヤー

当時はエウレーカ!した高揚もあってかその本当の意味をよく分かっていなくて、今まで聴いてきた曲をLR付け替えてすげ〜〜何これ〜〜と楽しんでいたのだけれど

この楽観が壊れたのが中2の時で、当時ニコニコで "立体音響" なるものが流行り出した時期

前とか後ろから音が聞こえてくるらしいその立体音響を体感してみたくて、当時好きだった「六兆年と一夜物語」の立体音響verを聴いてみたのだけれど、当然違いなんか分からないわナ

でもコメント欄では「すげー!」「ここ神!」ほか賞賛のコメが流れてて、目の錯覚みたいな "わかる人にしかわからない" 系のコンテンツか〜チェッとむくれちゃった、茨木少年

それでも当時の少年は(もちろん今でも)自分のことを違いの分かる感性鋭いボーイだと思っているので、まさか自分よりセンスのないはずの母親にはこの機微は分かるまいと思って、立体音響の説明をしつつ曲を聞かせて、、


その時の母親の顔、今でも忘れられないな

悲しそうな顔、辛そうな顔、目は泳いでるのに唇は固く結んであって、何かを訴えたくも、隠したくもあるような、変な顔

母親にとってあの瞬間が、わたしの耳の不自由さについて真に理解した時だったのかもしれない
ごめんね、絶対にあなたのせいじゃないよ

この出来事を経て、
・どうやら人間には両耳間の時間差や強度差から音のする場所を把握する機能があるらしい
・ステレオや立体音響はその機能を利用して空間を擬似的に作っているらしい
という事を学んだ

思い返してみれば、お祭りで名前を呼ばれたから振り返ったら目の前に呼んだ相手がいて周りに笑われたこととか、過剰なほど相手の目を見て話を聞くのを嫌がられたこととか、自分の性格や個性によるものだと思ってたものはただ「片耳が聞こえない」っていう障害にすぎなかったんだよな

当時友達とずっとやってた「ときメモ4」にはバイノーラル録音が搭載されていて、
いい感じのシーンになるたびに花澤香菜の演じるキャラが耳元で囁いてくれるエッチなサービスのはずが、その「耳元」を感じられないばかりか2分の1の確率で口パクになってしまう理不尽なギャンブルと化していた
(これはこれで面白かったが)

それらはあんまり辛くなかったし、他に沢山のものを持って生まれて・与えられて育ってきたから、これくらいの不自由は誰にでもあるよなあとは今でも思う

でも本当に耐えられないものがあって、自分の好きなアーティストの考えてることや拘りの全てを100%理解できないということが確定してしまっている事実

山口一郎がアコギをこの位置に置いた意味
堀込高樹が意図したシンセのゆらぎ方
そこから生まれる美しさ、エトセトラ
みんなには理解できる可能性が残されているのに、わたしには絶対にわからない わからないことだけがわかってしまう

音楽を好きになればなるほど、彼らが曲に込めた想いを受け取る土壌が培われていくほど、その埋められない溝がどうしようもなく大きくなってしまう

う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん、

二葉亭四迷(1864〜1909)

その上で聞きたいんですが、
立体音響って意味あるんですか?
ステレオとどう違うんですか?
どっちの方がどういった感じを受けて、どんな気持ちになるんでしょうか
そもそも、こういうことを考えながら音楽を聴いてるんですか?みんな

もしこういったところを気にしないで聴いてたら、一度だけでも注意を傾けてみてください
それができる才能がみんなにはあるので、実は

それができるのにやってみないのは、あまりにも

ワンガリ・マータイ(1940〜2011)

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