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鍵が抜けない

今夜は、
何か落ち着かない彼女の様子を僕は何となく感じていた。

来店時間や注文内容はほぼいつも通り。
けれど
何かが違う。

その事件が起きてからあと数時間で24時間が経とうとしている。

その日の朝出勤時の事件について彼女は話し始めた。

「玄関のドアをロックしようとしたら鍵が抜けなくて」

何回もトライしたが抜けなくて抜けなくて。
部屋に戻りガムテープを探して刺さったままの鍵に被せるようにドアノブ
全体にガムテープを貼り付けた。

そんな作業をしていたら遅刻しそうになり、タクシーで会社に行ったと。

一日の始まりから不運な出来事が起きたようだ。

現在午前二時になろうとしとている。

そんな状況ならうちで酒飲んでる場合じゃないんでは?
と僕は心配になった。

もしかしたら仕事中に業者でも手配してもう解決しているのかな?
とも勝手に想像してみた。

そんなことを思っている間に

「同じものをもう一杯ください」
と彼女はマッカラン12年をお代わりした。

今日は疲れているのかやや口数が少ない。

出社前に起きるアクシデントは小事でもその日一日を
重いものにしてくれる。

その重たいものを背負って来店した様子が伝わってくる。

鍵はどうなったんだろう、、、、、、、


起承は聞いたが転結は話さない。

「それで鍵は、解決したの?」

気になって聞いてみた。

「まだそのままなの」

と彼女の返事を聞いて急にひらめいた。

そうか、そういうことか。

弱ったなぁ
閉店までは二時間近くある。

それまで待ってもらうのは申し訳ない。
こうしている間にもガムテープに覆われたドアノブは他人の目に
触れている。

彼女の部屋まではここから5分程であることは以前聞いていた。
遠くはない。

「じゃあ、ちょっと見てみようか?」

一時的に店を閉めて様子を見に行くことに決めた。

残りのマッカランを一気に飲み干してお会計を済ませた。

その物件の近くは良く通ることがある。
ちょっとこじゃれた新しめの建物だった。
階段で2階に上がるとガムテープが貼られたドアは直ぐに目についた。
慌ててがむしゃらに貼った感がにじみ出ている。
一点が盛り上がっており、剥がせば鍵が刺さっているだろうくらいは
誰でも想像できるような形になっていた。
幸いにも剥がそうとした形跡は無さそうだった。

隙間に指を入れて引っ張った。
バリバリと音を立ててガムテープは剥がれた。
深夜のこの時間他人から見たら僕たちは不審者に見えたかも知れない。
音が小さくなるように少しずつ剥がしてドアノブをむき出しにした。

確かに鍵が刺さったままだ。
左右に小刻みに回しながらゆっくりと引いてみた。
何事もなかったように鍵はするりと抜けた。

彼女はぽかんと口を空いたまま僕の右手の鍵を見つめている。

「抜けたね」
「抜けたぁ~よかったぁぁ」
一回で抜けたことに信じられないようだった。
鍵は長く使っていると山の部分がすり減ってかみ合わせが悪くなり
引っかかることがある。

朝の急いでいる時間にそれが起きたから慌てて力んでガチャガチャ
やったのだろう。
深呼吸して仕切り直して引っ張れば抜けたかもしれない。
しかし初めての事であれば冷静さを欠いてしまうのは仕方ない。

「ちょっと待ってて」
と部屋に入り、母親が仕送ってくれたであろうグレープフルーツを
持ってきて
「ありがとう」
と手渡された。

「抜けてよかったね」

「おやすみ」
と挨拶をして引き返した。


簡単に抜けたからいいものを
もし抜けなかったらどうなってただろうか?
などと考えながら店に向かった。


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