【放言シリーズ039 】

・何とも言えないジレンマを、放置してきたが、また突き当たった。でも、今日は他者の言葉を通して向き合ったことで、ぼんやり次に向かう仮説のようなものも舞い降りてきた。

・私は基本的に、学びによって人は賢くなるし、学びこそ人生を豊かにする、と心の底から信じている。

・身体総重量のうち2%しかない脳が、総消費エネルギーの20%を占めている。脳はこれだけ非合理な存在として、最適化をせっせかおこなう臓器であり、これこそ学習の本質であるというのだ。もちろん、人間コミュニティ全体としても、類似の構造がある。

・そうだとすると、私の主張は完全に破綻する。そんなことがあっていいものか。自分のアイデアが破綻することなど、大したことはない。これまでに何度もあった。人類が1万年かけて積み上げてきたものが、ただの合理化に過ぎなかったことをどうやって信じたらいいのか、分からなかった。

・ふと、ヘーゲルを思い出した。プラトン/アリストテレスに端を発する普遍論争は、観念論/唯物論、人文系/科学系、、、と形を変えながら、もちろん解決を見ることなく続いている。このパラダイムの転換において、極めて大きな示唆を与えているのがヘーゲルである。

・彼は、本来的に科学にしか適応されない方法論を、無理やり人文に適用した。その結果、人文から一部を切りはがして「社会科学」を確立した。ヘーゲルの最大の功績ではないかと理解している。

・当然ながら、ヘーゲルの発見の背景には、普遍論争的ジレンマがあったに違いない。反対にヘーゲルはそのジレンマの突破に、一定部分成功した。

・学びは役に立つ。良い働き方は世の中を良くする。他方、人間は誤るし、人生の最後に待っているものは、すべての価値を同じラインに揃える。価値のあるはずの学問においてさえ、

・私たちは、このジレンマにいかに向き合うか。

・本業・副業の両立は、一つの言い古された解決なのか。

(未完)


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