2023/07/09 脚の損失

日曜なのでサイクリングに出た。
お昼ごはんを食べて帰る。その程度の軽さのつもり。
つもりだったのだが、生憎パンクしてしまったのである。

パンクは何度も経験しているのだが、いまだにパンク直後の「あら、あららららら、あちゃー」という感覚は新鮮に感じる。

パンクした場所が市街の近くだったので助かった。1キロほど歩いて自転車を修理屋さんに預ける。

その時点での時間は午後1時。受け渡しは6時頃とのこと。大きめの釘状のものが刺さっており、タイヤごと交換になった。費用は7000円の見積もり。おぞぞ。
うーん、と思いながらで町に出向く。ひとまずは腹ごしらえが必要だった。

行きつけのラーメン屋で担々麺を食べるつもりだったのだがそれも敵わないので、別の担々麺屋さんに行く。店員のおじいさんが丁寧で、優しいな、と思った。
味は普通。中辛にしたのだがもっと辛くしてよかったかもしれない。


そのまま店を出て、ブックオフによった。時間を潰す手立てがほしい。
街にいるので遊んでもいいのだが、このあと7000円取られると思うとそんな気分にもなれなかった。

なんの本を買おうかと見て回る。
一旦エッセイや歌集のあるコーナーに寄った。比較的その辺のジャンルは好きだった。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が三冊並んでいた。ブレイディみかこの文章が良い、という噂を聞いていたので以前から気になってはいた。手にとってパラパラめくった。が、なんとなくいまじゃないな、と思って棚に戻す。
小説のコーナーに行き、江國香織の本を探した。一冊も読んだことはないのだが、やはり文章が良い、という話を聞く。
手にとって表紙裏のあらすじに目を通すが、やはりまた違うなと思い棚に戻した。

何が違うのか。少し考えたのだが、心当たりはあった。それは余裕のなさである。
脚を失い日曜の予定が崩れたいま、「素敵」といった内容の本を読む優しさがなかったのだ。共感はゆとりであり、ゆとりとは余裕である。今の自分には、人々の機微に共感する余裕がない。

新書のコーナーにいき、『寝ながら学べる構造主義』を手にとって会計に向かった。読了する前になくした本であった。

勝手に私の元を去ったこの本を再び手にし、読む。それは復讐であった。怒りの発露にちかい。
勝手に手元から去りおって。所有は私だぞ。


来週の土曜にこの街でお酒を飲む予定だったので、店の目星をつける。何件が店先を見て回ったその足で公園に向かった。

公園はそこそこ広く。少女が一人ブランコで遊んでいるだけだった。

なるべく距離を取りながら、遊具から一番遠いベンチに腰掛ける。


幸いその日は日差しも強くなく(もっとも、だからこそサイクリングなどという愚行に走ったわけだが)、水分を取ってさえいれば殺されることもないだろう、という様子であった。


ファミマで買った198円のアイスコーヒー(Mサイズ)を飲みながら本を読む。マルクスの主張がさらっと書かれており、共感する部分もありつつムカつくこと言ってるな、とも思った。


だらだら一章を読み終えたので公園を発った。そろそろ自転車受け取りの時間であった。


白いタイヤの自転車だったのだが、修理に際して後輪が黒色になっていた。事前に説明を受けていたのでなんとも思いわしなかったし、ブラックジャックみたいでいいか、と思った。

交換費用は5800円だった。お、見積もりより1200円安い。
頭の部分がガタついているので手遅れになる前に交換した方が良い、といわれた。うーん、そうでつか

金がかかること!

ただまぁ、なんとなく、この日に出会った人の温度感はだいたいちょうどよかったので、悪くない日だった、ということで。

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