ドット絵、古いアニメの話 2024/09/07まで
ドット絵に関してそこそこの関心があるのだが、最近いろいろなシーンで「1pxのサイズが統一されていないドット絵」を見かけることが増えた。
ハードウェア的な部分での制約がなくなったからこそこういったこともできるのだろうし、むしろ気にしたほうがコストが高く付く、というところだろう。
ゲーム関連でもみられる事象だし、AIアートのシーンだと特に顕著だ。
そしてその流れは特にこれから見られるようになった気がする。バイアスかもしれない。
なかなか難しいところではある。
まぁ自分はドット絵原理主義者ではないので、このあたりに対するこだわりや思想は薄いのだが(原理的なドット絵を語るうえでは厳しい色制限もあるはずで、自分はそのあたりをスルーしているし)、まぁしかし1pxのサイズが統一されていないドット絵はどうしても「美しくはないな」と思ってしまうのは事実である。
アートというのは一つの均衡であり、それを守るにしても破るにしても思想がいる、ということだろうか。
些事について
銀河英雄伝説、マジで面白いです。
様々なキャラクターの思惑が入り混じるなかで世情がどう変化していくのか、というのが本当に面白い。
あとセル画!セル画のアニメのことをどうも好きになってしまうのだが、これはなぜが。
塗りの淡さというか、暗さというか。それがもたらす作品の重みがすきなのかもしれない。
加えて銀河英雄伝説は声優さんがかなり豪華ですね。
もうなくなってしまった方も多い。「やはりいい声だったな」と感じられる。
思うに演劇や部隊出身の(並びにその流れをくむ)声優さんが多い時代の作品で、そういった発声、声音が好きなのだろうな。
銀英伝は共和制と君主制の政治対立を描く作品なのだが、それぞれの政治体制の構造的欠陥が強く描かれている。
特に「君主制ならびに貴族性における血統の価値と、それにともなう権威継承問題」はかなりおもしろい。「有能な王の子どもが無能なときどーするの?」という話だ。
統治者が有能であり続ければ、君主制も独裁政治は大変すぐれた政治体系なのだろうが、実際はそうならない。運用している者か人間である以上、これは不可能なのだ。
一方共和制ではこういった一個人が権力を握りしめるようなことは起こり得ない……
はずが、銀英伝では国民が代表として選んだ政治家が権力を握り、結果君主制の悪いところだけが膿のように出てしまうことについても描かれる。
おもしれ〜
こういう政治的な対立、国家間の闘争が描かれる作品は面白い。
子供の頃はこういうのがむずかしかてよくわかっていなかったが、いまみてみるとなかなか面白がれてしまう。
銀英伝、オヌヌメです。
ハマってるアニメについて