睡眠の素養と死の作品について 2023/07/27

つまり素養というものは確実に存在するわけだが、さて「ポケモンスリープ」というゲーム。私にはこれの素養がない。

ポケモンスリープ、本当に流行っている。まわりの人間と10人ほどフレンドになった。

私もリリース日から始めている。すでに一週間はほど経過している。が、いまだに捕まえたポケモンはチュートリアルで出会うピカチュウとゼニガメだけである。

なぜか。


「ポケモンスリープをつけて寝る」ということができないのだ。


ポケモンスリープを遊ぶためには「これから寝ますよ」という決意をしなきゃいけないわけだが、それが苦手なのである。

睡魔はじっとりとまとわりついて私を睡眠へと引きずり込む。彼とはそういう関係で付き合っている。

ベッドに横になりながらなにかをして、寝落ちする。こういうことでしか睡眠と向き合えない。

睡眠を自主的に受け入れる意思。これが欠如しているのである。

ゼニガメを捕まえられたのも、4時に目覚めての二度寝に向う間にアプリを起動できたからである。


ポケモンスリープの攻略法を模索せねば。




太宰治の葉の書き出しってみなさん知ってますか。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

太宰治 『葉』

これが本当に美しい。

芥川の歯車の終わりもいいですね。

僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?

芥川竜之介 『歯車』


死に向き合う人々から出力されるものの質感はかなり繊細に感じます。


冬の京都でウォーホルの展示会をみたのですが、後期の彼は『死と惨禍』と題していくつかのシリーズを展開していました。

アンディ・ウォーホル 『死者5人』

この頃のウォーホルは事故死を極度に恐れていたとされています。
彼はそれをモチーフに作品を制作しすることで、その恐怖を戯画化して受け入れようとしたのではないでしょうか。

ポップアーティストとして資本主義の世界を股にかけ、当時の色を体現するような作品を沢山制作していた彼のなかにこういった色が広がっていたのは、やはり人というのはそうなんだろうなと、ついつい思ってしまいますね。

死についての覚書

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