「性愛関係成立には相互の合意形成が必須だなんて当たり前すぎるでしょ今更何言ってんの?」とポカーンとされる世界を目指して

アツギのタイツ企画炎上。まさか「タイツだけにあったかくなりましたね」って渾身の自傷型ギャグって訳ではないでしょうから何がどうして悪かったのか含めて思うところを書きます。

 ただの個人的忘備録ですが、この種の話をTwitterに書くと感情的になるのを止められないのに感情的になってる事実を頑なに認めない方から感情的に話しかけられることを経験則で学んだのでnoteに書きます。

 この論争を見ていると、例えば女性がタイツを履いてて痴漢にあったら第三者に「タイツはメーカー公認エロアイテムだよ、誘ってたんでしょ」って言われかねないこの世界は、男が偶然夜道で女性の背後を歩いてたら撃退スプレー噴射されても第三者に「襲うつもりだったんでしょ」って言われる世界と裏表なのだとわかります。

 男女双方随分生きにくい世界ですね、それは。

 そうはいっても「エロく見える女はエロコンテンツ、男は全世代潜在的性犯罪者として扱われる。そういう世界が望ましいと考える人を、わたしは身の周りでここ10年見たことないです。

 一方だけっていう人はよく見聞します。

「エロく見える女をエロいと言って何が悪い、でも男がみんな性犯罪者予備軍ってわけじゃない」「女をエロコンテンツと見るな男どもお前ら全員性犯罪者か予備軍だ」って人は。

 あらみたことあるわとお心当たりの方、多いのではないでしょうか。

 でも、性愛ってそんなに餓鬼か修羅の営みなんでしょうか。
「私はあなたを性愛の対象としてみたいんです許してもらえますか。そして、もしできることなら私をその対象としてみてもらえるとなお嬉しい」ってそういうの個別にやるのが相互の人権を尊重してていいなとわたしは思うんですよ。そして、そういう関係は知っている人にとってありふれたものであり、更にもっとありふれたものにできる。

 今は難しくても、そうなる方向に努めるのが個人や企業の社会的責任なんじゃないのかなと。

 性愛の世界は奥深いので「できるだけたくさんの世の異性/同性から性愛の対象として見てもらいたい、不特定多数の彼等が私を性愛の対象にしてるのを想像するととても嬉しい」って人も、居るとは思うしそれは全然オッケーです。本人と相手に合意があれば。

 そして「大前提として性愛関係成立には相互の合意形成が必須である。不特定多数のうちの一人としての私とこのコンテツとして自分を提供している人の間には合意が存在するからこのような形の性愛関係が成立しているに過ぎない」と、ちゃんと理解する能力があることです。
 それを「18歳超えたらみんなその程度のことわかるでしょ?」と、便宜的に引かれたのがR18という線なのだとわたしは思っています。

 現代社会で人間が「性的に成熟する」というのは、生物として性交可能だとか妊娠可能だとかそんなものではなくて「性愛関係成立には合意形成が必要不可欠だと理解し、合意形成に至る能力があるもしくは合意成立しない場合は自制する能力がある」って意味だと捉えた方が、無難だなと思います。

 本人と社会の間に摩擦が少なくて済むので、円滑に生き易いと言い換えてもいい。

 この定義に反発を感じる方は、おそらく定義の内容ではなくそれが実現困難だという点を問題視されるのでしょう。
 もしそうだとしたら、安心してください。大人が自らひねり出しながら一生かけて飲み込めなかった新しい倫理観を、子供はやすやすとわが物として先に進んでくれます。彼らが進む敷石になるために、我々の苦悩と苦闘と屍があるのです。あなたが正しいと考えながらも実現できずにもがくその苦しみが、子供達の行く道を整えてくれます。

 言うまでもなく、性交に臨んで双方ともに性交に伴う様々なリスクを理解しているのは大前提です。リスクも知らず理解していない相手であると知りながら、あるいは意図的に情報を伏せて合意を迫るのは詐欺と本質が同じです。
 そして、性交のリスクを理解していないけど性交に臨もうという人はまだ機が満ちてないです勉強しましょ。

 性交のリスクを理解することと不利益を甘受する事は正反対です。
 性感染症を予防し、症状があれば早急に受診治療する。妊娠を望まなければ避妊し、失敗したら緊急避妊ピル。中絶だって選択肢になる。

 産まない選択だけではないです。

 産まざるを得ないから産むと決めたけど2人(場合によってはひとり)では育てられない、家族親族に頼れない、それなら公的支援です。産んだけど育てない、養子にだすという選択肢もある。

 そういう、不利益を最小化する手段や支援を知っている、必ず最悪の事態を避ける手があるはずだと信じて情報を集め適切に他者を頼る能力がある。
 性交、そして性愛の危険性を知っているというのはこのはじめの第一歩です。

 わたしは性愛とはそれを求める人にとって他のなにものにも代え難い素晴らしいものだと思っています。だからこそ、性愛のために苦しむ人が減る事を願ってます。

 長い前置きでしたが、本題です。
 アツギのタイツ企画炎上は何が問題なのか、それは1つにはSNS公式アカウントが持つ影響力をアカウント自身が理解していなかったから、まずはこれが大きい。

 メーカーの公式SNSアカウントというものは自社製品を最も適切に扱う事が期待されるわけであり、基本的には製品に関する情報は公式の発言が正解の筈です。
 なので今回のアツギの件については公式アカウントがタイツを性的アイテムとして扱う事に好意的な意志を表明したというのは問題あると思います。

 しかしその一方で、もう1つの問題がある。
 そもそもこの社会に「性愛関係成立には双方の同意が必要不可欠」という思想が浸透していないという問題です。
 少なくとも毎度毎度エロの話する度にお断りする必要ないくらい当たり前の考え方であるなら、今回の事もせいぜい「内輪ネタ狙いすぎ、客層ちょい外してない?」って程度で済んだでしょう。

 「性愛関係成立には双方の自由意志に基づいた合意が不可欠」この思想が当たり前ではないからこそ、アツギのタイツ企画は「日常的に使うアイテムを性的アイテムだとメーカーが公認する振る舞いが「エロく見える女性はエロコンテンツとして扱って良いというメッセージだと解釈するアホがこれ以上増えたらどうするんだ」という理由で非難を受けたのだと思います。

 アツギのタイツは良い製品です、わたしもいくつか持っています。ファンもいる、シェアが大きい、それはきっと良い品を長く作り続けてきたからでしょうね。ぽっと出の弱小じゃないからこそ、社会に与える自社の影響についてもうちょっと慎重であるべきだった。そして、相変わらず「公共の目に触れる創作物が性的である事が許されるかどうか論争」は論者が双方感情的になりやすいものなんだなぁと思い知った次第です。

 「(自分が)性的に見えると感じる女性を性的だと思うことは悪い事なのか」「そして、悪い事であるなら何が問題なのか」「ダメというのは内心の自由を侵害する行為ではないか」
 この疑問が、この種の論争で最もすれ違っていると感じる論点のひとつだとわたしは感じています。

 結論から言えば、性的だと心に思う分には何も悪くないです。

 性的だと感じるものを見聞きして生まれてくるその感覚や感情が良いか悪いか恥ずかしいか誇らしいかやめるべきか続けるべきか、決めるのは自分自身以外の何者でもなく、内心の自由と内心の倫理に基づいて自分が決めてよいし、自分しか決められないのです。

 しかし、内心が外界に溢れ出したら前提が変わります。

 自分が相手を性的な存在だとみなしていると相手に知られた時点である種の性愛が介在する関係が始まるとわたしは考えます。

 その事実は相手の行動に影響を与えるからです。

 美味しいお菓子を持っている事がジャイアンにバレてしまったのび太の気持ちを想像してください。ジャイアンの視線はのび太にはこう聞こえます「おぅのび太、美味そうなモン持ってんじゃねぇか」。ここから先ののび太の行動は果たして本当の意味で自由な選択なのでしょうか。

 日本社会では、多くの女性は、望まない性欲を向けられていると分かっている相手とは出来るだけ交友を避け、性欲が増大しないよう服装や行動に気をつけ、相手が感情を拗らせないように力関係が発生しそうな状況では譲るようにと教育を受けて育ちます。
 自衛のためにです。
 自分の責任では全くない自衛のためにこれだけの労力と機会損失を甘受しろと、無視できない数の女性が教育されているのが現状です。
 わたしの知る日本社会では、相手が自分の性愛感情を知ったという事実が相手に何らかの行動変容を半ば強制する場合がある。そして、自分のせいで相手に新しい損失が発生する可能性が無視できない高さで存在する。

 知らなかったらびっくりするでしょう。でも、男性は自覚無くジャイアンであり、多くの女性は「お前はお菓子を持ったのび太だ」と教え込まれて育つ、そういう事実がある事を共有できたらいいなと思っています。

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菩薩の化身と協力してぷりぷり3歳児や巨体紳士猫を揉んだり撫でたりしています。