靴底を落とす友人の話

私にはもう10年来の付き合いになる友人がいます。一言でいえば「いいやつ」です。頭の回転が速くて生真面目で努力家でちょっと心配性で、他人に対する思い遣りが板についていて、仕事にプライドがあり、趣味も家族も大事にする、そういう人間です。

心通わせたきっかけを今でも鮮明に覚えています。一緒に作業しているときに集中した友人がふと口ずさんだ某ミュージカルの一節に私が無意識に合いの手を入れ、そのまま2人でデュエットを朗々と歌い出して途中から手を取り踊り出し、最後にハイタッチしたあたりでもう2人はマブダチお前は私の魂の双子。

職場は違いましたが同じ道を志すものとして事あるごとに集まって学び、遊び、励まし合い、慰め合いました。今でも大事な友達です。
そんな友人と出かけた際、なんの拍子か靴底の話題になりました。
たしか、軍手かなにかが落ちているのを見つけて私が「軍手もだけど靴底ってよく落ちてるよね」と、軽い気持ちで口にしたのだ思います。月に4.5回は靴底見かけるよね〜みたいな感じで。
事実、私は頻繁に靴底や折れたヒールを見掛けるのです。
それに対して友人は「私はいままで一度も靴底落ちているのを見たことがない、そんなのよく見るのはbaoだけだよ」と笑って返しました。

私は言い返しました「きっと目に入ったけれど認識していないだけだ。疾患概念が確立すると報告数が増えるように、いま君は靴底が落ちているものだと知った。予言しよう、君はきっとこれから頻繁に落ちている靴底を見るだろう」と。

そのお出かけの帰り道、我々は道端に落ちている靴底を見つけました。ドヤり散らす私に友人は「いやそんな…まさか…」と若干怯えたような視線を向け、私は「もっともっと、これから沢山の剥がれ落ちた靴底を見るだろう」と笑いました。

それから日をおかずして(たしか翌日とかそんなスパン)私のガラケーに友人から「落ちてた」と靴底の写メが送られてきました。以来、友人は靴底を見掛けるたびに私に報告し「怖」「呪いか」「靴底を見るものは靴底にもまた見られている」と2人で笑い合いました。

時は流れ、無事医師4年目を迎えた我々はどうやら久々に予定を組めるくらいの夏休みが取れそうだと色めき立っていました。2泊3日でどこかに旅行にゆこう、ゆったり歩いて自然を堪能しよう。「雲海が見たい」友人の提案で目的は定まりました、高い山に登ろう、出来るだけ楽に。

「山頂駅からの山あるき」というアルピニストが憤死しそうなタイトルの本を繰り、オンシーズンでも空いていて標高が高い関東近郊の山頂駅を探し、北八ヶ岳ロープウェイに白羽の矢が立ちました。山頂駅2237mから坪庭を経て雨池山2325mに登って降りてくる標高差88mの軟弱コースです。オッケー大丈夫問題ない我々の目的は登山ではなく雲海だ。

天気次第では宿泊予定の山麓駅付近のロッジからも雲海が見えちゃう標高です。もはや勝ったも同然、雲海を我らが手中に。
我々は下山後の諏訪観光や甲府観光、甲府の宿はどこにしよう温泉に入りたいお土産に何を買おうか…と、それはキャッキャウフフしていました。そう、その日までは。

台風が来たのです。

大した勢力ではありません。出発時点の予報では、登山する2日目に西日本は台風の影響下で大荒れですが、我々の目的地の予報は晴れ時々曇り。協議の結果、我々はギリギリいけそうだと結論しました。ロープウェイの麓まで行こうそこで動かなければ雨の諏訪観光なり甲府観光でいいじゃないか。

友人は知らなかったのです。
私の渾名が「気象兵器」である事を。

物心ついて以来大抵の夏イベントを台風でぶち壊して来た私にとってはこれしきの台風なぞ想定の範囲内、なんなら台風を見込んで飛行機での移動を避けたくらいなので余裕のよっちゃんです。直撃以外はかすり傷です。

ちょっとした雨(豪雨)の中の山歩きを想定し、学部学生時代の趣味だったキノコ探しの為の低山徘徊で揃えたフルゴアテックス装備一式で臨んだ私に対し、友人の装備は…なんというか貧弱でした。特に足元が。登山靴というより…「運動靴?」「うん、私運動できる靴これしか持ってない」

気象兵器とシティガールの不穏な旅の幕開けです。

不安そうな私に友人は微笑みました「大丈夫、この靴で高校の時に富士山も登ったもの」つまり信頼と安心の15年モノです。
オッケー大丈夫、我々の目的は雲海であって山ではない。旅程の一番しんどいところはロープウェイという文明の利器がなんとかしてくれる大丈夫大丈夫。

初日は中央線から山梨に入り、甲府に立ち寄り昼ご飯と信玄餅を食べて鹿皮印伝の店を覗き、更に茅野へと向かいました。甲府盆地の薄曇りのじっとりした暑さから一転、茅野は爽やかに晴れ、我々はロープウェイ行きのバスを待つまでの時間で茅野の街を見て歩く事にしました。

御柱祭の柱を見ることができる公園で「これ乗って斜面を下るとか死しか感じない」的な感想を述べながらフラフラと歩いていたら、友人がふと立ち止まりました。
「靴底が剥がれた」
左の靴底の滑り止めのゴム層がクッションウレタン層からペロリと剥離して、哀れにも爪先部分で僅かに繋がる状態でした。

爆笑です。爆笑しかありえません。
とりあえず2人で腹筋が崩壊するほど笑いました。知らない人が見たら気が違ったと思われたでしょう。

ひとしきり笑い、我に返りました。「明日の山どうしよう」
そうです我々には明日山歩きが控えているのです、しかも多分雨天。
この時点で明日の天気予報は蓼科で曇りのち午後雨、山梨は朝から雨。
「茅野の駅で靴屋を探そう」

結論から言うと靴屋は見つかりませんでした。茅野を舐めていました。日曜日の茅野はゴーストタウン(在住の方申し訳ありません)で、ショッピングモールらしきものに人影はなく、僅かに残る店も本日休店の文字。友人が歩くたびに「ペタンコペタンコ」と、ほぼ剥がれた靴底が滑稽な音を立てます。

茅野駅前の小売業はなぜこれほど崩壊してしまったのか。おそらく郊外の大型ショッピングセンターに顧客を奪われて衰退したのでしょう。行きずりの観光客が無責任にものを申すことは出来ませんがこれが「均一化する地方都市」の現状が…などとぼんやり考えながら、ピンチです。

途方にくれる我々がとりあえずバス停に向かおうと行く道に、なんということでしょう小さな雑貨店が。小学校が近いことを鑑みるに、おそらくこの店は子供達の文具や雑多な学用品、駄菓子などを扱うことで時代の波に取り残されながら生き延びているでしょう。

ともあれ天の助けと店に入ればそこは昭和でした。元々は手芸用品であったようで、吊り下げられた雑貨の奥にいつから置いてあるのかわからないボタンや刺繍糸の見本が貼り付けられた紙箱が所狭しと並んでいます。
店にふさわしい昭和感溢れる店主に接着剤があるかと訊ねると、多目的ボンドを出してくれました。

友人はその多目的ボンドを手に取り裏書きされた接着剤できる対象素材などを改めると、頷きました。
「ドイツ製だ、これでいこう」
ドイツのぉぉ!科学力はぁぁ!世界一イイ!
謎の信頼です。何が友人にそこまでドイツを信じさせるのか全くわかりませんがオッケー大丈夫。ドイツ製だもん大丈夫大丈夫。

おそらくこの旅のキーアイテムであろう接着剤を手に入れ、我々はバス停にペタンコペタンコとたどり着きました。予定通りのバスに乗り「うおお!マジで長野には穀物は蕎麦しかないんだね!(失礼)」「レタス!レタスあるよ!」と車窓から見える畑に異郷を感じながら標高はどんどん上がって行きます。

我々以外に客の居ないバスの車内ではしゃぎながら、意識はやはり靴底に向かいます。「宿に着いたらまず靴底をどうにかしよう」2人の心は完全にシンクロしていました。
霧の中を1時間近く揺られてたどり着いた山麓駅はしっとり濡れ、眼下には夕陽に染まる壮麗な雲海が広がっていました。

我々は霧ではなく雲の中を進んでいたのです。
つづら折りに登ってきた路は橙と白の柔らかな重なりの中に消え、遥か山々すら届かない高みに台風のもたらす紫が見えたと思います。
我々はしばらく無言で陽が傾くのを眺めていました。
「明日登れなくてももういいや」
本心からそう思いました。

予約していたロッジは閑散としていました。明日入山予定だったチームがキャンセルしたのだそうで、急にできた暇を持て余したのか宿のご主人は我々に八ヶ岳への篤く深い愛と明日の天気が許すなら見てほしい見所を語ってくれましたが、靴底が気になって耳に入ってきません。

ご主人に譲ってもらった新聞紙で霧と雲に濡れた靴をよく拭き、ドライヤーで乾かしドイツ製の接着剤を左の靴底にたっぷり塗り貼り付けて、念の為と右も確かめるとそちらも剥がれかけていました。
(この靴…ヤベェ)
見合わせるお互いの目がそう語っていました。

右の靴にも処置を施し、より一層の圧着を期待してペットボトルを重石にしました。部屋に溢れる有機溶剤の臭いが不安を掻き立てます。夕飯を頂き、風呂を済ませ、祈りながら床につきました。
泊まった部屋に備え付けられた天窓は雲で塞がれて、星はチラとも見えませんでした。

翌朝は不思議なほど晴れていました。
天気予報では富士山側の山梨での大雨を告げていますが、とにかく青空が見えました。昨日念入りに接着した靴底を引っ張ってみましたが、ぐらつく様子はありません。
「いける」
いくしかない。


翌朝

「やっぱり茶臼山に登って欲しいけど天気を見て無理をしないでね」ご主人の八ヶ岳愛に送り出された我々の泊まったロッジから山麓駅までのんびりと歩いて10分の登り坂、友人は一歩一歩確かめるように靴底に意識を集中しています。
「大丈夫、いけそう」
今、我々にはドイツの科学力がついています。

空は雲がちですが隙間から覗く青空は深く、夏山にしか許されないたっぷり水を含んだのに清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みました。我々はこれから始発に乗り込み、標高2000m超まで一気にロープウェイで運ばれるのです。なんという楽で楽しい旅路でしょう。

「人…居ないね」
期待にパンパンになりながら山麓駅に到着した我々に一抹の不安がよぎりました。
観光バスがずらりと並べるであろう広大な駐車場はがらんとして、その向こうに見えるロープウェイの駅に人影はありません。
運行状況を確認してから出かけたものの、ロープウェイまさかの運休?

幸いなことにロープウェイは動いていました。人が居ないのはやはり天候がこれから下り坂である為でしょう。券売所で「てことはもしや貸切?貸切?」と、ぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃぎ、意気揚々と乗り込んだロープウェイは本当に貸し切りでした。私と、友人と、係員さん、3人。


…3人

我々は2人ともATフィールドが強固なので、その場に1人でも知らない人が居ると借りて来た猫よりもおしとやかになります。若干がっかりしながら車内を見回すと、定員100人のロープウェイの床には奇妙なものが点々と積まれていました。コンクリートブロックをひと回り大きくしたようなものが3個1組。

不思議がる我々に係員さんは快く教えてくれました。「ブロック1個で20Kg、全部で3000Kg、このゴンドラは大きいから人があまり乗っていない時はこうやって重りを載せてバランスをとるんだよ」
なるほど、大人1人60Kgとして50人分の重りかと見回す私の隣で友人がぽつりと言いました。
「成る程、清盛公の身代わり石…」

ここ経ヶ島と違うから!
たしかに人の代わりに石を載せてる訳だけど、そうじゃないから!
積み上げたブロックが陰を深め、空気が一気に古びた黴気を帯びたように感じられます。
凄いぞ想像力。
微妙な空気を孕んで、ゴンドラは山肌を滑るように登って行きます。

賽の積み石もとい重石ブロックを避けて進行方向の窓に寄り、ガラスに張り付けば、ダケカンバやブナでに覆われた明るい緑の林が惜しい程軽々と過ぎ去って行きます。
並び立つロープウェイの支柱のほど近く、木々の隙間に遊歩道と思しき道が見えました。

みるみるうちに林は針葉樹へと様相を変え、山頂駅に到着しました。薄暗い駅舎を出ると、坪庭と名付けられた広々とした砂利と岩がちの平地が開け、その先にこんもりと緑の山々が佇んでいました。正面が2300m級の穏やかな山容、雨池山、右が2400mの縞枯山、後はよくわかりません。

さてこれからどうすべきか。行く道に雲は僅かです。しかし、南の峰の更に向こうに紫がかった暗雲の気配が素人目にもわかりました。退くかゆくか。
「かえろ!雲海も見たし!」
我々の欲しいのは雲海なので、雨池山に未練などありません、まして宿のご主人推しの茶臼山にいたっては、どれなのかすらわかりません。

坪庭と呼ばれる一周30分ほどの平地をぐるりと巡り、徒歩で下山することにしました。先程ゴンドラの窓からちらりと見えたあの遊歩道が下山ルートだとわかりました。道迷いは勿論、滑落の心配もなさそうなルートです。これなら多少雨に振り込められても大丈夫でしょう。

そう、靴底さえ無事なら。

標高2200mの眺望貸し切りにはしゃいだ我々の脳裏に靴底の事などもはや僅かも残っていません。意気揚々と坪庭の砂利道を歩み、小さな岩をよじ上って記念撮影をし、高山植物を眺め、朝ごはんにと持たされていたおにぎりを食べてから下山ルートに入りました。

下山道は所々が軽くぬかるみ、真新しい足跡がいくつもついていました。
どうやら、昨夜を山で過ごした人たちが一足先に下山したようです。しかも複数のグループです。縦走登山だとしても、下山には早い時間帯です。天候悪化を避けたのでしょう。

やはり登らなくて正解だったと我々はうなずき合いました。

下り道が徐々に道幅が狭くなったため、山路に慣れない友人を前にし、そのペースに合わせて私が追従することにしました。おしゃべりに花咲かせ、鳥を指差し野草に足を止める、気ままで楽しい下山です。シティガールながら友人の足取りに危なげはありません。


30分ほど下った頃だったと思います。


靴底が落ちていました。


正直に言いますと気にも留めませんでした。私にとっては靴底が道端に落ちていることはあまりに日常でした。先行する下山者の誰かの靴底だろうと。ああ、何故私はあの時友人に声を掛けなかったのか。
更に10分ほど下った岩場で、友人が突如立ち止まりました。
「靴底落とした」

友人の足の裏から、まるっとつるっと靴底は消え失せていました。しかも左右。昨日あんなにたっぷり塗ったのに。ドイツの科学力、完全敗北です。

爆笑です。とりあえず爆笑しかありえません。我々はひとしきり腹筋が割れんばかりに笑いました。
「友よ!さっきくっ靴底!落ちてたのお前のか!ブフォ!」「何故その時言わない⁉︎ブフォ!」「だって靴底ってよく落ちてるじゃん!ドゥフ!」「ブグフ!baoよ、キミは落ちている靴底に慣れすぎだブフォ!」

笑い過ぎて息が切れ、我に帰りました。
「下山、どうしよう」
どうしようもありません。今更取りに戻ったところで見つかる筈もなく、よしんば有ったところでこの状況では再接着はかないません。
「おりよう」
おりるしかない。

靴底といっても、失ったのは滑り止めのラバー層だけです。ウレタン層はまだ残っており、友人の足はびんぼっちゃまの例のあの靴みたいになっているわけではありません。オッケー大丈夫、裸足じゃないならなんとかなる、大丈夫大丈夫。

なだらかな岩場のくだりを滑らないよう慎重に進みます。なにせもう滑り止めのラバーはないのです、どこでどう滑るのか全く予想がつきません。

「ねぇ…」友人が不安げな声を上げました。「私の足音、変じゃない?」気がついてました、友人が足を踏みしめるたびに「プギューッポンッ!」という謎の音がするのです。

友人の靴裏を改めると、土踏まずの部分が大きく窪むデザインです。ゴム底を失って剥き出しになったやわらかなウレタン層が濡れた岩と密着、そこに友人が体重をかけるため陥凹部の空気が押し出され吸盤となり、足を上げる時に引き剥がされる吸盤が「ッポンッ!」という音を立てるのだとわかりました。

「なにひとつ対処法が無いとしても、それでも疑問が解けるのは嬉しいものだね」至言です。友人の汗ばんだ笑顔と曇った眼鏡が神々しいと思いました。
(以後、我々の道行にはずっとこの「プギューッポンッ!」が通奏低音として流れてるつもりでお読みください。)

黙々と下る我々の頬にかすかに雨粒が当たりはじめました。
「降ってきたね」「本降りになる前にヤッケを着よう」
…今ヤッケって言った?
「うん、ヤッケ。早く着よう」
そう言って友人が取り出したのは普通のレインウェアでした。良かった、ガチのヤッケ出てきたらどうしようかと思いました。

霧のような雨に濡れる夏山は靴底が剥がれていてもなお美しく、我々はそれなりに景色を楽しみながら2時間かけて無事に下山しました。
「これからどうしよう?」
まだ10時を少し回ったばかりです、予定より4時間も早く下山してしまいました。

予定では、茅野から下諏訪へ出て下諏訪神社群を観光し、夜に甲府の宿へ入る予定でした。しかし雨足はどんどん強まっています。
私は予定を繰り上げて甲府入りし、甲府のスポーツショップで靴を買う提案をしました。
「でも、せっかくだから諏訪に行きたい。靴はなんとかなるよ」


オッケーです。
嘘です、正直心配でした。いつ靴底そのものが崩壊するかわからないからです。
しかし試練を乗り越えて高揚した友人に水を差すのも躊躇われ、私は下諏訪行きに同意しました。
ただの1mも登ることなく、下山だけした我々にも八ヶ岳は美しい懐を見せてくれました、ありがとう八ヶ岳、いつかまた来ます。

諏訪観光は平和なものでした。人気のない蓼科や茅野とは対照的に、ごった返す程ではないものの観光バスも止まり、道ゆく人たちも街の装いです。
残念ながら諏訪湖は雨霧にけぶり全貌を見渡すことは出来ません。

「いつか御神渡りを観にこよう」「電動アシストレンタサイクルにも乗りたい」雨に振り込められても心は晴れやかです。

最初は私も心配していましたが、なにせここは人里、靴底が粉微塵になったとしてもタクシーを拾えばいいじゃない!携帯の電波もバリ3です。(当時はまだ死語ではなかった)

下諏訪神社の龍の口から出る温泉水があんまりあったかくない事にがっかり(失礼)したのが妙に記憶に残っています。
そぞろ歩くうちに雨足はますます強くなり、傘を下ろせばしとどに濡れる程です。明るいうちに宿に入りたい私の希望を受けて、我々は甲府に向かいました。

甲府の宿は源泉掛け流しと文豪の逗留歴が自慢の老舗旅館です。
明るいうちに到着するつもりが、厚く垂れる雲のせいか甲府を取り囲む山々のせいか、夏の夕方とは思えない速さで陽は暮れて、宿に着いた頃にはすっかり暗くなっていました。
古びた飴色の手摺り、緋毛氈を模した絨毯、文豪の等身大パネル。

文豪の等身大パネル。

大事なことなので3回言います。古い旅館の廊下の突き当たりに文豪の等身大パネルを立てるのは本当にやめた方がいいです。

山間の老舗旅館に女2人、折しも外は豪雨。

私は軽めの被害妄想癖があるので「多分今夜殺人事件があって、目撃者として口封じに殺される役だな自分」と覚悟しました。

雨に濡れた身体を温めるために取るものもとりあえずお風呂をいただけば、大浴場は完全貸し切りでした。
「この宿…やばくない?」
「一応オンシーズンなのに、なんで客が我々以外ひとりも居ないの…?」
友人は私よりもちょっとだけ強めの妄想癖があります。

「あのパネル、裏に隠し通路あるよ多分」「通路に気がついたら始末される」「パネルの目がくり抜かれてて、覗き穴に」
江戸川乱歩と金田一耕助とその孫となんかいろいろ混ざった怖い妄想が止まりません。
あったまったのに薄ら寒くなって我々はそそくさと湯から上がりました。

夕食にと案内された広間にはずらりと座卓が並び、そのど真ん中の卓に我々の膳だけがしつらえてありました。
「笑うとハリセンでしばかれる…」それ以上言うな友よ。
給仕をしてくれる女将に訊ねれば、ゴルフコンペの客でほぼ満室予定だったものの、台風でコンペが中止(延期かも)になりこの有様だとのこと。

一応気の毒そうな顔をしてみますが、そんな取ってつけたような説明で安心する我々ではありません。コンペの詳細を根掘り葉掘りし部屋に戻ってから私のスマホ(旅の前日にiPhone4sに変えていたのです)でゴルフコンペの公式ホームページの中止の情報を含めて照らしあわせてようやく疑心を解きました。

疑心暗鬼が強すぎて折角の夕食の内容を全く覚えていないのは自業自得ながら、残念です。

ともあれ、夜中寝入ったところを拉致されて邪神の生贄に捧げられたり、臓器売買のルートに乗せられたりする心配は無さそうです。
我々は安心して床につきました。
靴底のことを失念したまま。

雨音で目が覚めれば夏の夜は白々と明けていました。部屋の引き戸の前に申し訳程度に積んだ荷物と座椅子と茶卓のバリケードが朝の薄闇に虚しく照らされています。どうやらHOSTELゲスト出演は妄想で済んだようです。昨夜は暗くて気がつきませんでしたが、窓を見れば木々が迫り、激しく雨に打たれています。

朝に滅法強い私は普段通り4:30からフル稼働です。寝ている友人を起こさぬようバリケード解除、荷物整理と朝風呂と身支度を済ませて朝散歩に出ようとしましたが雨が酷すぎて諦めました。
寝起きの友人がいつもの友人に変貌する様をしげしげと観察できるのは旅行の醍醐味。十分堪能してさて、朝食です。

旅館らしい純和風の朝ごはんはとても美味しかったので、かえすがえすも昨日夕食を楽しめなかった事が悔やまれます。朝の光の中で見れば文豪の等身大パネルも…やっぱりこれはやめたほうが良いと思いました。
干しておいた雨具は借りた扇風機の風に当てていたお陰ですっかり乾いています。

そこでやっと我々は靴底問題を思い出しました。
実はこの度は主目的が2個あるのです。一つ目は友人の希望八ヶ岳の雲海そしてもう一つが私の希望甲府の昇仙峡です。
果たしてこの靴底でこの雨の中昇仙峡にトライする事は可能なのか。地図とガイドブックを出して検討開始です。

予定では最も下の昇仙峡口バス停で下車し影絵の森美術館を目指す予定でしたが、この雨の中では全行程滝行です。
終点の滝の上バス停で下車し、すぐ横の影絵の森美術館を見てから静観橋を渡り、昇仙峡ロープウェイまでのお店を冷やかして、ロープウェイを往復することにしました。ロープウェイ大好き。たとえ豪雨の中であってもロープウェイはロープウェイです。そこは譲れない。私は宙に浮かびたい、怠惰に上昇したいのです。
友人のチベットスナギツネのような呆れ顔を他所にロープウェイへの愛を力説し、宿の最寄りのバス停への道順と時刻表を再確認していざ出発!

「雨が強いので昇仙峡はどうでしょう…晴れた時にもまた来てくださいね」女将さんの心配顔での敗北予告に見送られて雨の中宿を後にした我々は、時刻表通りにやってきたバスにのりこもうとしました。が、念の為運転手さんに訊ねました「このバスは昇仙峡の滝の上バス停まで行きますか?」

運転手さんは申し訳なさげに首を振りました「今朝がた路線上で崖崩れがあったので、このバスは昇仙峡までは行きませんよ」
「な、なんだってー!」
昇仙峡への道は断たれました、物理的に。
MMRのナワヤとタナカよりもあからさまな精神的衝撃を顔に出す我々を見て、運転手さんは更に続けます。

「他の路線はまだ生きているかもしれません、今確認しますね」
運転手さん、ホスピタリティの塊です。雨で曇った眼鏡には彼の頭上に光の輪が見えました。
運転手さんはしばらく無線で本部と会話し、こちらを向いて頷きました。「動いてます」
イケメエェン‼︎‼︎

更にその路線のバスに乗れる最寄りのバス停へのルートまで教えて貰い、我々は運転手の姿を借りて顕現した天使が操るバスに感謝の手を振り見送りました。しかし、急がなくてはなりません次のバス停までの道のりと、バスが来るまでの時間はギリギリです。逃せば次は1時間以上、流石田舎(失礼)です。

強い雨にしとどに濡れるアスファルトを傘を差しながら10分走って、バスとほぼ同時にバス停に滑り込みました。
「この!バスはぁ!昇仙峡に!行きますか⁉︎」
運転手さんは微笑みました「連絡来てますよ。大丈夫、行きます」
私が閻魔様ならこの善行を理由にあの運転手さんを極楽送りにします。

勝った!我々は数奇な運命に弄ばれながらも昇仙峡への切符を手にしたのです。後は滝の上バス停まで座して待つばかり。汗と雨と期待でテカテカした我々だけを載せてバスは道を登って行きます。
本来の下車駅である昇仙峡口を通る道ではないため今どこにいるのかはわかりませんが、とにかく山道です。大学時代に国土交通省の方に教えてもらった豆知識がよぎります「落石注意の看板は、落石で道が塞がれてるかもしれないから前方に気をつけてくださいって意味ですよ。落ちてくる石は避けられないのでその時は残念ですが…」

私、今、自分の記憶力が憎い。

自分の妄想に独りで怯えるのが苦しくなったので、友人にも脳裏によぎった豆知識の話を伝えると「今その話聞きたくなかった…」と沈鬱な表情で呟かれました。ですよね、私も君だったらそう思います。だが許せ友よ。1人の耐えられる恐怖には限りがあるのだ。

セルフサービスで怯える我々を載せて、バスは無事に滝の上バス停に到着しました。降車しようとする我々を呼び止めて、運転手さんは窓の外に見える静観橋を指します。
「お客さん、あの橋。今、水があと1mないくらいまで来てるでしょ?あれが50㎝になったら通行止めね。そしたらもう帰れないから」

えっ帰れないってどういう事ですか?「水が引いて、その後路線の安全が確認できるまでですね、明日までは動かないでしょう。次のバスが多分今日最後ですよ。それまでに戻ってきてください」
突然のインディ ジョーンズ案件です。あの川の水嵩がデッド リミットをこえたら、ジ エンドです。

運転手さんによると、上からの道もあるもののこの雨だとタクシーも動いてはくれないそうです。
つまり我々はあと1時間と少しで昇仙峡を攻略し、必ずここに戻ってこなくてはならないのです。
さぁどうしましょう、少なくともロープウェイは絶望です。

「ロープウェイは今日は運行してませんよ」
    ロープウェイ今日動いてないってさ。

ですよね、当然です、バスが止まろうかって時にあんな空中をふわふわ行くものが動く筈がありません。悔しくない、悔しくなんてないです。また次だ、首を洗って待ってろ昇仙峡ロープウェイ。

まあ、いまだに昇仙峡ロープウェイにはリベンジできていないわけですがいつか必ず奴を仕留めてみせますので、その折にはまた報告します。本当は2020年の夏に甲府リベンジ計画だったのにコロナ騒動で陽炎のごとく消えました。くやしい。 話を戻しましょう。

緊急ミーティングを開いた我々は、Cプランを作成しました。
ここまで来たのだから、静観橋は渡ろう。そして1番近くて屋根もちゃんとしてそうなクリスタルバレーでなんか山梨っぽい水晶的なお土産を買い、すぐに取って返して影絵の森美術館で時間ギリギリまで過ごそう。実現可能性が最優先です。

そうと決まれば出発です。失われた聖櫃…もといなんか山梨っぽい水晶的なお土産を求めて我々は荒れ狂う川を渡りました。


山梨は新第三紀にあたる1500万年前という地質年代においては比較的新しい時期に形成された熱水脈から生じた石英脈を有しており信玄の隠し金山と呼ばれる湯之奥金山のように日本有数の金鉱脈が存在します。さらに同様の熱水脈を起源とする乙女鉱山を筆頭に明治期から昭和初期にかけて水晶をはじめとするペグマタイト鉱物の産出が盛んであり、金精錬によって培われた貴金属加工技術と宝石質の半貴石に対する加工技術が独自に発展し、乙女鉱山が閉山し日本国内において水晶採掘がほぼ行われなくなった現在においても日本における宝石加工業の重要な位置を占めているのです(ここまで息継ぎなし)ニチャア。

御察しの通り私は知識浅いながら地質鉱物ラバーであり、つまり山梨に来て水晶の加工業者の展示を見ない選択肢は無いわけで、とにかく水晶です。現実に産業として研磨加工が行われている現場の端っこでもいいから見たいのです。

豪雨に急かされながらもクリスタルバレーへの坂を登る途中にジェムやさざれと呼ばれる宝石質未満の半貴石を大雑把に研磨するためのドラム状研磨機が回転しているのを見かけて大興奮です。見たい、中を見たい。研磨材の粒のサイズを見たい。
しかし今足を止める時間はありません。

涙を呑んで坂を駆け、クリスタルバレーに到着した我々は息つく間もなく店内の物色をはじめました。ブラジル産アメシストの晶洞などどうでも良いのです。私が欲しいのは地元業者が加工した水晶ビーズ。持ち帰ったら海外業者が加工した手持ちの同クラスのビーズと並べてその研磨技術を見比べたいのです。

店のお姉さんが業者イチオシの研磨方法で加工されたビーズ連を並べてくれる傍で、友人は楽しげに水晶の箸置きなどを選んでいます。ありがとう友よ、私の趣味に付き合ってくれて。
お姉さんのイチオシは12mmのボール型カットビーズですがボリュームもさることながらクラスが高いため手が出ません。

結局、5mm径のソロバン型一連、8mm径のカットボールを購入しました。ソロバンは他では見たことがないカット技法であり比較がたのしみです。友人もビーズを何連か手に入れて嬉しそうです。
お客が我々以外いない為、店のお姉さんは玄関まで見送ってくれました。ファーストミッション完了です。

とって返して再び静観橋を渡り、影絵の森美術館に到着した時点で残り時間はトイレタイムを除いてあと30分と少し。影絵の森のボリュームが未知数なので油断は出来ません。

影絵の森美術館は光と影の造形詩人藤城清治の作品をメインとして据えており、彼の作品はシンプルに抽象化されたモチーフと今なお色褪せない幻想的なテーマ、どうやって創り出したのかわからないグラデーション技法が渾然一体となって私の大好物です。本当なら1作品に30分かけたいところです。

ここでもやはり悔し涙を堪えて、めくるめく藤城清治の作品を最短時間で鑑賞です。夢二も清も今回はパス!
月の砂漠がベタだけどやっぱ一番好きだとしみじみ噛みしめながら我々は再びバスに滑り込みました。車窓から静観橋を見やれば水量は到着時よりも確実に上がっていました。ギリギリセーフです。

この時点でまだ午前10時、甲府出立予定時刻が16時なので時間が余り過ぎています。
さてどうしたものか。
その時私はふと大学時代に受講した美術の講義中、山梨県立美術館にはバルビゾン派の絵画が多く収蔵されていると紹介されていた事を思い出しました。
美術館なら雨でもへっちゃらです。

友人にこの案を示すと一も二もなく賛同を得ました。「確かに、この旅は些かハプニングが多過ぎる。この悪天候を忘れてのんびりと絵画鑑賞、良いね。バルビゾンは知らないがミレーならわかる。印象派の手前の自然写実主義ならきっと私の好みに合うだろう」
iPhone4sで開館とアクセスを確認し降車です。

山梨県立美術館は、煉瓦色の立方体を基本としたモダンながらどこか牧歌的なデザインの建物でした。甲府の街を取り巻く果樹と畑のイメージを取り入れたのでしょうか。降りしきる雨と遠く聞こえる雷鳴の中にあってもバルビゾン派のコレクションと呼応する事を伺わせる鷹揚とした佇まいでした。

荒天のせいか人の全くいない前庭を過ぎエントランスホールに入れば、赤みがかった石材で出来た床が艶々しています。地方美術館は特産石材を利用することが多いので、もしかしたらこれらの石材も山梨の山々から産出したものなのかもしれません。

広いホールに艶々した床材、濡れた友人。条件は整いました。
「プギューッポンッ」
高らかにあの音が鳴り響きます。かつてこれほど間抜けな足音を立ててこのエントランスホールを通り抜けた者があったでしょうか。幼児のピーピーサンダルの方がまだ控え目です。

あからさまに恥ずかしげに友人は爪先立ちで歩き始めました。普段ヒールを履かない友人の爪先立ちはモデルウォークというより泥棒のそれです

分かっています、ここは笑うところではありません。頬の内側を噛みながら長身を背伸びでますます高くした友人と券売を通り二階へ進みます。展示室が絨毯張りである事を切実に願いました。が、展示室も艶々でした。

バルビゾン派共通の柔らかな木々の葉の細密な表現、印象派花開く直前の光への姿勢、理想化された農村と農民への憧憬、それでいて遠景の森にはどこか陰鬱な雰囲気が漂うのは北部フランスの自然がそうだからでしょうか。地方美術館のコレクションとしては驚きの充実です。何より素晴らしいのが、我々以外に全く客がおらず、どれだけ立ち止まっても後戻りしても自由なところです。
友人は立ち止まる時は踵を下ろし、歩く時は爪先立ちかすり足でなんとか音を少しでも制御しようとしている様子です。
「人…居ないし、足音多分大丈夫だよ」「うん、足、攣りそう」
昨日結構歩いたもんね。

そう言ったものの、根が気にしいの友人は未練がましく踵を上げ下げしています。友人のその思い切りの悪いところも含めて嫌いではありません。
足裏コンシャスながら、友人も展示を楽しんでいる様子です。2人とも美術史は受験期にかじった程度なので、解説を読み、わからないところはスマホです。

この旅にこんな安穏な空気が流れたのは友人の靴底が茅野の街で剥がれて以来です。警戒心が緩みきった2人が常設展を見終えて特別展示ブースに移った時、重厚な建物が震える程の雷鳴が轟きました。

「落ちたね」「でも、これだけ大きい建物なら心配ないよね」
私は首を振りました。規模によらず、サージ被害は起こりえます。現にわたしはスーパー、病院、校舎、公立図書館、免許センターで落雷による停電と機器の故障を経験しています。
「君、雷落ちすぎじゃない?私は雷停電なんて一度も…」

その瞬間、先程に勝るとも劣らない耳を聾する雷鳴とともに館内の照明が消えました。
「うそ…」友人絶句です。
「タイミング良かったねぇ、でもほら、美術館で停電なんてよくあるよ」「ないよ!少なくともわたしは一度もないよ!」
突然の暗がりに友人の語気は荒くなります。

「すぐ自家発電に切り替わるから非常灯が…」そう言う間にも、足元灯がともりました。「ほらね、この規模の美術館は作品や客の保護のために自家発電設備が必ずあるんだよ」
友人を落ち着かせようと努めて明るく笑う私に友人は疑念の眼差しです。「君、雷落ちすぎじゃない…?」
しまった、気象兵器なのがバレてしまう。

特別展示である地元の版画家の作品はなにやら抽象的過ぎて我々の好みには合いませんでした。
(もしかしたら今回の台風はコイツが呼んだのでは)という眼差しを受けながら、我々は何故か主電源が一向に戻らない山梨県立美術館を後にしました。

丁度お昼時です、名物のほうとうを食べたいという友人の希望で既に店は見繕ってあります。
ほうとうを食べながら、このあと嵩張るお土産を買ったら予定を繰り上げて3時間早く山梨を出立する事に決めました。
我々は疲れ果てています。きっと雷が落ちたのもそのせいです。

甲府駅前近くのお店で山梨県と栃木県民のチチタケに対する偏愛の謎と、かぼちゃとほうとうと日本住血吸虫の関連についての2議題を熱く語り合いつつ昼食を満喫し、我々は意気揚々とお土産ハントに出陣です。
まずは職場への撒き菓子を山交百貨店で仕入れ、本命のフルーツです。

友人は「キイロイモモ…カリカリしたキイロイモモ…」とぶつぶつ呟いています。私は中学からの付き合いがある友人の時期外れのお中元にぶどうを狙います。この友人は私の就職祝いに海洋堂製作リアルカエルのフィギュアガチャポンシリーズ全種類を小包で送りつけてくるような強者です、負けられません。

前年は鳥取産大和芋4kgを贈ったので、似たような価格帯を狙います。そして、自宅用に果肉硬めの桃とぶどう。ぶどうは安心の甲斐路、王道の巨峰、そして当時市場に出回り始めたばかりのシャインマスカット。流石東のフルーツ王国、甲府駅南口からのストロークは果物屋通り、選り取り見取りです。

本心を言えばフルーツ狩に行きたいくらいなのですが、天候時間何もかもが無理なので、勝沼ぶどう郷への侵攻は見送りです。ククク、運が良かったな勝沼ぶどう郷、だがいつか必ず貴様を蹂躙し、ウハウハフルーツ天国してみせる!

友人は「カリカリしたキイロイモモ」を見つけたようで、実家への配送手続きをしています。一緒に学会に行くと必ず実家へのお土産配送を欠かさないマメな人間です。そういえば札幌の学会では「エンスイウニ…ミョウバンフシヨウ…」と呟きながら千歳空港を徘徊していました。

予定通りの時間内に希望するお土産をお互い全て調達し、我々は土産物で膨らんだ荷物を抱えて特急あずさに乗り込んだのです。さようなら甲府、懐深い街、次こそは必ず堪能し切ってみせる‼︎

もう安心です、終わってしまえば旅のハプニングなど思い出の素敵なスパイス、車窓をますます激しく打つ雨音すら空調の効いた車内では名残の旅情です。
予定よりも3時間近く早く帰宅できる見込みなので、明日休み明けの仕事もバッチリです。
お喋りが弾む我々を乗せたあずさは笹子駅に到着しました。

そして、それっきり動きません。

笹子が正式な停車駅なのかはわかりませんがいくらなんでも長過ぎる停車時間に車内がざわつき始めた頃、車内放送が流れました。
「猿橋駅の雨量計が基準値を超えたのでこの列車は運転を見合わせております」

MA★JI★DE⁉︎

暴風や大雪で電車を止めたり高波でフェリーを止めた経験はありますが、豪雨で電車を止めるのは初体験です。電車って雨でも止まるんだ!新しい学びです。
むべなるかな、車外は視界を遮るほどの土砂降りです。
当然ですが、この雨が収まるまで運転再開の見込みもへったくれもありません。

空席が目立つとはいえ、車両内の20名を下らない人々がどよめきました。当然我々も不安でいっぱいです。まさか夜までこのまま?夜明かしもありえるのでしょうか?
「動かなかったら、明日の仕事どうしよう…」流石真面目な友人、発想が社畜です。私は(電車の床で寝るのは無理だ)とか考えていました。

使い慣れないスマホを繰って代替交通手段を検索し、笹子から新宿への高速バスをみつけました。今から頑張ればギリギリ間に合う時刻です。が、そもそも電車も止まろうかという雨の中で中央道が動いているのかどうかが未知数です。
「無理だ、座して待とう」

幸い笹子駅周辺にはホテルがいくつかあるようです。我々は相談して目安を設定しました。本日22時までに帰宅出来ない程運行停止が長引くようなら、ホテルに宿を取ろう。およそ17時がリミットです。
あと3時間弱。それまでは車内で籠城です。

最初のうちこそ、ホームに出てみたりもしましたが、雨に閉口して車内に逃げ戻ります。残念ながらトランプのひとつも持ち合わせていないため、我々は暇を持て余し始めました。疲労と不安でお喋りも自然とトーンダウンです。何か娯楽は無いかと探し、旅の前夜に買ったばかりのiphone4sにお気に入りの曲をいくつか入れてきたことを思い出しました。
「平沢進で良ければ聴くかい?」
私は高校からの友人をひとり平沢沼に引き摺り込んだ事もあるお気に入りフォルダを解放しました。

冒頭の白虎野の娘の時点で既に友人の顔色はふるいません。庭師King、橋大工、夢の島思念公園、Nurse cafe と続き、Paradeの途中で友人はそっとイヤホンを外しました。「半音と転調と予測不可能なメロディラインが多すぎて吐きそうだ」バイオリンを嗜む人間には、この混沌宗教音楽は辛いようです。

布教失敗です。

一説によると、強い疲労と不安下に置かれた人間は判断力が鈍り、洗脳されやすくなるそうなのですが、今回はまだ落ち切っていなかったのか、友人の判断力が強靭なのか。もう少し弱らせてからにすればよかった。

「すまん、君好みそうなミュージカルはまだ入れてないんだ」(今ならイケると思ったのに)という内心を秘めて白々しく慰める私に友人は微笑みます「もうちょっとメジャーなのはないかね?」この場合のメジャーは、人口に膾炙しているという意味ではなく長三和音を主として構成された曲という意味です。

長三和音を中学音楽の知識としては学びましたが、楽器を嗜まない私には判断しかねます。「コードがメジャーかどうかは私にはわからないが、少なくとも平沢進よりもメロディラインがシンプルな歌手ならあるよ」そう言って、私は谷山浩子詰め合わせフォルダを再生しました。
このフォルダは、前述した平沢沼に沈んだ友人からそのお返しとして贈られた選りすぐりです。
「谷山浩子、知らない人だ」「テルーの唄の作曲者だ」

毛の一筋も嘘は言っていません。

まずは公約通りテルーの唄です、友人は「手蔦葵よりもこちらの歌い方の方が好みだ」と好感触です。続いて小さな魚は「こういう感じの人なんだね」笛吹きでは「ファンタジー調でこれはこれで」、偉大なる作曲家は「歌詞に引っかかるものを感じるが馴染みのある名前が嬉しいラフマニノフとか」と笑っていましたが、途中から「語りが始まった…」とこちらを猜疑の目で見はじめました。

 よその子「暗い」まもるくん「待て」だんだん無言になります。
 そして、伝説の谷山浩子滅亡三部作に入ったところで友人はそっとイヤホンを外しました。

「色々言いたいことはあるが」右手で目頭を押さえていいます。「君はどこからこういうものを見つけてくるんだ」
 尤もな感想です。あからさまに何かの意図を感じさせる選曲と並べ方です。しかし、選んだのも並べたのも私ではありません。
 高校からの友人に平沢進のお返しに貰ったのだという私の説明を聞きながら、友人はおもむろに両手で顔を覆いました。「それはお返しではなく仕返しだ、類は友を呼ぶとはこの事だ」


まったく、言葉には気をつけたまえ友よ、その言い方だと君もこっち側だぞ。

残念ながら谷山浩子布教も失敗しましたが、友人と音楽ユニットを組むと音楽性の違いで秒速空中分解することがわかったのは大変意義深い収穫です。友人はげっそりしています。新たな出会いとは時に自我を足したり削ったりする行為なのだなぁとその横顔を見ながら思いました。

私主催の平沢谷山布教祭終了時点で、笹子駅に停車してから約2時間経過です。巡回してきた職員さんに「いつまで止まってるんだという怒りをぶつける声がチラホラ聞こえて来ました。
我々は怒鳴り声がとても苦手です。険悪な空気を俯いてやり過ごそうとした私の隣で、友人が立ち上がる気配がしました。

見遣れば、友人は座席上の荷物入れから土産物袋を下ろしています。膝に土産の葡萄大箱を抱いた友人は決然と言いました「もうこの空気に耐えられない」同感です。「次にまた職員さんへの罵倒が始まったら、私はこの葡萄を車内の皆に振る舞う」

は?

「この葡萄はとても美味しいもん。美味しいものを食べたら、きっと落ち着くよ」「それに、ぶどう食べませんかって声かけられたらきっと人を怒鳴ってるのが恥ずかしくなるよ」
 聖女です、私の隣に聖女が居ます。普段は仕事以外で知らない人に決して話しかけない友人のATフィールド、まさかの反転です。

 「やろう、私も出す」

私の脳内に地上の星のイントロが聴こえます。その辺のペガサス街角のビーナス、そして、あずさの中のデュオニソスです。
そうと決まれば準備です。
桃も包丁もありますが(私は当時包丁を持ち歩いていました)、皿もなく切り分けるハードルが低く精神的にも抵抗がすくなそうなので、葡萄のみとします。

葡萄を10粒程度の小房にハサミで切り分け(私は今でも常に以下略)土産物屋で貰った小分け用のビニール袋に入れてペットボトルの水で洗い、水は向かいのホームの下に捨てることにしました。なにせ先程まであれだけ降っていたのだから、今更少々捨てた所でどうということはありません。

さあ、巡回よいつでも来い!
我々はビニール袋に入った葡萄を両手にスタンバイです。

もう配りはじめてしまうという案も出ましたが、それではただの怪しい人だということで却下になりました。
こういう喧嘩は初手が肝心です。人を怒鳴るには大なり小なり溜めが必要です。静が動に変わる瞬間に虚をついて意気を挫くのです。
虎視眈々と機を待って15分ほどが過ぎた時です。

「皆さまお急ぎのところ大変長らくお待たせいたしました。猿橋駅、鳥沢駅間の線路の安全が確認されました。本線はまもなく運行を再開いたします」

…あ、うん、そうなんだ。

虚を突かれ意気を挫かれた我々は、ヘナヘナと虚脱しました。
両手にはブドウで膨らんだビニール袋。
「…これ、どうしよう?」
「食べようか」
シャインマスカット、最高に美味しかったです。

独り相撲で萎んだ風船になった2人のデュオニソスを乗せて、あずさは笹子駅を立ち、予定の2時間半遅れで無事に八王子駅に到着しました。iPhone 4Sのニュースアプリに中央道通行止め解除の報が流れていました。

あとはどうということもありません、私の隣に紙袋に入った真っ二つに折れた木製バットを持って鼻をすする青年が座ったり、そんなことくらいです。
とうとう2人の道が分かれる駅に着き、名残を惜しむ友人に私は訊ねました。
「この旅の話、みんなにしてもいい?」

友人は呆れたように笑いました。
「まったくbaoは…ダメって言っても話すんでしょ、良いよ」
扉が閉まりました。

私は言質を取りました。

おわり

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