女性割礼と高嶺龍二にまつわる思い出

ひさびさに女性割礼って単語をみたのでとりとめない思い出話を。
わたしが女性割礼って概念を知ったのは雷の娘シェクティ(高嶺龍二著)という富士見ファンタジア文庫で出版されてた後書きが異様に長い作品でした。作中に主人公が女性割礼を受ける描写がありまして(富士見ファンタジア文庫ォォ…)。

その割礼内容が処女膜の部分切開オンリー、表向きの目的は経血排出を円滑にする健康増進で裏のテーマは処女礼賛思想へのアンチテーゼ(って作者がダイレクトに書いてた、裏テーマとは)。

当時ピュアローティーンのわたしはドン引きしつつも根が真面目なので、実際の女性割礼文化を知らずに創作物内の描写のみで嫌悪するのはアンフェアだろうと思って調べてみたら実際の割礼の内容と目的が女性の健康や人権とだいぶん遠いところに存在してて現実の方にウルトラドン引きするとともに「高嶺龍二は女性割礼という文化が超嫌いで喧嘩売ろうとしたんだな…」となるほど納得したんです。懐かしい思い出です。

トールキンの次に読んだのが高嶺龍二だったせいで全てのファンタジー作品には独自の言語設定が後書きに載せてあるもんだとしばらく思ってて、スレイヤーズ読んで勘違いに気がつきました。スレイヤーズも後書きは同じくらい長かったけど。

雷の娘シェクティ、だいぶ攻めてた作品だと思います。わたしはすごく好きです。著者が「明るくてなんも考えてないかんじに」って一巻で書いてたけどんなわけあるか嘘も大概にしろこのおっさんとは思いました。

オチはありません。
高嶺龍二先生元気かな。

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