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役者なんて生きていれば誰にでもできることだけど

東京に来て、予想外に桜が咲くのがはやすぎて、追い付けないまま散ってしまいました。ビル街は眩しすぎて目が痛くなるのでいつも薄目で歩いています。恋に慣れるのが遅すぎたので、というかまだ慣れてないのでいつだって過激派で、己の首を絞めてしまいます。

 役者というものは表に出ているけども、本当は裏方で、自我なんて出すモンじゃなくって、演出家の、監督の、脚本の意図をできるだけ正しくお客様にお届けするための出力機であるべきだと思ってました。いや、機械っていうのはちょっと言い過ぎかも。生感とか温かみとか大事ですからね。でもそれは生きていれば自然に出るものなので、意識することじゃないかなって。生きていれば自然に。そう、生きていれば自然に私の私っぽさって出ちゃうものじゃないですか。だからオーディションでも私の人間的部分を知りたがるんだろうしそれで落ちたり受かったりするんでしょう。でも私は私の私っぽさを打ち消して誰にでもなれる役者になりたかったんです。役に合うとか合わないとかそういう言い方本当に嫌で、「私はなんだってできるのに!(強欲)」といつも思ってました。はやくこの肉体を撃ち壊して、おっさんになったり少年兵になったりしたかった。肉体、まじで邪魔だな~。自分のおっぱいのことはちゃんと好きです。 

って言う下書きがあったんですよ~病んでたんかな4月の私は。

身体の中の回路を通して私の口からどんな風にセリフが出てくるのか私にもわからないくらいに私が存在しないのがたぶん正解と思っているのは今も変わらないんですけど、全部ね、人間性に自信がないことへの言い訳なのかもしれないって、今ちょっと思った!自分の顔のことはちゃんと好きです!

自分はね、捨てちゃダメですよ。言ってることくるくる変わりますけど、そういう年頃なんですよ。人間としてダメダメな私に、「それも魅力だよね」とか言う大人を殴って回らないといけないわけです。私が私を全部捨てちゃったら、その作品に参加する意味とか、そういうのなくなっちゃうしね。

頑張ればんざいまーん!

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