KGB(Gushue編)

ブラッド・グッジュー("Brad" Gushue)はカナダ東部、大西洋に面するニューファンドランド&ラブラドール州出身。1980年生まれ。ジュニア時代に同世代のニコルズ(Mark Nichols)、コラブ(Jamie Korab)とのチームで頭角を現し、2001年の世界ジュニアを勝っている。

20代はじめのころは技術こそ異常に高いが、脆さがあった。自分たちに足りないピースを「経験」だと考え、2005年のカナダオリンピックトライアルに臨み、カーリング界の巨人、ラス・ハワード(Russell Howard)をスキップ(セカンドで投石)に迎えるという奇策に出た。

ハワードは当時50歳。歳の離れた即席チームで結果が出せるのか? と疑われたが、これが大当たり。下馬評を覆しトリノ代表の座を勝ち取った。そして見事優勝。長野、ソルトレイクと連敗していた(いずれも銀)カナダ男子の面目躍如となる、まさに待望の金メダル。彼は25歳にしてカナダの英雄となった。

しかし、その後は良い所までいくが最後勝てない、という時期が続く。五輪で金を獲った2006年以降2011年までの期間はグランドスラムを1度勝ったきり(たしか)。Brierは2007年に2位、2011年に3位に入っているがプレーオフ進出を逃すことも多かった。

強豪ひしめくカナダでは「十分すぎる」成績といえるが、一度頂点を見た彼らには到底満足できる結果ではなかったのだと思う。もがき苦しみ、一度引退したベテラン、ファービー(Randy Ferbey)をスキップとして迎える、といった迷走?をみせた時期もあったが、状況は上向かない。

2010年コラブが離脱。2011年にニコルズが離脱。(このとき、グッジューとニコルズはものすごい喧嘩をして袂を分かった、という話を聞いたことがあるが真偽は不明)

低迷にはいくつか理由がある(※竹田の分析です)。ひとつはカーリング大国で知られるカナダではあるが、実は内陸部(アルバータ・マニトバ)や都市部(オンタリオ)が競技盛んな地域で、グッジューが拠点にしていた東部大西洋地域は(相対的に)競技が盛んではないのだ。

加えて、2000年代の初めは「レジデンスルール」という居住地に依った出場資格制度が厳格に適用されていたため(今でも一部生きているが)メンバーを補充するにも、大会に出るにも、スポンサーを得るにもグッジューたちは若干不利だったのだ。

しかし、逆境にめげず、グッジューはウォーカー(Geoff Walker、2006世界ジュニア金、アルバータ州出身)、ギャラント(Brett Gallant、2009世界ジュニア銀、プリンスエドワードアイランド州出身)など若手選手を少しづつチームに加えた。

彼らをじっくりと育て、そして… 2014年ニコルズと歴史的な和解(いや、ケンカしてたとしたらの話ですが)。彼がチームに復帰するやいなや、快進撃が始まった。ニコルズ復帰後の6シーズンでなんとグランドスラム11勝、ブライアー4勝。前人未到の実績だ。

昔はヤンチャな感じで、変顔でチーム紹介してみたり、ふざけたプレーをしてみたり、ムラっ気を見せる傾向があった。しかし、この10年の長い旅が彼を大きく変えたのだろう。非常に落ち着いた思慮深いスキップに変貌した。(インタビューでのユーモアあふれる語り口が私は結構好きですね)

強みはシンプルなショットを正確極まりなく決め続けるところだ(竹田見解)。勝つためには当たり前の事なのだが、これは決して簡単ではない。ゆえに彼らはカナダの頂点に君臨し続けている。パワーショットも難なくこなす。特にサードのニコルズの破壊力は尋常ではない。一発で状況を全て変えてくる。

スペースがないので私設応援団「グッジューガールズ」と「親父が変なシャツ着て会場に来る件」についてはここでは述べない。(述べたかった)

今シーズンはセカンドのギャラントが離脱し、ジェイコブズの元セカンド、極太上腕のハーンデン兄(E. J. Harnden)が加入した。KとBはメンバー全替えだから、KGBの中では一番小さな変化という事になる。しかし、一人変われば別チーム、と言われるのがカーリング。王座防衛に成功するのか?見ものだ。

(2023年3月2日ツイート)

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