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#89 観客論II:悪口の系譜

 中学生の演劇を見ていたときに(うろ覚え)自己保身のための嘘をつくクセがあるために窮地に陥る中学生の劇をやっておった。実に道徳的であるが、もとい道徳の授業的であるが、パンフレットの学校案内分には「この劇を通して正直であることの重要性をわからせたい云々」と書いてあり、正直しゃらくせえなと思いました。このしゃらくせぇという感情を今回の起点といたします。生意気な、というのもこのご時世に語彙として採用していいのかはやや躊躇しますが、本来の「本人は意気だと思っているかもしれないが、身の丈にあっていない」という意味においては生意気だと思う。

 さて、なぜしゃらくせぇかというと、別に観劇を通じて我々は説教されたくないからであり、そもそも客に布教しようという姿勢そのもの自体が不快さを生んでいる。よくあたくしも師に視線を低くと云われました。「視線を低く」、ものすごく上品な云いかたですが、もっと直接的な云いようをすれば、表現者なんぞ一般の読者にとっては取るに足らない存在だと思ってもらわなくてはバランスが取れない。わざわざ交通費を使って、ともすれば入場料、見物料、購読料を払ってくれた観客の優越性に合致せねばコトが成立しない、ということだ。
 昨今、人間の平等だの均等だのどれだけ口を酸っぱくして云ったところで、テレビのバラエティにしてもYoutuberの配信にしても、他人が失敗するところを観て「面白いなぁ」と思うことで番組が成立している部分は必ずございましょ? VTuberがやらかPONしたり、政治家だって失政することで、すっとこどっこいな発言をすることで知識人なんぞが盛り上がっている。攻める側もブーメランなんぞ食らって笑われている。

 昨年の話になるが去年のM-1観た。12/18の放送を録画して19に観た。変なところ細かいなオッチャン! 決勝三組ともそこそこ面白く、かといって突出して「これしかありえんやろう」という組もなかったのでどれが取ってもよかったと思っている、が、みんな「誰も傷つけない笑い」の無理に限界がきているのだろう、と、当時は結論していた。
 ただ、少々の間をあけてつらつら考えるに、結局「誰も傷つかない笑い」を強いているのは視聴者(=観客)のほうであり、芸人さんサイドは世情になんとか合わせようとしていたというのがわかる。昔だったら――たとえばコント55号でも、ドリフターズでも、とんねるずでも、TVでなんかやるたびにPTAからクレームが来ておった。「クレームが来ておった」ということは、犬にムチをくれるように、倫理的な正当性をカサにきて、叱りつければ抑え込める程度の存在だという認識があった、ということである。
 芸人は河原乞食、そう云われていた時期がずーっとあったこそ、世間一般で真面目に働く人々とは別のレイヤーの存在であったこそ、かえって好きにできたし、バラエティ番組は異世界であれた……学生の頃からバブルの、80年代の日本についての観察(研究とは呼べない)をしてまいりましたが、あの頃というのは、そういった取るに足らなかったはずの層の人々が、広告会社の資金力をえて爆発的なコンテンツ力を手に入れた時代であった、と結論付けられる。儲かっている人も多かったから人間も鷹揚だった気がする。

 で、今はどうかというと、その時の子どもや若者が大きくなって、なんか、そのレイヤーの人を文化人として扱うようになってしまった。今ァ「名士」って言わなくなりましたか。なりましたねぇ、でも、名士には名士なりの振る舞いが求められる――結果「人を傷つけない笑い」なるものが生まれざるを得なかった。これ、当然の流れでございます。
 だからなんだ――もし、賞レースに何らかの意志が働いているんだとすれば(すべて憶測です)、80年代が楽しかった人々が、毒のある笑いを流行らせることでまた80年代の空気に戻そうとしているのかなーと、思わなくもなかった。まぁすべて憶測なんだけど。時計の針は戻らないんだけど。やるんだったらお笑いの人をまともな報道とか情報番組から締め出すしか無いんだけど。
 おっさんの妄想は続くが、200年後のお笑いは今の歌舞伎みたいになるかもしれない。歌舞伎だって今は伝統芸能然しているが、当時は風俗壊乱モノだったわけだしね。10代目ダウンタウンなんかが発生しているかもしれない。

 高校生の時からミニコミを作っていて、当時手本としていたのが椎名誠のエッセイであり、宮武外骨の滑稽新聞だった身からすると、やはり毒舌で人気になるということに対するあこがれがあった。で、卒論を宮武外骨にして再利用したら「群像」評論部門で二次選考に残り(翌年から「卒論を投稿するな」という項目が募集要項に足される)、なんとなく出来る気になって20年、現在にいたってしもうた。

 そうすると「成功する悪口」がなんとなく解る。まずは①「自分は悪口を云っている」という自覚はなく、②世間からの評価を見て「どうもこれは悪口といわれるらしい」ということは把握している。あと、③「世間から取るに足らない存在だと思われている」というのは割合に重要な要素なのだなぁ、というのは最近わかった。わりあいに毒舌という人はみんな同じ反応をしてェる。
 今東光、大僧正、中尊寺貫主、参議院議員……どこがとるに足らないんでぃ、と思われる向きは実際の人生相談を取り寄せてみることをおすすめする……。

 という記事を書いていたら、

 金カムの作者が「高尚すぎる作品と受け取られぬよう笑いと品のないネタで中和させながらもゴールデンカムイを描いてきた」とコメントしてて、確かに政治!民族学!宗教!と来てたら読者は掴めないよな…と納得した隣でハイパーインフレーションが政治経済学をショタのアヘ顔で中和して通り過ぎていく。

https://twitter.com/suama13/status/1631576353874251783

 というツイートを見かけてなるほどなぁ~って思った。
 インカラマッはとてもエロい。

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。