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自己紹介②エコと私

どうもこんにちは!船橋のトシエです。

自己紹介は、①お花(草)と私、②エコと私、③凸凹な私という構成で書いていこうと思います。

今日は②エコと私です。

私はなぜ、こんなにエコだのSDGsだの言っているか?何か興味を持ったきっかけがあるかと言うと、きっかけは無いんです。

きっかけというか、生まれ育った環境で自然に身についた感覚だと思います。

私は昭和3年生まれの父と、昭和7年生まれの母の元に生まれました。
つまり戦争経験者です。物がない時代を生き抜いてきて、食べ物であっても道具であってもとても大切に使っていました。大切さを知っているからです。

母の実家は東京都文京区で八百屋を営んでおり、どちらかと言うと裕福な方だったそうです。タクシーで田舎に疎開し、裸足の田舎の子達に「東京モンは靴なんか履いてシャレてるな!」とバカにされたそうです。

それでも、終戦後はお金があっても買う食べ物がないので、母のお兄さんは猫を食べたとか。母は怖くて食べられなかったそうです。

父は生まれてすぐに母親が亡くなってしまい(医療も発達してなかったと思います)父親は出稼ぎから帰ってきてはお金を使い果たしてしまうような「いにしえのダメンズ」で、親戚の家に預けられて育ちました。

若い頃は炭鉱で働き、やがて東京に出てきました。
きっと、お金も無く大変な生活だったと思います。

そんな二人が作った家庭ですから、自立して始めて買ったお鍋やお皿をずっと使っていたり、壊れたら当然直して使うし、身体が小さな父は、私が飽きて履かなくなったジーンズやスニーカーを喜んで履いて居ました。

お金が無かったのかというと、そうでもなかったらしく、これは亡くなった後に分かったのですが、貯金していました(笑)
そのありがたいお金を、私が大事に勉強に使わせてもらっています。

だから、私が急にエコやエシカルに目覚めたわけではなく、モノを大事にする、使い捨てはもったいない、プラスチックなんてあんまり使ったことない、という昔の感覚を持ち続けてるうちに、一周回ってしまった、というわけです。

子供達が赤ちゃんの時は、母が古い浴衣で縫ってくれたオムツを使っていました。紙オムツも併用しましたけど、出来るだけ使いました。

SDGsはエコや食料問題だけでなく、衣食住に困る人を無くすとか、不平等をなくすとか色々な課題があると思います。

父は尋常小学校しか出ていなくて、字もそんなに書けないくらいで、私の見てる前で漢字の練習をしていた程です。
ですが、新聞やニュースをすごく見ていて、世界情勢や政治の事を聞くと何でも答えてくれました。高校時代はそんな会話でよく盛り上がって楽しかったのを覚えています。

その影響か、日本国外では食べるモノ着る物に困っていたり、内戦が続いて苦しい生活を強いられている人がいる事がいつも心のどこかにあります。

母も、質素な生活をしながらも、募金箱にちょっと入れて帰るような人でした。

両親が亡くなり、実家を閉じる時はそういう、なんでもいいから貰えたら助かる!という人にちゃんと届きそうな組織を探して「World Gift」を見つけました。ここは送料自己負担ですが、服でも布団でも鍋や食器でもなんでも寄付出来るので、みんなゴミにせず活かすことができました。

フェアトレードも最近、エシカル消費関連で話題になっていますが、20代の頃から「people tree」が好きでフェアトレードの服を買っていました。貧しい国の人びとが、手作りした服を正当な値段で買う事で遠い国の生活を支える事ができるし、大量生産されたファストファッションよりも生地がしっかりしていて長持ちするのです。

ずっと、そうやって暮らしてきた私ですが、世界の不平等と地球環境の悪化への取り組みは進まず、使い捨てや百円ショップで気軽に買って気軽に捨てる人々の意識は変わらない。自分ひとりの力では何もならないのか、、、。と無力感を感じ始めました。

そんなとき、自分がドライフラワーのお店を持ったら、その発信力を活かしらたいいんじゃないかな!と思ったのです。

長い自己紹介、読んで頂きありがとうございました♪
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