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巨人がなぜ長野を放出したのか考えてみた

巨人ファンにとってこんなにも辛いオフシーズンは初めてではないでしょうか?昨年の内海放出のときに書いたnote『「内海放出は巨人崩壊の決定打」と言える3つの根拠』はお陰様で大きな反響がありました。今度は長野です。これだけの功労者をあっさりと放出する球団に愛想を尽かしたファンも少なくないでしょう。

で、今回の長野放出についてですが、結論から言うと、個人的には「100%悪い手だとは言い切れない」というのが本音です。(熱烈なファンからはまたバッシングが来そうですが・・)

先にお断りしておきますが、私は別に巨人ファンでもアンチでもなんでもありません。客観的に、元番記者の目線から見て今回のFA人的補償問題について持論を述べているに過ぎません。気配り上手で有名なチョーさんにはとてもお世話になりましたし、個人的には大好きな選手です。(ちなみに、はぐらかして本音を喋らないから取材するのは巨人一難しかったです)

ですから心情としては多くのファン同様さみしいし、功労者を大事にしない球団にはほとほと残念でなりません。世代交代を掲げておきながら大ベテランを次々に補強する矛盾や、石井球団社長の意味がわからないコメントなど、トータルで見て私も批判的な立場です。

しかし、球団経営というのは、ファンの心情さえ大事にすれば良い、というような幼稚な発想で成り立つものではありません。「ファンの声を無視するな」とか、「ファンあってのプロ野球だ」とか、「ファンが一番大事に決まっている」とか、そういう次元の話で語るべきではありません。優秀な経営者の多くが部下や株主の意見とはあえて違う手法で結果を出しているのと同じように、球団は「大多数の意見」や「多数決」といった何の根拠のないものではなく、明確な方針に沿った決断を下す必要があるからです。

長年の功労者である内海や長野を放出すれば、批判が集中し、多くのファンが離れていくことなんて、球団幹部が一番良く分かっているでしょう。前回の内海に関しての記事で書いた、「球団への不信感」が広がることなんてものも、想定の範囲内なはずです。それでも内海と長野を切った。感情的に捉えるのではなく、その意味を根本から考えなければいけない。

長野を切ることがプラスに働く可能性

前回内海の放出について、「巨人が崩壊の一途を辿る兆候だ」という主旨の記事を書きました。内海が投手陣のリーダーであり、模範であること。内海を切ることが球団内外からの不信感につながること。新体制ではチームをよく知るベテランこそが重要であること、が主な理由です。

この理論に沿えば、長野放出は「巨人崩壊」を加速させる愚策ということになる。でも私は上述の通り、「100%悪い手ではない」とある意味肯定しています。矛盾しているようですが、内海と長野のチーム内での立場、役割を考えれば、理解していただけるのではないかと思います。

長野がチームの功労者であり、柱の一人であることには否定の余地がありません。優しい性格と人一倍の気遣いで、ムードメーカーとしての役割を担っていることは皆さんご存知だと思います。ですが、内海のように「絶対的なリーダー」かと問われると、残念ながら少し違います。

パーソナリティーもたぶんに影響するのですが、長野は誰かとつるむことをあまり好みません。吉川大や北村を自主トレに連れて行っている坂本とは少しタイプが違います。阿部が「練習しない天才だ」と評していましたが、たしかに長野が練習熱心だ、という評価を聞いたことはありませんし、私も練習の虫だなんて思いません。どちらかと言えばサボるタイプかもしれません。

もちろんプロですから、「練習熱心だ」という評価なんて1円の価値もありませんし、結果がすべてだからそれはどうでもいいのですが、長野が誰かの「手本」であったかというと、正直首を傾げざるを得ないのです。

その点、内海は紛れもなく投手陣の手本でした。その手本を他球団に放出したという意味で、私は100%球団を批判しています。ですが長野に関しては、ある意味抜けても内海ほどの影響がない、と感じているのが本音です。

正直、長野には「外せない」感があった

少し言い方が乱暴になってしまいますが、この見出しと同じように感じたことのあるファンも少なくないのではないでしょうか?天才的な打撃で2年目に首位打者、3年目に最多安打のタイトルを獲得した長野も、もう34歳。膝に爆弾を抱えてから落ち目になっていることは数字が証明しています。

ここ5年間の平均成績は、

130試合 .277 14本 51点 

彼に求められているのはこんな成績ではないはずです。それでもその天才的なセンスで、「ある程度」の数字は残すし、何より長野を超える若手が出てこないからレギュラーからは外れない。将来を見据えて長野を干し、別の若手に切り替える、という選択を、少なくとも由伸政権ではしてこなかったわけです。

これはタラレバなので聞き流してもらっても構わないのですが、もしも長野がいなければ、代わりに誰かが出ていたことになります。昨年で言えば、それが重信なのか和田なのか石川なのか。それまでで言えば橋本や大田が「出ざるを得ない」状況になっていたかもしれない。

彼らをシーズン通して使っていたら、岡本のように覚醒していた!という保証はどこにもないのでなんとも言えませんが、事実としては、「ある程度」の数字を残す長野がいる限り、仮に二軍でタイトルを取るほどの成績を残す選手がいたとしても、レギュラー起用するのは難しい、という空気は確かにありました。

今回、球団は批判を浴びることを覚悟の上で、長野を放出する決断をしました。「外せない」長野を無理やり外すことで、「ある程度」が計算できる選手の存在を放棄したのです。この意味を、元選手会長の代わりにプロテクトされたであろう若手がどう感じるか。この球団から若手へのメッセージこそが、前代未聞の決断の全てではないでしょうか。

世代交代と言いつつ中島や岩隈を獲っている矛盾はよくわかりませんし、冒頭や前回のnoteで申し上げたとおり、トータルで見れば球団の方針には私も批判的です。それでも、今回の長野放出だけを考えてみると、必ずしも100%悲観的になる必要はないのではないかと、昨今の空気を見て言いたかったのです。

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