ウイズコロナは自然主義

従ってウイズコロナは科学ではない。
日本の思想が生んだ選択だった。
それを、専門家の選択に身を任せろという
知性主義者津田某氏ほどバカはいない。

自然主義はコロナに罹ったら死ぬのも生きるのも
運命任せで「見守るしかない」という
何もしない人間を自然主義者という。

この自然主義は2020年は日本とスウェーデンだけであり、
世界は、ウイルス抑制という人間努力を選んでいる。
コロナ禍になれば、ウイルス抑制をするという選択は
それこそ人間にとっては普通だ。
これを人間主義=ヒューマニズムといい、
自然主義=原始主義と対立する
観念である。

これを近年話題の知性主義は馬鹿(=反知性)である。
になぞれば、
自然主義こそ「人間にとっては反自然である」
といってよい。

東大卒の三浦某女氏はスウェーデンがウイズコロナを
選択したのは、彼らの人生観だと言っていた。

それなら、日本のウイズコロナだって
日本人の人生観、自然主義=運命に身を「任せ」、
人間努力をしない人生観=諦めの人生観、であって
日本とスウェーデンは同じである。
ウイズコロナは科学ではなく人間の思想の選択である
と言うのが正しい。


<日本のコロナ禍の初期を振り返る>

ウイズコロナ派がエビデンス、エビデンスと騒いでいた。

日本はコロナ禍の初期、世界が感染者と死者に苦しむ中、
日本だけが、感染者も死者も少なく「日本は優秀である」
と自慢していた。

そりゃ、日本は世界1、PCR検査をしない国ナンバーワンを二年間も
続けていたのだから、エビデンスがなかったのである。

エビデンス派の、古市憲寿という東大出は、
コロナを抑制すれば、コロナで死ななくてもコロナ以外で
死者はたくさん出るはずである、
と言っていた。
それはエビデンスではなく、「お前の予想だろ」

エビデンス派の三浦瑠璃という東大出は、
コロナ抑制策を取れば、自殺者が大量に出る、
と言っていた。
それはエビデンスではなく、「お前の予想だろ」

日本のコロナ禍の初期というのは、この様に
デタラメだったのだ。

何という低脳でしょう、東大出は揃って。


コロナ禍という人類未曾有の衝撃的出来事に、
コロナ抑制をしたら「自殺者が出る」とか
「コロナ以外で死ぬ人が出る」と考える人間は
日本以外の世界の人々にとっては、レアな
人間像だろう。

この様な日本的な変わった考え方をする人物について
世界は相手にしない。

つまり阪神大震災の日本の対応のまずさというのは、
「今、何を第一にするべきなのか?」
という、判断力を持って居る人物が必要であり、
するべき順序の価値判断ができる人間性が、
兵庫県知事にも村山総理にもなかったことが不幸だった。

東日本大震災における菅直人総理は、その点、
阪神大震災の反省から、第一にするべき事に
邁進していたのであり評価されてよい人物だったはずである。

ところが日本人は菅直人を批判したのだから不思議なことだ。

もしその時の総理が、自民党だったら、
民主党以上に原発事故の真実を隠蔽する方向に走っただろう。
何しろ自民党は原発推進党なのだから。


私の言論内容は全て
簡単に言えば、民主主義を広める言論活動をしていると、
いえます。
民主主義とは、個人を土台として物事や社会を考え始めることであり、
非民主主義者(右翼や左翼や権威主義や貴族政治など民主主義以外は全て)
とは、個人ではなく、社会或いは全体を考えの土台として、
出発している思考回路を持っている人のことを指す。
当然日本は、後者になっていることは誰でも知っている。

だからこそ、日本が民主主義国家などと言うことは、
言葉の意味を失った言葉使いをする民族だと断定できる。
日本は集団主義国家(=社会主義国家)であるといったところで、
誰も反論できないだろう。


「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」
と発言した荒井氏に経産省は7-1日付けで局長に昇格させる人事を
発表した。
日本の支配者霞ヶ関官僚のやりたい放題。
日本には国民主権などありゃしない。
官僚主権があるだけだ。
少しは大衆も「日本は民主主義の国家ではない」
と自覚したらどうだ?
バカな日本大衆(=国民)を、官僚は、
なめきっているのに、
国民は、なんと、おとなしいものでしょう。

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