池田晶子の宣伝と観念論

「ドイツ観念論」とか
君は、「観念的」だね、とか
現代は現実主義や経験主義のほうが、恰も重要なように、いわれている。
しかし、例えば、目の前にビルがある場合、
これは人間の観念が現実化した物に他ならない。
誰かがこんなものを作ろうと思わなければ(=意匠)
ビルは存在し得ないからである。
つまりビルの存在の前には人間の観念が先に在る。
我々は「こんな社会」と言う。
しかしこんな社会を作っているのは、我々だ。
観念論は=「考えること」でもある。
哲学は考えることである。
だから観念論は哲学の流行には、左右されない。
新しいものほど正しいというのは、人間の独断だ。
現代を見れば、みごとに、混迷して人類は進んでいるのか後退しているのかすらわからない。
百家争鳴して動かないどころか後退しているかもしれない。
観念論を教えてくれるのが、池田晶子氏だ。
亡くなってから宣伝するのも残念だが、哲学を学ぶ上では重要人物。
彼女は多くの点で真理を語っている。

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