社会評論

<炎上が嫌いな人にアドバイスするとしたら・・・>

「価値観の違う人は来ないでください」
と明記すればよい。

そうすれば、君の(君たちの)ところへは来ません。

たとえば、「お釜クラブ」
に、お釜が嫌いな人は行かないようなものです。

ネット上なら、左翼は左翼で集まっており、
右翼は右翼で集まっている。
そんなところに、私は行って読むことなどしません。

彼らは自分たちの単一性の世界で、満足したい人達です。

右翼も左翼も北朝鮮のような、(自分たちの)単一性社会に
成ることを願っている。
アメリカのような多様性(=バラバラ)を受け入れえることを
目指していない。

日本は、排除と矯正によって一丸に成ることを目指しており、
多数決民主主義による一丸を目指していない。

図星じゃないですか?
両パ翼と、霞ヶ関官僚ども。

日本の左翼も右翼も官僚も非民主主義を目指すという
日本的思考回路において同一なのです。

日本は単一民族を目指しており
「右翼も左翼も『天皇』という問題を、省けば全く同じだ」と、
山本七平(昭和天皇の研究)も指摘しています。


<ことばの意味の無い国>

民主主義に於いて大切なことは
ことばの意味を大切にする事だ。
ことばの意味を失っては、議論ができない。

アメリカという民主主義国家では少なくとも国民は
ことばの意味を正しく使うことに努力する。

日本という国は、ことばの意味がないから、
議論が成り立たない。
日本では、嘘を百回言えば、嘘が「まこと」に成る。
安倍晋三総理時代が、これを特にひどくした。

安倍時代以降、日本のことばの意味は失った。

例えば、日本では「民主主義ではないのに
民主主義国家だ」ということで通っている。
まこと、「ことばとは、何だろう?」ということになっている。

哲学を学ぶには、
ことばの意味を正確に知らなければならない、とされている。
日本には哲学というものが、ないのはその為でもある。

日本では「論理」という学問(論理学=哲学)の存在感はゼロだ。

岸田の答弁を見てみなさい。
ことばの軽視の見事な、お手本だ。

山中わたる著「ボクラ少国民」

民主主義の否定の上にしか成立しないはずのものであるにも拘らず
そうしたものを国家の名に於いて、ひとつひとつ復権し、
権力の裏付けで国民に押し付けようと目論む者が、
民主主義を標榜する国の権力中枢に在るということ自体
甚だ奇怪なことと言わざるを得ないが、


「ボクラ少国民」山中わたる著

現在の権力もまた例外ではない。
権力側によって強力に恣意的に歪曲された民主主義の名に於いて、
中正、公正教育なる錦旗を押し立てて国定さながらの教科書検定を行い、
中教審答申に見られる職務職階制導入による教職員の隷属管理化、
そして、教職員の政治活動禁止とまさに、太平洋戦争前夜を思わせるような
状況を作り、なお進行しつつある。
やがて、これは学校教育の問題に限らず教育に関する全ての分野へ波及
することは明らかである。
したがって、教育の問題を教育本来を捉える概念だけで見るわけにはいかない。
検定を通過した教科書から原爆の写真が抹消され、戦争の悲惨を訴える
描写が削除され平和憲法の解説がなおざりになり戦争責任の韜晦がなされ、
反面、皇室に関する記事が増え歴史上の忠君の武将が登場し、
国益公益なるものの強調が始まったことの意図するものがなんであるかを
予知せねばならない。
-----

<日本の精神的風土は戦前と変わっていない>
<世界でも稀に見る日本民族のおろか性>
<天皇一家は、こういう本は読まないのかね?>

「ボクラ少国民」山中わたる著

1932年11月、おりからストライキ中の富士ガス紡績川崎工場には、
煙突男が現れた。
一人の青年労働者が煙突に登り赤旗を振って労働組合激励の
演説を始めたのである。・・・
しかも、ちょうど天皇が陸軍大演習の帰途、付近を通過される予定だったので、
・・・ついにこの時ばかりは会社が負けて争議は妥結し・・・
煙突男は方々に伝染し第二号は京都に現れた。
このときは、その煙突のすぐ下に小学校の校庭があり、
御真影奉安殿に上から小便でもかけられたらたいへん、
というので、奉安殿に天幕をかけて、不寝番が立つという騒ぎだった。
小学校の火事でご真影を焼くと自決する校長が出るような世の中だった、

学校は子供の教育の為の施設というよりは、
ご真影、勅語謄本奉衛のための施設といったほうがよい状況であった。
そこでもしものことがあれば、校長はその一命を投げ出さねばならないのである。
こうなれば、生徒に優先されることも当然だろうし、執拗な最敬礼を強いるような
教師が出てくるのも当然であった。
(権力者側の発言=)指導者達にとっては、一校長の生命など物の数ではなかったのである。

徳育(=日本の道徳)は全て教育勅語によるとするところが、
所論の動かない土台として設定された。

玄関脇にある二宮金次郎(尊徳)像にも、これまた、最敬礼するしきたりに
なっていた。

「忠孝=臣民の道」を条件反射的に習慣化させた形式先行、・・・
どう考えても、偶像崇拝の蛮習以外の何物でもない気がする。

それをなんら疑う余地も与えずに徹底させた権力の力、
日本国家(日本官僚)のやり口。

近衛兵の間では天皇陛下を「ヘソ」という隠語で呼んでいたという。
「ヘソ番」などと公然と言われていたということである。

「ヘソ」その心は、「あってもなくてもいい」

僕は、北海道からの転校生ということでアイヌであるということに
されてしまった。
歴史的にアイヌが日本人によって言語に絶する差別虐待を受けてきた
などということも知らない年齢であった。

僕は彼らによって仕立てられたアイヌであったが、
もし正真正銘のアイヌ出身者であったとしたら、
生涯にわたってこの不当な屈辱を強いられることになったかもしれない。

1930年当時、一高の寮でアイヌとチャンコロが同格の扱いで差別視
されていたことがわかる。当時の一高は東大につながる日本エリートの
順路に当たる。
日本では、都市から地方へ転入すれば、余所者と呼ばれ、
反対の場合には田舎者と呼ばれるのは現在でも同じだ。

つい最近でも、都内の小学校へ転校して来た生徒を、上級生徒がいじめて
過失致死などという事件があったのも聞いている。

国が、天孫民族とか、アジアの指導民族とかいって、
日本人に独善的優越意識を植え付け、煽動し他民族蔑視を
底流とした武力による他民族制圧、隷属化を美辞麗句で国策と

排他的な感情もかなり(日本人には)旺盛なもの、

隣家の子息も転校してまもなく、わけのわからぬ集団リンチに遭い、

加害者がハッキリしていても担任教師は加害者を庇ったばかりか、

一見「ふざけっこ」と称する遊びとの区別がつかなかった。

そのことを訴えると、まるで、密告者でも見るような目つきをされたし、

たとえ外地(=中国、満州国)にあっても、
死んだ時、靖国に祀られない民間人などというのは、(軍人からは)
問題にもならなかった。

権力側の朝鮮人観、
朝鮮人貧民をそこへ、追いつめた要因については何一つ触れず、
朝鮮人をダメな民族と決め付ける。

「良き臣民」とは、「お上」の言うことを丸呑みする人たちのことなのだ。

ところで、その朝鮮人ボクセイシュンは、ぼくが無抵抗にいじめられている
様子に業をにやしたのだろう。
ある時突然僕をいじめている連中に猛然と襲いかかり、

僕をいじめていた連中は、そんな僕たちに石を投げつけて
「朝鮮パーとアイヌがマンメンジ」と囃し立てた。
何の意味か未だに不明であるが、


「ボクラ少国民」中山わたる著

・・・ごたごた言わずに、お上の言う通りにさっさと
市町村単位、あるいは学校単位で少年団を作ってしまえと
ハッパをかけているのである。・・・
文部省としてはそうした既成少年団の存続を無視しても、
管理系統の明確な、平均的、しかも全国的規模を持つ
単一少年団を新設して既成の少年団を有無を言わせず吸収
したかったのではなかろうか。
文部省は既にその時点で「大日本青少年団」の青図
を用意していたともいえる。


・・・一方は、かつて、その組織下に在った団員のひとりとして、
ひたすら指導者の指揮の下に邁進する事しか許されなかった世代
のニガイ怒り、そして一方は、その団員達を国家的要請という
錦旗を掲げて叱咤激励し鍛錬してきた指導者たちの
甚だ恐るべき恥知らずな郷愁・・・


「・・・ですが、これから十年後は、あなた方が兵隊さんと
なって国の為に尽くすことが出来るのです。
あなた方は大切な第二の国民です。だから、ますます体を
健康にし、先生のおっしゃることを良く聞き、
日本少国民たる面目をますます発揮してください」


・・・恰も当時の青少年の自発的精神の発露といったように
記述されているが、青少年をそこへ駆り立てた者たちの責任
問題などには一切触れられていない。
ここでは天皇制ファシスト達が行った非人間的な教育、
無謀で馬鹿げた戦争への反省は何一つ為されていないばかりか
厚かましくもその時点での青少年団の正当性とやらを
前面に押し出し、高く評価する形で指導者達の責任問題
をもののみごとにすり替えてしまっている。
・・・この尊大で差し出がましい指導者面には吐き気を催す
ばかりである。


「ボクラ少国民」中山わたる著

・・・青少年の生活から「自由主義・民主主義的なものを排除し」
ひたすら「天皇に帰一し奉る」ように、その「全生活を教養訓練として具現」
する統制機構が大日本青少年団だったのである。
もはやそこには服従する事しか残されていない。
命令によって励むことしかない。


・・・実に今わが大日本は、三千年の国史の上にもかつてないほどの
大発展の時にあります。
しかし、それは、眼前の様々な国難(=戦い、生活の不自由)
を突き破り、征服したあかつきに、はじめて我々の前にひらけるものです。
そのために国民は今打って一丸となり、御陵威の下、勇ましく進んでいます。
日本ほどありがたい国はありません。今戦っているたくさんの国々の中で、
一度も敵の空襲もなく、不自由なく少年諸君が毎日勉強に励むことが出来る
国は、日本のほかどこにもありません。
これというのも、ひとえに日夜国民のことを大御心にかけさせ給う天皇陛下
の御恩、神々の御まもり、
また大陸で勇敢に戦うわが兵隊さんの賜物です。銃後にあっても
諸君のお父さんお母さん兄さん姉さんたちは、
血みどろになって働いていられるでしょう。


東亜の盟主としての日本を背負うに足る、正しい強いりっぱな日本人になる
準備をする事です。それが少年諸君の職域奉公です。
それには、先ず学校で教えられることを、残らず身に付けることが必要です。


大君のため国のため身を殺して仁をなす。自分一人でなく、みんなと一緒に苦しみ、
一緒に楽しむ協同の精神です。
ただ精神ちしてばかりでなく、実際にそうした生活になりきらねばなりません。
遊びも勉強もキャンプも登校も皆で心を一つにし、正しい規律の中で
やるのです。


当時肺結核が猛威をふるっており「戦地のことを思えば少々のことは」
と陽性反応のあった子供までが少年団活動に駆り出されたこともある。
子供が持つ天性の自由な魂は、ひたすら権威と服従にすりへらされた。
分列行進の演習中、なぐりとばされ、屈辱の涙をのみ、炎天下の長い訓話で
ぶったおれるほどの目にあわされた。


「団史」には、この綱領と唱え方について、
どこまで読んで、どこで一息継げとか、半息とか、細かい唱和の形式まで
指定したことが挙げられている。


「ボクラ少国民」中山わたる著

大日本青少年団は当時のボクラ少国民に対して
天皇に帰一すること、つまり天皇の赤子として天皇から
お預かりした生命であるから、皇運扶翼のため一旦緩急ある場合は、
その生命をそのまま天皇にお返しするという臣民の道を、
それが恰もアプリオリな物として観念させることを目的として
・・・
集団的に鍛錬する団体に外ならなかった。
国民学校のあらゆる教科が天皇陛下の御為の死の哲学を
真善美の根底の上に構成され、白紙のぼくらの頭に一切疑念の
生ずる余地を与えない・・・
大日本青少年団の優れた団員であればあるほど天皇陛下の御為の死を
最高の栄誉と考えた。
またそう考えるように鍛錬された。

太平洋戦争が末期になると大人たちは一方的に僕たち子供たちに対して
「欲しがりません勝つまでは」と言わせてしまう。
はっきりいって、それも僕らが本気で自分たちから言い出したことではなかった。
にもかかわらず、恰もボクラが自発的にと言い出してしまったかのごとく
に錯覚させ、戦争のための物資不足を自然現象の如く当然のことと
観念させたばかりではなく、
天皇に帰一する、為の、死の哲学は生きることさえも、欲しがってはならないという
奴隷のしつけに外ならなかった。

吐き気を催すほどだが、ボクラ少国民はこれを至上のものとして、
厳しい鍛錬に応じた。
「聖旨を奉体して、異民族をも薫化する」などという
途方もない思い上がりをまともに受け取らされ、疑うことすら出来ず
一方的に学ばされてしまったのである。

自由主義も排除する事に於いてのみ、はじめて成立する「天皇への帰一」
の「死の哲学」の具現を恰もボクラ少国民の自発的な赤誠心の表出
であるかのように評価されることは甚だ迷惑千万この上もない。
それを、当時の指導者たちがもっともらしく口にし、
鞭を加えておいて、馬が勝手に走った、などという狡猾な証言をするのを、
ぼくらは絶対に容認しない。

戦争は必ず老人共によって、惹き起こされその結果、戦争でしなねばならないのは、若者達であった。
それゆえにこそ、老人共は、万言を擁して戦争の正当性を説き、
忠節を説き躾を厳しくし祖国愛を煽ってきた。
だが日本の場合は、「天皇陛下の御為に」の一言で事足りた。

一言「天皇陛下」というだけで、
条件反射的に「気を付け」の姿勢をとるように、
僕らを訓致してしまうほど狂気の教育がなされてきた。

しかし現在でも、あの狂気の時代を評価する大人たちがいる限り、
単に「時代的要請に応えた教育・訓練が施された」といった
形で、過去の扉の中に封じ込めておくわけには行かないのである。

大日本青少年団発足の1941年の末、太平洋戦争が勃発した。
権力は既に手を打っていたことが分かる。
権力がしつこく干渉する時こそ要注意なのである。

級友と話し合い、先生や大人たちの死に方を見届けた上で、それに習うことにした。
そのために(敗戦の為に)死ぬような大人はいなかった。

戦後、民主主義という物を学んだ。
その民主主義も現実には、学ぶそばから、、大人たちによって、
捻じ曲げられてきた。

誰もが、口を閉ざして、天皇陛下やら国やらの為に死ぬことだけを
待ち続けた夏、

時の流れを引き戻そうとする大人たちがいるうちは、
バカの一つ覚えのように、繰り返そうと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?