6期引退ブログ#19【けんしん】
【6期引退ブログ#19】
今日の担当は…
“マイクいらずの青髪司令塔”
けんしん(代表・CountdownEvent SARAHbellyさんコラボ担当)です!
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こんにちは!
七代目バンカライズム代表の 6 期の羽立謙信です。 引退ブログを書いている今、本当にもう早稲田祭が直前まで迫ってきていて、大好きなバン カライズムの一員でいられる時間が少ないことを実感しています。
1.バンカライズムとの出会い
僕が初めてバンカライズムに出会ったのは、2018 年の早稲田祭の大隈講堂前ステージで
した。当時高校 2 年生だった僕は、時間を持て余していました。早稲田大学に行きたくて早 稲田中学・高等学校に入学した僕は、必要以上の勉強に意味を見出すことができませんでし た。また、当時所属していた硬式テニス部でも、友達と一緒にボールの打ち合いをするのは 楽しかったものの、大会で勝つための努力をするほどの「情熱」を持つことはできませんで した。今思い返せば、勉強もテニスも好きじゃなかったなぁ。中学1年生からただ暇をつぶ すように学校以外の時間をゲームに費やしていた僕にとって、初めて観たバンカライズム のステージは衝撃的なものでした。早稲田特有の泥臭さが溢れているのに、なぜかキラキラ している。相反するように思える 2 つの要素をかけ持つ不思議な団体。なにより、「全力」 で踊るその姿は当時の自分とは正反対で、貴重な学生時代をなにか「情熱」をもって過ごし ているバンカライズムの人たちに憧れを抱きました。また、当時の大隈講堂前ステージに掲 げられていた『好きに情熱を』というスローガンがバンカライズムの演技と相まって、自分 の心の奥底にまで深く、深く、本当に深く突き刺さりました。単独ステージが終わるころに は、“碧キ者”だった自分の中のなにかが“目醒メ”、バンカライズムという団体に心を奪われ ました。
時が過ぎ大学1年生の春、バンカライズムは新歓を行っていませんでした。バンカライズ ムは例年秋新歓を行っている団体だったのです。怠惰に過ごしてしまった中高時代への反 省から、大学生活は「何か」に没頭したいと思っていた僕にとって、秋までどのサークルに も所属しないという選択肢はありませんでした。結果として、バンカライズムへの入会を諦 め、早稲田祭 2020 運営スタッフに入会することとなりました。それでも、2018 年の大隈講 堂前ステージで感じた「情熱」を忘れることはできず、『早稲田祭のステージに関わりたい』 という気持ちから、各ステージに参加する団体の対応をする部署へ配属されることになり ました。日本一の学園祭、その華ともいえる豪華なステージを裏方として支えていくうちに 大きなやりがいを感じるようになり、早稲田祭運営スタッフとして夢中になって活動しま した。そんな僕が自分の担当団体に選んだのがバンカライズムでした。今思い返せば、自分が心奪われたバンカライズムという団体への特別な感情を捨てきれていない証だったのだ と思います。
バンカライズム担当の早稲田祭運営スタッフとして迎えた 2020 年の早稲田祭は、裏方と
してステージを支える楽しさと充実感、やりがいを与えてくれました。しかしそれと同時に、 自分たちの準備したステージで輝くバンカライズムを目にして、一度入会を諦めたはずの バンカライズムへの感情が抑えきれなくなってきました。これまでのように裏方として早 稲田祭の発展を支えたいのか、表方として輝くことで早稲田祭を盛り上げたいのか、どちら が本当にやりたいことが分からなくなってしまいました。たくさんの人に相談して、悩みに 悩みぬいた結果、『今、新たに』表方としてバンカライズムに入会することを決意しました。
初めてバンカライズムの新歓に参加した時はとても緊張したのを覚えています。初めて の新歓でバンカライズム伝統曲『Bankara Beat』を振り入れてもらった時は、今まで舞台袖 から観ることしかできなかった曲が少しでも踊れるようになったことに、言葉では言い表 せない喜びを感じていました。その後もすべての新歓へ参加していくうちに、『何が何でも バンカライズムに入ってやる』と強く思うようになりました。新歓に来ていた周りの人たち と比べてダンススキルは圧倒的に劣っていましたが、バンカライズムへの想いだけは絶対 に負けないという自信をもって入会フォームを提出し、『絶対に受かる』という謎の確信を もって選考結果の発表日を迎えました。こうして僕はその確信通り、バンカライズムに入会 することとなりました。
2.六代目バンカライズム『時代を遊べ』 バンカライズムに入会して1年目は、ただひたすらにステージに立つことを楽しんでい
ました。目の前の練習とステージに精いっぱい取り組んで、5 期の先輩や 6 期の同期と楽し い毎日を過ごしていたこの時は、まだ自分が代表になるとは思っていませんでした。
そんな自分が初めて、自分のことだけでなくバンカライズム全体のことを考えるように なったのは、夏休みに同期でおとまりをした時でした。特に白土とは、自分たちが幹部代に なったときにどんなバンカライズムを作りたいかを熱く語り合った思い出があります。理 想とするバンカライズムを作るためのアプローチや重視する部分が違うだけで、最終的な 理想形は大きくかけ離れていなかったことに、喜びと安堵感を覚えました。この時に自分が バンカライズムについて抱いていた想いを整理して、初めて他人へ言語化したことが、バン カライズムへの思考を深めるのに大きく役立ちました
実際に僕が代表選挙に出ようか迷いはじめたのは前月祭でした。前月祭を終えたとき、 「もうすぐ早稲田祭がやってくる」「自分たち6期がバンカライズムを運営していかなくて はらない」と強く自覚したことを今でも覚えています。 この「早稲田祭への期待」と「代替わりへの不安」が、本気でバンカライズムに向き合うき っかけとなりました。
また、前月祭の直前に当時の代表の「俺たちのパフォーマンスは人の心を動かさなくてはな らず、【自分以外の誰かのため】に踊る必要がある」という言葉を聞きました。 これを聞き自分のなかで、バンカライズムの“全ての人の野心に火をつける”という活動理念 への理解度が一段階深まりました。 何に対して、どのようにバンカライズムのパフォーマンスを届けていくのか。 なんのために自分たちは“バンカライズムとして”活動をしていくのか。 これらをひたすら自分に問い続けていくうちに、理想のバンカライズム像が徐々に浮かび 上がり、代表選挙への立候補を考え始めました。自分がどんなことを考えて、どんな理想を 掲げて立候補したのかは後ほど書こうと思います。
前月祭を終え、早稲田祭直前期を迎えた僕に大きな影響を与えたのは初めての本格的な コラボ練習でした。バンカライズム入会以降、コロナウイルスの影響で対面形式のコラボ練 習はできませんでした。コラボ練習解禁後初めてのコラボ相手先は SARAHbelly さんで、 バンカライズムとは全く異なる魅力を持つ団体さんでした。練習や本番が楽しかったのは もちろん、他団体さんにはじめて「知り合い」と呼べる人ができたのが本当に嬉しかったで す。SARAHbelly さんとのコラボを通じて、七代目バンカライズムではなるべくたくさんの コラボに出て、たくさんの友達を作ろうと思うようになりました。
早稲田祭 2021、初めて Bankara Beat の男女振りを躍らせてもらいました。10 秒か 20 秒、 たったそれくらいの時間でも、あの時に 10 号館前に建てられた屋外ステージからの景色は 今でも忘れられません。単独ステージ以外のどのステージも本当に楽しくて、バンカライズ ムとして踊る自分は輝いており、キラキラパフォーマンスサークルの仲間入りをしていま した。バンカライズムのパフォーマンスに憧れて入会した自分にとって、バンカライズムの 一員としてステージで輝くことができたのは本当に嬉しかったです。 けれど、それだけでは心は満たされませんでした。その理由は自分自身で痛いほどわかりき っていました。早稲田祭運営スタッフとしての道を歩むのか、はたまたバンカライズムとしての道を歩むのかについて 1 年前に悩んだときは「表方として早稲田祭を盛り上げる」と いう気持ちで入会を決意しました。しかしバンカライズム入会後 1 年間、なにか早稲田祭 のために自分が貢献できたかといえば、そこに自信を持つことができませんでした。ただた だ、ステージに立つことを楽しみ、自分のためだけに六代目バンカライズムとしての期間を 過ごしてしまったという紛れもない事実が、自分の感じていた空虚感の原因でした。自分が 代表となる七代目バンカライズムでは【自分以外の誰かのため】に行動しよう。そう固く決 意するとともに、前月祭の時期の前代表の言葉と、“全ての人の野心に火をつける”という活 動理念を改めて胸に刻みました。
3.『歴代最大の成長幅を誇るバンカライズム』 時は少し戻り、早稲田祭直前期に行われた代表選挙について書いていこうと思います。
“早稲田の中核を担い、パフォーマンスを通して「早稲田」全体の野心に火をつけたい” これが理想として掲げたバンカライズムでした。でも、六代目バンカライズムが終わろうと していた早稲田祭直前期には、実力も、知名度も、地位も、格も、そのすべてが早稲田の『中 核』を担うには足りていないことは明白でした。早稲田の中核を担いたいという目標は、あ まりにもおこがましい。そんなことわかっていました。それでも、バカな理想を諦めきれず、 夢を見続けました。大好きで、愛してやまないバンカライズムという団体が、同じく愛して やまない「早稲田」の中心となって、早稲田文化や早稲田祭の発展に貢献する未来を信じて。 僕の夢見る未来が現実になるのは七代目バンカライズムじゃなくていい。3 年後でもいい、 5 年後でもいい、10 年後でもいい。いつか、未来のバンカライズムで同じようなバカな理 想を語る人が現れたときに、今度は夢ではなく現実にしてほしい。ここまで自分の考えがま とまった時、よし、代表選挙に出ようと決心することができました。
その後は、来るか来ないかも分からない「いつか」に備えるために、七代目バンカライズ ムになにができるのかを考えていました。七代目バンカライズムにできること、それは早稲 田の中核を担うにふさわしい団体に一歩でも近づけることだと結論付け、その結果生まれ たキャッチフレーズが『歴代最大の成長幅を誇るバンカライズム』でした。たった 6 年で Ride や前月祭、大隈講堂前ステージや運営スタッフ企画に出ても違和感がないレベルにま で急成長をしてきたバンカライズム。そんな尊敬する歴代バンカライズムを相手取り、それ 以上に七代目バンカライズムを成長させることを選挙公約にしました。
代表選挙の結果には、バンカライズム入会の時に抱いていたような根拠のない自信があ りました。中学受験の時も、早稲田祭運営スタッフの配属結果発表の時も、バンカライズム 入会の時も、代表選挙の時も、この根拠のない自信を持った時はすべて現実にしてきました。 なんとなく、きっと代表になるんだろうな、という気持ちを抱きながらみんなの前で演説を しました。ただ 1 つ、僕が代表になった時に必ず発生するリスクへの不安がありました。そ れは、6 期の利益よりもバンカライズム全体の利益を、七代目バンカライズムの利益よりも 未来のバンカライズムの利益を、バンカライズムの利益よりも「早稲田」の利益を重視する、 という自分の判断基準でした。七代目バンカライズムは、自分が夢見るバンカライズムの未 来をつくるための道具であり、夢が現実に近づくのならば、どんな損失でも受け入れる覚悟 でした。だからこそ、代表として様々な判断をする時に、同期や七代目バンカライズムにと って損となる判断を下す時がくる可能性が高いのは自分でわかっていました。 大好きな同期に、そんな同期と一緒に全力で運営する七代目バンカライズムに、損をさせて しまうかもしれないということだけが少しだけ心残りでした。
4.七代目バンカライズム『異彩を放て』 ついに代替わりを迎え、自分が代表を務める七代目バンカライズムになりました。最初に
決めたのは、代表と副代表の仕事の分担でした。六代目バンカライズムでは、あまり代表と 副代表の仕事の分担ができておらず、明確な副代表の仕事がないように見えていました。七 代目バンカライズムでは、代表の僕がバンカライズム外部に関する仕事、副代表のあゆきが パフォーマンス面など内部に関する仕事を担当することになりました。 この役割分担にした理由には、自分には歴代の代表のようにダンスで引っ張っていくこと ができないという自覚が大きく関係していました。 副代表に代表のやるべき役割を託したのは、仲間を頼ることができたとも、逃げたともいえ ることです。引退が近づいた今振り返ってみれば、『万色主義』とも表記される個性あふれ るこのサークルで、自分とは別の強みを持つ仲間を頼れたことは自分の強みの 1 つだった と思います。
僕が代表として 1 年間を通して、最初から最後まで徹底していたことがあります。それ は、他団体さんに対して敬意を払うということです。バンカライズムのみんなに日頃から厳 しいことを言うタイプの代表ではなかった僕が初めて全体に向けて怒ったのは、5 月初めの Museum Week でした。それはリハーサルの出席率が悪かったことについてです。パフォサ ーの僕たちにとってみれば本番前のちょっと大事な練習にすぎないものかもしれません。 しかし、その裏には朝から機材の準備や、僕たちのリハーサルで照明の最終調整をしてくだ さる放送研究会さんがいます。運営スタッフに所属していた僕にとって、そういった裏方の 方々へのリスペクトに欠ける行為は許せないものでした。
また、裏方に対して敬意を払うのと同じように、表方としてパフォーマンスする他団体さ んへのリスペクトも大切にしていました。同じ早稲田文化の担い手として、バンカライズム とはまた違った色を持つ他団体さんのことを心から尊敬していました。「早稲田」を盛り上 げるのはバンカライズムのみの力でできるような簡単なことではなく、それぞれの色を持 つ団体同士の力を合わせることが絶対に必要だと思います。バンカライズムを他団体さん への敬意すら払えないような団体にしてほしくなくて、「他団体さんにだけは迷惑を掛けた らいけないよ」とみんなに言い続けた 1 年でした。その根底には、バンカライズムさえよけ ればいいという想いではなく、「早稲田」全体で協力して盛り上げたいという想いが強くあ りました。
自分なりに振り返ってみたときに、七代目バンカライズムが大きく躍進するきっかけと なったのは、Ride と万色祭だったと思います。Ride ではワセガシラさんと初めてコラボさ せていただきました。ワセガシラさんとのコラボは、他のパフォサーとのコラボと比べて少
し難易度が高かった気がします。それでもダンスとカラーガードという異なる魅力が上手 に融合するようなステージを作ることができたのは、Ride 担当のすずなのおかげだと思っ ています。あの時、どちらか一方の色しか出せないようなステージしか作れていなければ、 こんなにも充実した七代目バンカライズムを過ごすことはできなかったんじゃないかと、 本気でそう思っています。ありがとう。
バンカライズムの主催公演である万色祭は困難の連続でした。その中でも 1 番困ったの は、コラボオファーを出したショッカーズさんと大隈講堂の予約日が被ったことです。被っ てしまった時点でショッカーズさんに日程を譲ることは自分の中で決めていましたが、こ のピンチをチャンスに変えられないかを考えた結果、「大隈講堂の日程を譲るから、その代 わり絶対万色祭にコラボ出演してほしい」という、上から目線の提案をさせていただきまし た。当時やりとりをしていたコーラ味のシゲキックスとは全く面識がなかったので、こんな 提案をして大丈夫かな?と少し不安に思っていました。それでも、どうせ譲るんだしチャレ ンジしてみよう!の精神で提案を行い、バンカライズム史上初めてのショッカーズさんと のコラボを実現することができました。この時に勇気を出して行動したことが、ショカステ やショカフェスに出演させていただくことにもつながったと思います。
また、万色祭にはその他にも下駄っぱーずさん、踊り侍さん、わせフラさんにご出演いた だきました。この 3 団体は六代目バンカライズムでもコラボをしていました。「先輩たちが バンカラさんとコラボをしているのを見て自分たちもコラボしたいと思っていたから、こ の機会にコラボができてうれしい」と伝えられたときに、団体間の関係値は代を通り越して 受け継がれるものであることを強く認識しました。この言葉がきっかけで、七代目バンカラ イズムでのコラボステージの出来栄えや練習の雰囲気が、来年以降のバンカライズムにも 大きな影響を与えるという自覚を持つことができました。すべてのコラボステージに出演 した僕だから言えることですが、万色祭での 4 つのコラボは、本当に楽しかったし最高で した。同じような気持ちを、出演していただいた団体さんにも抱いていただけていれば嬉し いです。
万色祭にはショッカーズさんとの日程被り以外にも大きな問題がありました。それは会 場と資金の確保でした。日程を譲ってしまったので、大隈講堂にはもう開催できる候補日が なく、外部の会場を抑える必要がありました。しかし、世の中は意外と学生に厳しく、学生 にはオペレーションをさせてくれない施設がほとんどでした。また、他団体さんが過去に使 用していた会場では費用が掛かりすぎて、到底バンカライズムで負担できる金額ではなく、 一時は早稲田祭後に大隈講堂で開催する案も浮上しました。しかし、すでにオファーを受け てくださった団体さんに迷惑をかけたくない、早稲田祭後だと引退していたり単独公演が 近い団体さんとのコラボが難しい、なにより大好きな早稲田祭で引退したいという想いか
ら、早稲田祭後の開催は最後の手段でした。そんなこだわりを汲み取ってくれて必死に会場 を見つけてくれた万色祭統括のゆい・せーや、外部開催になったことでいきなり必要になっ た 100 万円以上の金額を集めてくれたしらつち、本当にありがとう。
七代目バンカライズムは、Ride や万色祭以外にも本当に多くの公演に出させていただき ました。早稲田祭 2022 でも、単独ステージに加えて多くの運営スタッフ企画などに出演い たします。そのなかでも、バンカライズム史上初めて出演することになる Ending Festival について書こうと思います。Ending Festival は間違いなく早稲田祭の華だと思っています。 毎年、このステージに立ちたいと強く願う団体がたくさんいます。Ending Festival への出演 が決まってから、今のバンカライズムに出演する資格があるのかを問い続けるようになり ました。自分が思っているよりもバンカライズムはすごいのかもしれないと思う一方、まだ まだ Ending Festival に出演していいような団体ではないのではないかと思う自分がいます。 これは、同期や後輩の Ending Festival にかける想いに自信が持てないことが原因でした。 「今年は Ending Festival に出れるんだ!ラッキー!」くらいにしか考えていないような言 動が見え隠れする度に、こんな団体が出演していいのかと問い直していました。僕にとって Ending Festival は、運スタや早稲田文化を支えるすべてのサークルにとっての憧れの場所 であり、そこに出演する自分たちはたくさんの他人の想いと責任を背負う必要があるもの です。だから、同期や後輩に生半可な気持ちで出演してほしくなくて、直前期の貴重な正規 連の時間を 30 分も使って熱弁しました。 お前らはなんのために踊るのか?ただキラキラしたいだけなのか?「早稲田」を背負う覚悟 と自覚はあるか?
入会して 1 年もたっていない後輩にこの問いをぶつけるのは酷だと思いつつも、早稲田祭 前にどうしても考えてほしくて、厳しい言葉を投げつけました。このとき、1 年前に前代表 が僕らに語った時もきっと同じような気持ちだったんだろうな、という思いに浸ってまし た。今は受け止めきれないかもしれない、言葉の真意がわからないかもしれない。それでも、 Ending Festival に立つにふさわしい団体となるように、いつかバンカライズムという団体 に誇りが持てるように、初代から受け継いできた反骨精神が途絶えないように、そんな想い を込めた言葉でした。
5.最後に
いま、この文章を書いているのは早稲田祭 1 日目の 7:04 です。本当に早稲田祭がやって
くる。引退が近づいてくる。期待と緊張にあふれた今の気持ちを、少し書いていこうと思い ます。
最後に大隈講堂前ステージが建ったのは 2018 年の早稲田祭だ。偶然か必然か、それは初
めて僕がバンカライズムを観て、惚れ込むことになった早稲田祭。あの時の三代目バンカラ イズムのように、自分たちのパフォーマンスで誰かの野心に火をつけたい。そしてそれだけ ではなく、七代目バンカライズムではコロナで失われかけた「早稲田」を取り戻したい。今 年こそ、表方として早稲田祭に大きく貢献したい。
そして、1 年前に掲げた理想のバンカライズム。目指すこともおこがましい夢のまた夢。 1 人のバカが見続けた夢が、もしかしたら現実になるかもしれない。「野心」とは「ひそか に抱く大きな望み」という意味のほかに「身分不相応のよくない望み」という意味がある。 バンカライズムによって火をつけられた俺の「野心」が、バンカライズムによって叶えられ ようとしている。もし俺が叶えられなくても、必ず俺の「野心」は伝播していく。「いつか」 の未来のバンカライズム、あとはまかせた。
こんなにも素晴らしい団体の代表を務められて、務めさせてもらえて、本当によかった。