「中抜き」は本当に存在するのか

 多分よくいう所の「中抜き」は「直接作業しない一次請けが二次請け以降に手を動かさせる前提で仕事を受ける」みたいなニュアンスで使っていると思う。例えばマンションをおっ建てるのに現場で土地を造成して鉄骨を組んでいるのは一次請けのゼネコンではなく下請の事業者がやっている。

 確かに彼らは例えば1億円で受けた仕事を8千万とかで下請けに投げて、差額の2千万を自社の利益にしている。多分民主党の脳内だと、二次請け以下に直接発注しないことで実質的に水増し発注しており、差額の2千万を発注者にKBでもして懐に入れているとでも思ってるんだと思うけども、勿論そんな訳はない。

 では一次請けは差額の2千万で何をしているか。例えばシステムならどんな機能が必要か完全に構想できていて、分割された作業に落とし込めていて、手順書まであれば、直接二次請け以下に発注できるかもしれない。が、そんな発注者はいない。それができれば外注なんてしない。そこを一次請けがやっている

 また普通二次請け以下に伝手なんかないのでどこに出せばいいのかも分からない。当然各事業者に職能があり、鉄筋家に造成を頼んでもできないし、設計事務所に汚染調査させてもできない。どこが何をできてどう発注すれば良いか分からないと二次請け以下に発注もできない。これも一次請けがやっている。

 与信の観点もある。一次請けになれる様な大事業者であれば基本的にはよほどの事が無い限りは倒産したり資金不足にで開発が遅延したりすることもない。一方で二次請け以下の零細事業者ではこれが当然に発生するので、一次を嚙ませないと発注元が直接このリスクを受けないといけなくなる。

 その他にも商流・特許・許認可・免許を使う、設備を使用させる他、切りがないが、要するに一次請けが何らかの「付加価値」を提供しているケースが99%以上で、この場合商流の中で一次請けが噛まなければ、殆どのケースではそもそも案件が成立しない。前述の2千万円はその付加価値に対して支払われている

 「中抜き」を「何もしていない(付加価値を加えていない)にも係わらずフィーを抜いている」と定義するなら、上で述べた様な付加価値が全くないかほぼ0のケースしかない。つまりノウハウもなく、完成を早期化もさせず、免許も特許も商流も使用せず、設計でもできず、与信も無い事業者に投げて、そこで利ザヤを抜いて下にそのまま投げる様なケースだが、そんなものは令和の世にほぼ存在しない。皆正当な仕事をして結果、正当な対価を得ているだけ。無職やまともに働いてない人達は見えない仕事を透明化してしまう。これは端から見るとかなり恥ずかしい事ではあると思う。

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